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テーブルに空いた穴に、全員の目が丸くなった。そこからひょっこりと小人が顔を見せたものだから、観客の驚きは最高潮に達したと言っていい。
小人は頭に背の高い帽子を乗せたコックだった。彼(彼女?)は観客に向かって一礼すると、パンパンと何者かに向かって合図をする。
すると、カトラリ―の間に置かれていた皿に生の魚が置かれていた。

無論ここまでの描写は全て、本物の人間や食材が動いている訳ではない。テーブルクロスや皿に投影された、プロジェクションマッピングである。

装飾品が一切ないのはこのためだったのか、と僕は唸った。食器の無い真っ白な部分には、小人がテーブルから引き抜いた色とりどりの野菜が並べられている。先程まで生きているかのようにリアルだった魚は、いつの間にか3枚下ろしにされていた。
小さなコックがアミューズのマグロ肉のタルタルを作り終えると、会場からは一斉に拍手が沸き起こった。そこで本物のコックが登場し、本物のアミューズが運ばれてくる。

先程のように、部屋全体をアクアリウムのように変容させてしまうかと思いきや、今のように限られた空間でメルヘンな面白さを追求するなんて、振れ幅が大きすぎて眩暈がしそうだ。自分では前時代的な人間ではないと思っていたが、こんなものを見せられては自分が古い人間であるように感じられて仕方がなかった。

その後も、参加者全員に3D眼鏡を配布して立体映像を楽しんだり、室内で咲き誇る花火を眺めたりして、時間も忘れてしまうようなパーティーは幕を閉じた。



後片付けの時間になっても、僕は帰ろうという気になれなかった。船内にいた時間はとても密度が濃くて、たったの3時間程度しか経過していないとは思えない。
港に停泊している客船の外で、撤収作業に追われる船内を眺めながら僕はギルバートと感想を語り合っていた。

「あのアクアリウムで泳いでいた魚やワニのイラストは、実際に彼らが都内の幼稚園や保育園を回って描いてもらった作品です」
「地域密着事業のようなこともしているのか」
「チームラボのモットーは“共創”ですからね。未来を担う子供たちと、共に展示を盛り上げるという意図があったようです」

僕以外の観客は、既に全員帰路についている。周りに人の気配もないため、僕はすっかり素に戻っていた。

「ところで降谷さん。さくらはこの後片づけを中断し、ドイツに連絡するために一度デッキに出てくるようです」
「……それは、君が今船内のカメラをハッキングしている最中だと受け取れるが?」
「世界中の映像記録で私が干渉できないものは、そう多くはありません」

恐ろしい発言は意図的にスルーして、僕はギルバートの言う通り彼女がデッキに姿を見せるのを待った。
果たして彼女は、スマホを片手に船室を抜け出し、デッキに姿を現した。しばらく何事かを英語で話し合ったあと、早口に締めの言葉を告げる。

「See you tomorrow at 10.」

彼女はそのまま船室に戻ろうとして、僕が船の外に佇んでいることに気付いたらしい。あれ、と言いたげに目が見開かれ、彼女はヒールを鳴らしながら乗船ゲートを駆け下りた。

「降谷さん!」

周りに誰もいないという安心感からか、彼女は僕をそう呼んだ。

「降谷さん、いかがでしたか?私がプロデュースしたパーティーは」
「ああ、とても斬新なアイデアで面白かったよ。でもよかったのか?予算が割けないと嘆いた割には、豪華な舞台になったと思うが」

この客船にしても、会場に設えてあったバーカウンターにしても、お金を掛けていないとはとても思えない設備だった。
僕の率直な感想に、彼女はうふふと含み笑いをした。

「実はこの船、もう廃船になるんですって。だから最後に貸してくださいってお願いして、無料で使わせてもらいました。あのバーは、まだ無名のメーカーさんと提携して、広告料として無償でお店を出してもらったんです」

天才の発想と言うべきか、普通は考え付かないようなアイデアを実現させてしまうのは若さゆえか。

「さすが、目の付け所が違うな。展示の方も素晴らしかったよ、観客も皆こぞって興奮していた」
「だといいんですけど」

充実感に潤んだ目を細めつつ、彼女は落ち着かなさそうに耳元を触った。

「どうした?何か気にかかることでも?」
「あ、実は、イヤリングを片方落としてしまったみたいで。気に入ってたんですが……」

そこで僕は、自分の胸ポケットに入っている物のことを思い出した。控室を出るときに拾ったものだが、やはり彼女のイヤリングで間違いなかったようだ。

「ああ、それなら僕が持ってる」
「えっ?」
「すまない、渡すタイミングがなかなかなくて」

謝りながら胸ポケットからハンカチを取り出すと、僕は自分の掌に真珠のイヤリングを乗せた。彼女の顔がぱっと明るくなる。

「よかった、降谷さんが拾ってくれたんですね。ありがとうございます」
「つけてもいいか?もう見せるべき客もいないけどな」

苦笑しつつそれを指でつまむと、彼女はゲストならいるわ、と言って下ろしていた髪を掻き上げた。

「きちんとおめかししないとね。最後のゲストの―――あなたのために」

小生意気に上げられた唇に、ライトアップされた船の光が反射していた。その顔が、耳をこちらに見せつけるように横を向く。
蜜に誘われる蜂のように、僕は彼女の耳に顔を近付けた。

「……じっとして」
「ん。……っひ、う」

びくりと揺れた彼女の肩を、僕は咄嗟に押さえつけた。慌てて顔をこちらに向けようとするのをあっさりといなし、咎めるように低い声を出す。

「動くなと言ったはずだが?」
「動くな、って……ふ、るや、さん」

彼女の指が、スーツ越しの僕の二の腕を滑った。その弱弱しい抵抗に、正体不明の熱が体のうちを駆け巡る。

僕が体を離したとき、彼女は首筋まで真っ赤に染めて、今にも泣きそうな顔をしていた。
その右耳に光る青い真珠に、何故か征服欲が満たされていく。

「あ―――あなた、一体何を」
「さあ。何だろうな?」
「さあ、じゃないわよ……!今、耳、な、舐め」

いつもは圧巻の処理速度を誇る彼女のCPUも、過度の熱を持っては満足に働かないらしい。自分で状況を把握して、自分の言葉に盛大に慌てている様が可笑しかった。彼女がこれほど混乱している様子を見るのは初めてで、普段強気な分、攻められると弱いのだという事実を知った。

「今夜はいい気分で眠れそうだ」

ぽん、と頭に手を置くと、彼女は音を立てて固まった。その隙に再び屈みこみ、耳元に囁きを落としていく。

「さくらさん。時計の礼がしたいから、明日12時にポアロに来てくれ」

とどめのようにポンポン、と頭を撫でてやれば、彼女は言い返す気力もないのか茫然と僕を見上げている。
僕はそのまま踵を返した。愛車を泊めてある近くの駐車場まで振り返らずに戻ったため、僕の背後で彼女が耳を押さえながらこう呟いていたことを知らなかった。

「…………。ギルバートに見られてなくて、よかった……」


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