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本田さくらに招かれたチームラボの展示会場は、驚くほど殺風景だった。一面の白い壁に、白い天井。恐らく食事をするために出されたのであろうテーブルには、白いクロスこそ張られているが花の一つも飾られていない。無造作とすら言える配置で、カクテルグラスとカトラリーが並べられている程度である。

「あ、“安室さん”!こちらですよ」

関係者のチケットを手配してもらって入ったクルー専用の控室で、彼女は僕を見つけて駆け寄ってきた。

その姿を見て、僕は一瞬自分の目を疑った。

普段は体のラインを強調するような、大人びたデザインの服を好んでいるというのに、今日の彼女が着ていたのは清楚なワンピースドレスだった。薄い水色の、光沢のある生地が質の良さをうかがわせる。礼装であるから、当然いつものヘッドホンは着けていなかった。

「安室さん?」
「あ、ああ、すみません。本田さんがあまりにも淑女然としていて、少し戸惑ったものですから」
「私だって、TPOを弁えた振る舞いくらいはできます」

むっとして頬を膨らませる仕草も、普段と違って随分幼く見える。
そこで気付いた。彼女は普段、海外の歳の離れた同僚達と過ごしているため、幼く見られがちな東洋人が好む服装を避けているのだと。
しかし今日のプレゼンターはチームラボ、つまり日本の会社である。年相応の服装をしているのも、ここが母国だからという安心感もあるのだろう。

なるほど、これが彼女の素顔か、と僕は改めて彼女を見渡した。

「何ですか?何か言いたいことがあるんなら、遠慮なく言ってください―――馬子にも衣裳、とか」
「いえ。率直に言って、とてもあなたに似合っていると思います。普段のあなたも魅力的ですが、今日は違った趣向が見られて嬉しいです」
「……。それはその……、ありがとう」

照れてそっぽを向いた拍子に、耳元で揺れるイヤリングに目が吸い寄せられた。小ぶりなそれはドレスに合わせたのか、青みがかった真珠で出来ている。

「そうだわ、あなたにこれを。約束していたスマートウォッチです」

彼女は背後に持っていた紙袋を僕に手渡した。開けてもいいか、と目顔で問うと、彼女はこくりと頷いた。

「IP68加工なので、そこそこ頑丈だと思いますよ。電池の持ち時間は最大3日、15分で60%充電できるコネクタがこちらです」
「“彼”と連絡を取るにはどうしたらいいんですか?」
「勝手ながら、初期設定から少しいじらせてもらって“彼”専用の通信アプリをインストールしています。起動するには横のボタンを6回連続で押してください」

呆れたことに、ギルバート専用の通信アプリは彼女自ら作ったものだと言う。簡単な仕組みのアプリなら、30分あれば作成できるとのことだ。

「ごめんなさい、この後ちょっと呼ばれてて。お時間が許す限り、楽しんでいって下さいね」

彼女は申し訳なさそうに頭を下げて、控室を出て行った。僕は早速スマートウォッチの梱包を剥がし、自分の腕にはめてみる。
多機能型腕時計と言うからもっとごついものを想像していたが、思っていたよりもずっとスリムなデザインだ。日本人好みのしそうなフォルムである。

それからおよそ3分で、僕はこのスマートウォッチの機能について粗方把握していた。今まで部下や潜入先の人間が持っていたものよりもずっと処理速度が速く、データ容量も膨大だった。
そして彼女の指示通り、右側のボタンを6回連続してクリックする。

「―――ハイ、こちらギルバート。通信は良好です」

ヘッドホンを通さずに彼の声を聴いたのは、これが初めてのことだった。

「ギルバート、僕です、安室透です。こちらでは初めまして、ですね」
「ええ初めまして、安室さん。今日は最後まで展示を楽しんでいかれますか?」
「一応、この後はフリーのつもりですよ」
「それでは僭越ながら、私が展示会のガイドを務めさせてもらっても?」

