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警察の事情聴取を終え、ガムテープでぐるぐる巻きにされていた女性が依頼人の樫塚圭さんであることが解った。先ほどのショックがある程度和らぐと頭は急速に回転をし始めて、私の中ではやはりこの女性がどこか怪しいという結論に至った。樫塚さんはトイレで亡くなっていた男性とは初対面で、降谷さんの推理通り毛利探偵事務所を訪れた際、あの男性が事務所の関係者を装って自分をこの部屋に招き入れたのだと言った。そしてスタンガンで気絶させられて拘束され、その後は銃で脅されながら死んだ兄のロッカーの場所を尋問されていたらしい。

色々と無理がある。彼女の言葉を信用するなら、男性は彼女の兄のロッカーキーを奪い取る目的で樫塚さんを事務所に誘い込み、身動きの取りづらいトイレに立てこもったことになるが、どうせならどこか別の場所に移動して彼女を尋問した方が面倒くさくない。トイレなんて人間の生理的欲求がある限り必ず誰かがドアを開ける訳で、そんな見つかりやすい場所に立て籠る馬鹿がどこにいるのか。

そうかと言って、この樫塚さんという女性が怪しいという直感を証明できるような理論はまだない。彼女が随分取り乱しているようだから、明日仕切り直して事情聴取をすることになり、帰りを降谷さんの車で送っていくことになった。

「さくらさん、あなたも送ります。一緒に来てください」
「いえ、別に一人でも平気です」
「さっきまであんなにふらふらだったじゃないですか。僕の安心のために、どうか送らせてください」

そう言われてしまえば断れない。私はぎこちなく頷いた。


車を走らせること数十分。彼の愛車はそこそこお高そうなマンションに到着した。何故か毛利さんも蘭ちゃんも、そしてコナン君も付いてきたので車内の人口密度は100パーセント超えである。
樫塚さんの家の前まで彼女を送る、と言って皆さんが一斉に降りたので、私も続いて降りようとした。けれど私の体調を心配した降谷さんの一言によって、私は一人彼の車内に残ることになった。

急に広々と使えることになった空間に戸惑いつつ、私は助手席で目を閉じた。何故こんなことになったのだろう、と今日一日を振り返ってみる。……降谷さんに誘われて、毛利探偵事務所に足を運んだのが運の尽きだ。元々私は彼にお礼をしたいと言われていただけのような気がするのだけれど。
やり場のない憤りを持て余していると、首のヘッドホンが振動した。ギルバートからの通信である。降谷さんに渡した端末から、部屋の様子をうかがっているのかも知れない。あの端末にはカメラこそ付いていないものの、音声の認識はクリアにできるように設定している。

「ハイ、ギルバート。また何かあったの?」
「ハイ、さくら。悪い知らせと更に悪い知らせがあります」
「悪い知らせしか選択肢がないじゃない……。まずは軽い方からどうぞ」
「わかりました。実は樫塚圭の自宅から大量の盗聴器と、男性の遺体が発見されました」
「…………。また遺体なの」

もう完全に樫塚圭はクロだろう。それを裏付ける推論は展開出来ないが、そういうことは毛利さんや降谷さんに任せておけばいいのだ。私が苛立たし気に眉間を押さえると、ギルバートは更に悪い知らせです、と続けた。

「江戸川コナン君が、樫塚圭と共に姿を消しました。樫塚圭のケータイから毛利探偵のケータイに送られてきたメールによれば、コナン君は樫塚圭に誘拐された模様です」
「―――え?誘拐?」

これ以上事態が悪くなるとは思っていなかった私は、聞こえてきた物騒な単語に目を見開いた。

「一応、明日の明け方には解放すると文面には書かれていますが、万が一ということもあります。彼の行方を追跡しますか?」
「出来るなら追跡して!あの子はまだ小学生なのよ!」
「解りました。阿笠博士が彼に渡している探偵バッジの発信機を追います」

簡潔に応えてギルバートは沈黙した。私は私で阿笠博士に連絡を取る。

「おおさくら君か、ちょうど今蘭君からも同じ知らせを聴いたところじゃよ。ワシらもコナン君の行く先を追うから、さくら君はくれぐれも無理をしちゃいかんぞ」
「でも博士、ギルバートが彼の探偵バッジの発信機を追ってくれています。二手に分かれて探した方が効率がいいわ」
「そうか……。もし何か解れば、また連絡してくれ!」
「解りました」

