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ベルツリー急行のミステリートレイン。ご存知鈴木財閥がオーナーを務める鉄道で、年に一回観客参加型の推理ゲームを行う催し物である。
園子の計らいで参加倍率の高いそのツアーに参加できることになった俺達だったが、群馬で起きたある事件の際に灰原が元に戻った姿が流出したため、灰原の命を狙う黒の組織の奴らを急行で待ち受ける羽目になった。

結果的には、母さんや怪盗キッドの協力を得て、ベルモットや奴らの仲間には“シェリーは死んだ”と思い込ませることに成功したが、その過程でおっちゃんの弟子の安室透が、奴らの仲間の“バーボン”であることを知った。

元から身元が知れなくて怪しいとは思っていたが、本当に危険な奴だったとは。ベルモットと違って灰原を殺そうとはしていなかったことは引っ掛かるが、今後一切関わらないようにしなければ、と俺は決心した。仲がよさそうにしていたさくらさんにも釘を刺すメールを送って、偵察のためにポアロに来てみたが、梓さん曰く奴はしばらく体調不良でバイトを休むと言ったらしい。

(目的だったシェリーの奪還、暗殺は奴ら目線では成功している……。恐らく奴に、これ以上俺達の傍にいる理由はねえ)

ならば今後バーボンが姿を見せることはないだろう、と結論付け、俺は安心してアイスコーヒーを注文した。

「あら?コナン君、いらっしゃい」

その時ポアロのドアが開いて、最近お馴染みになった人が入ってきた。

「あれ?さくらさん、今日はどうしたの?」
「安室さんがしばらくお休みだって店長に聞いて、期間限定でバイトに復帰することにしたの。毎日って訳じゃないけど、梓の負担も減らせるかと思って」
「なるほどー。じゃあさくらさんも、安室さんが何の病気か知らないんだね」

一応警告はしておいたが、彼女が安室さんと本当に連絡を絶ったか半信半疑だったため、俺は鎌をかけてみることにした。すると彼女は目を丸くして、逆に俺に訊き返してきた。

「あの人病気なの?バイトを休む理由までは知らなかったわ」
「そっか。さくらさんにも話してないんじゃ、きっと誰も知らないね」
「話してもらうような仲でもないしね」

これは躱されたのか本音なのか、一体どちらだろう。昴さん―――FBIの赤井さんに彼女の印象を聴いてみたが、彼女は疑う余地もなく白だと言った。俺だって白だと信じたいが、やけに安室さんと仲がよかったのがやはり引っ掛かる。赤井さんのことを安室さんにバラされるリスクは考慮されるべきである。赤井さんはその可能性は有り得ないと言って笑っていたが。

「今日は蘭ちゃんと毛利さんは?」
「蘭姉ちゃんは部活の練習、おじさんはもう少しで来るって!」
「そう。それじゃ、毛利さんには目覚めのホットでも淹れておこうかな」

さくらさんがセットしたコーヒーがちょうど完成したタイミングで、おっちゃんも探偵事務所から降りてきた。
他に客の姿もなかったことから、しばらく3人で雑談をしていると、ドアが開いて数人の女が入ってきた。

「あ、いらっしゃいませ。3名様ですか?」

さくらさんがすかさず対応すると、来たばかりの客は露骨に顔をしかめた。
その表情に、俺もとあることを思い出す。

(そうだ、確か前にもここでさくらさんがバイトしてた時、すっげー睨んでた女どもが居たような……)

恐らく同じ客だろう。さくらさんは忘れているのか意に介していないのか、どうぞ、とにこやかに言って奴らの定位置に案内する。

「今日は安室さんはいないんですか?」
「ウチら安室さん目当てで来たんですけど」
「申し訳ありません。安室さんは今日お休みなんです」

さくらさんの完璧な営業スマイルは、女どもの不躾な視線に晒されても崩れなかった。

「なぁんだ、がっかりー」
「明日は来るんですか?」
「さあ……、個人情報なのでお答えしかねます」
「はぁー?ウチら常連なんですけど!」
「それくらい教えてくれたっていいじゃんねー」

不愉快な声で喚きたてるそいつらに、さくらさんは動じなかった。というか、常連だから何だというのか。安室さんのプライバシーに関わる話だということに、何故あいつらは気付かないのだろう。……それを侵すことが目的なのだろうが。
まあ、俺としては“バーボン”のプライバシーが侵害されようがどうだっていいのだが。

「何だ?あいつら……。安室君が来ねーのはさくらちゃんのせいでも何でもねえだろうがよ」
「ああいう客には、何を言っても無駄だよ。さくらさんも厄介なのに絡まれて気の毒だなあ……」

おっちゃんと俺の同情の視線をよそに、さくらさんはきっちりオーダーを取り、厨房へと戻って行った。案外大雑把と言うか、細かいことは気にしない性質なのかも知れない。

しかし、奴らの嫌がらせはこんなもんで終わりはしなかった。

「ちょっと!これ、注文したのと違うんですけど」
「いつもと味が違うしー。やっぱり安室さんがいないと駄目じゃん」
「安室さんに色目使ってる暇があるなら、料理の腕を磨いてもらえませんかー?」

……吐き気がしそうだ。明らかに注文は間違っていなかったし、味は何なら安室さんのものよりも美味しいし、彼女が安室さんに色目を使ってるとこなんて見たことねーぞ。どっちかって言うと逆だ逆。

俺の心のツッコミは当然届くことはなかったが、おっちゃんも中々にイライラしているようだった。さくらさん本人が何も言わないから、余計にフラストレーションがたまる。
極めつけに、女どもは去り際に中身の残ったティーカップを、わざとさくらさんにぶつけて落とした。パリン、と軽やかな音がして、茶色い液体がさくらさんの足元を汚す。

「あー。ごめんなさぁい、そこに立ってると思わなくてー」
「でもこれウチらが悪いんじゃないよねー」
「ねー。弁償とかしなくてもいいですか?ほら、ウチら高校生だしー」

さすがに黙っていられなくて、俺は椅子から飛び降りて抗議しようとした。しかし、俺の体はおっちゃんの手によってハイチェアに押し付けられてしまった。

「何で止めるんだよ、おじさん!」
「落ち着けコナン。さくらちゃんが我慢してんのに、俺らが口を出していい訳ねーだろ」

やけに冷静な物言いが癇に障って、俺はその手を振り切ろうとした。いつものおっちゃんなら、俺が止めたって猛然と怒鳴り散らしに行くだろうに。

「だけど!あんなもん目の前で見せられて、黙ってろって言うのかよ!」
「いいから落ち着け!心配しなくても、あいつらはじきに自滅するってーの」

やけに確信したような声音に、俺ははたと気付いてさくらさんを見つめた。客の去って行ったテーブルを丁寧に片付け、汚れてしまった床を綺麗に拭きながら―――
彼女は終始笑顔だった。

怒っている。
彼女は今、猛烈に怒っている。

「本気になったさくらちゃんは怖ぇぞー。今日はまだ見逃してもらえたみてーだが、明日も来るならどんな手段に出るんだろうな」

いっそ楽しみだ、とでも言いたげな口調で、おっちゃんは3杯目のコーヒーを啜った。

そして翌日、俺はおっちゃんの言う“本気のさくらさんは怖い”という意味を、骨の髄まで理解することになる。


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