願ってもない申し出に、僕は一も二も無く頷いた。僕一人では理解しづらい展示内容も、彼が解説してくれるならこれほど心強いことはない。

控室を出て展示会場へ行こうと足を踏み出したところで、僕は足元に何か光るものが落ちていることに気が付いた。拾い上げて見てみると、先程彼女が着けていたイヤリングの片割れである。

「気付かずに行ってしまったんでしょうか。後で渡しておかないと……」
「さながら今のさくらは、靴を落としたシンデレラという訳ですね」

最近のコンピュータは言うことが洒落てるな、と思いながら僕は拾ったそれをハンカチで包み、胸ポケットにしまった。



会場に戻って息を呑んだ。

先程までは確かに殺風景だった空間が、今は光の海に変貌していた。
海底を思わせるように隆起した白い舞台に、赤やオレンジ、紫やピンクといった色とりどりのライトが当たっている。その表面をうごめく影があった。
よくよく目を凝らしてみれば、それは白い光を放つトカゲのような生き物だった。子供のイラストのようなタッチのそれは、緑の水底を這い、黄色いクジラの背中をよじ登っていく。

参列者が舞台の上で飛び跳ねると、まるでペンキを散らしたかのように鮮やかな飛沫が広がった。マリンブルー。ワインレッド。ショッキングピンク。
混沌と秩序が入り混じった、幻想的な芸術空間が船の上で作り上げられていた。

一つ一つの展示をギルバートの解説混じりで堪能し、足の下を泳ぐワニを目で追った。

「皆様、お楽しみいただけていますでしょうか?」

誰もが自分の足元に夢中になっていた時、それまで何もなかった空間が突如白く光りはじめた。単純な奈落であるが、これまで凝りに凝った近未来の技術を見せつけられてきた観客たちは、その伝統的な古式ゆかしい仕掛けにすぐには反応出来なかった。

「我々チームラボ、フューチャリングレディ・アンの合同展示会へ、皆様ようこそいらっしゃいました!」

ド派手なスモークの向こうから姿を現したのは、今回の企画者であるチームラボの代表者数人と、見慣れない姿をした見慣れた彼女―――本田さくらだった。

「本日の司会進行は私チームラボの赤松浩人が務めます。そしてこの場を借りてご紹介しましょう、今日の演出を担当してくださったレディ・アンこと本田さくらさんです!」

スポットライトを浴びて微笑む彼女は、艶やかな花弁を見せつける他の花々の横で凛と佇むカラーリリーのようだった。

「それでは皆様、オープニングが終わりましたら賑やかなバーティーへと参りましょう!隣室に皆様のお席とグラスをご用意しています」

まさか本当に、あの何も装飾がないテーブルに案内するつもりだろうか、と僕が慌てたのもお構いなしに、観客は我先にと指定された席へと急ぐ。

「私達も参りましょうか。大丈夫、さくらの料理に間違いはありませんよ」

心配なのは料理ではないし、そもそも調理を担当したのは彼女じゃないだろう、と突っ込みを入れつつ、ギルバートの冷静な誘導に従って、襟を正してパーティー場へと向かった。
やはり真っ白なクロスが張られただけのテーブルに、しかし幻滅したような顔を見せる者は誰一人としていない。規格外の集団を前に、形に囚われたマナー云々を指摘するのは野暮であると、この場の全員が気付いていた。

全員が着席したのを見計らい、ステージに立った司会者が、指揮者が使うタクトを振る。
部屋中を、音の洪水が襲った。
ポール・デュカスの“魔法使いの弟子”―――ウォルト・ディズニーがアニメーションで表現したことで知られている管弦楽曲である。
なるほど彼らを評するのに、これ以上しっくりくる呼び名は無いかもしれない。

「それでは皆様、種も仕掛けも無い真っ白なテーブルにご注目ください!」

司会者が叫んだ途端、照明が消えた。鳴っていた音楽もふつりと途絶え、会場はざわめきに包まれる。
やがてざわめきをなだめるように、会場を穏やかな音色が包んでいった。ドビュッシーの“月の光”だ。

それと同時に、発砲音のような音が響いてテーブルの上に小さな穴が開いた。


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