私が博士との通話を切った時、樫塚圭の部屋に上がっていたメンツが車に戻ってきた。ここから誘拐犯と私達との、愉快な鬼ごっこが幕を開けた。

*****

僕は毛利先生と蘭さんを連れて車に戻り、助手席で待っていたさくらさんに事情を説明してからコナン君を捜索し始めた。
ギルバートの追跡によれば、発信機は車に乗っては止まり、また車に乗っては止まり、という謎の動きを繰り返しているらしい。これはひょっとしてひょっとすると、誘拐犯がコナン君を連れ回しているのではなく、コナン君が誘拐犯を連れ回しているのではないかと思えてきた。

樫塚圭の自宅と言われて入室したマンションで新たに判明したこと。それは、あの部屋が遺体で見つかった男の一人暮らしの家だということ、そしてその男とは例の銀行強盗の犯人3人組の一人であるということだった。事務所で死んでいたあの男も同様だ。
とすると、あの樫塚圭を名乗る女性の目的は一つ。銀行強盗の犯人を見つけ出し、殺すことだ。彼女はあの銀行強盗に殺された庄野賢也の縁者で、あの強盗事件の時現場にいたから犯人の特徴を覚えていたのだろう。そして3人組の犯人の最後の1人と思しき人物に、まだ見当が付いていないのだ。

コナン君が復讐に燃える彼女に犯人を見つける手助けを申し出たのであれば、彼の身柄は安全だ。僕達は(情報源がギルバートであることは伏せつつも)着実に彼が乗る車へと近付いていた。
そして車が王石街道に差し掛かった頃、僕の端末にギルバートからの新しいメッセージが届いた。ちょうどこの通りを北上中とのことで、逆行する車を見ているうちに、不審な車が向かって来ていることに気付いた。

一台の青いスイフト。その運転先には樫塚圭を名乗る女性。助手席には、拳銃を構えた女性がいる。フロントガラスには弾痕と思しき穴が開いていた。詳細は解らないが切羽詰まった状況であることは間違いない。

―――あれだな。

完全に当たりをつけて、僕は180度Uターンを決めた。そのままアクセルを踏み込み、ぐんぐんと加速する。前方の赤いスバルを抜き、青いスイフトの横につけると、毛利先生と蘭さんには右側に、助手席に座るさくらさんにはシートベルトを外して運転席に寄るように指示を出した。

「……ねえ、待って安室さん。まさかこれって」

人一番理解力のあるさくらさんは、僕がやろうとしていることに気付いたらしい。引き攣った口元は見なかったことにして、僕は彼女の背中に腕を回して抱き寄せた。

「舌を噛みますよ、口を閉じて。―――失礼」

数秒後、ハンドルを切って車体をスイフトの前に滑り込ませた。轟音と共に、スイフトが僕の車体に突っ込んでくる。動きの止まったスイフトの助手席で、銃を構えた女が喚くのが見えたが、後から突っ込んできたバイクの車輪に殴られて気絶した。そのバイクを運転していたのは―――

(彼女はあの赤井秀一の妹だ。何故ここに?)

かつて組織の仕事で“ライ”と“スコッチ”と組んだ時、スコッチがベースの弾き方を教えていた少女である。顔を合わせたのはそれきりだが、僕が彼女を覚えているということは彼女も僕を覚えているかも知れない。

成り行きを見守っていた僕は、腕の中でさくらさんがぴくりとも動かないことに気付いた。だらりと投げ出された腕が、力なく僕の膝を滑る。
一瞬で現実に立ち返るが、彼女はどうやら気絶しているだけのようだ。ぱっと見で解る怪我はなかった。一般人である彼女には、刺激が強すぎたに違いない。逆に意識がしっかりしている蘭さんに驚くべきだろう。
ふと強い視線を感じて首を上げれば、橋桁の上にバイクに跨ったベルモットの姿が見えた。彼女はご丁寧に僕のスマホを鳴らし、こちらにメッセージを送ってくる。

「どうやら一応の信頼は得られたようだけど、私との約束は守ってくれるわよね?」

バーボン―――と、ベルモットは実に余計な一言を付け加えてくれた。

彼女との約束。それは、黒の組織の裏切り者であるシェリーの情報を手に入れ、抹殺することである。
僕はその問いに返事をしなかった。車内には毛利先生も蘭さんもいるのだ。ギルバートにはベルモットの発言を聴かれてしまっているだろうから、あとで説明をしておかなければ。さくらさんを危険に晒したくなければ黙っていろとでも言えば、開発者に忠実なこのコンピュータは口を噤んでくれるだろう。

やや手荒な解決法となったが、こうしてコナン君の誘拐事件は無事幕引きとなった。
途中で追い越した赤いスバルの運転手、後からやって来た赤井秀一の妹、橋桁の上のベルモット。期せずしてここに集ったメンツによって、物語は更なる混沌へと導かれていくことになる。


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