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さくらさんとベルモットがいる場所が解った、とギルバートさんから連絡が入ったのは、指示を受けてから2分後だった。

「ここから10分ほどの距離です。私のナビに従ってください」
「ああ、任せた」

短く答えて、安室さんはハンドルを切る手に力を込めた。法定速度を守らないのはもうお約束のようなものだ。
俺は真剣な顔で運転に集中する安室さんに、とある提案をした。

「安室さん、到着したら僕が先に行くよ」
「コナン君?」
「今ベルモットは、安室さんの姿に変装してるんだよね?だったら安室さんがお店に入って行ったら、他のお客さんがびっくりしちゃうよ。だから僕がさくらさんを迎えに行く!」
「…………」

反論しようと言葉を探す安室さんに、ギルバートさんも窘めるように言った。

「私もコナン君に賛成です。あなたは“バーボン”として、ベルモットの作戦失敗を嘲笑う練習でもしていてください」
「君の中でバーボンはどんなキャラクターなんだ……。解ったよ、僕は店の外で待機しておく」

口では納得したようなことを言いつつ、不安でたまらないと言いたげな安室さんに、俺は素朴な疑問を向けた。

「先にさくらさんをそのお店から引き離すことは出来ないの?」
「今、さくらのiPhoneはベルモットの手元にあります。それ以外に連絡を取る手段がありません」

ギルバートさんの返事はにべもない。それでも慌てた様子を見せないのは、さくらさんを守り切れるという余程の自信があるのだろうか。

「あと2分で到着します。5分のショートカットですね、お見事です」
「駐車場はあるのか?」
「3つ隣の区画の駐車場に空きがあります。それ以上は近付かないでください、ベルモットにこの車を見られては困ります」
「了解、ありがとう」

一体どんなテクニックを駆使したら、こんなにも的確な情報を提示できるんだろうか。ギルバートさんの正体にますます興味が湧いてきたが、今はとにかくさくらさんの無事を確保することが最優先だ。

「それではコナン君」
「えっ、あ、うん!」

気を引き締めなおした所にギルバートさんから水を向けられ、裏返った声が出てしまった。そんな俺の態度にぎこちなく笑って、ギルバートさんは思いがけない提案をした。

「あなたには今から、さくらの息子になりきってもらいます」
「…………へ?」

*****

最後通牒を突き付けられて、私は震える喉を押さえつけた。

「ふっ……。解ったわ、今回は私達の負けのようね」
「今回も、の間違いだろう?」
「口の減らない男ね。いつか必ず、あなたを見つけ出して殺してやるわ」

あの時死んでいなかったのなら、今度こそ止めを刺してやる。そう脅しをかけてやると、相手は何を思ったか、少し沈黙してぎこちなく笑い始めた。

「ふっ……。アッハッハッハ!」
「何が可笑しいの?」
「いやいや、俺を殺そうとするなんて時間の無駄だと思っただけさ」
「私達に、あなたを殺すことは出来ないと?」

この男は他人を煽る天才なのではないだろうか。私は苛立ちをワインと共に飲み込んで、スマホ画面を睨み付けた。男はやがて笑いを引っ込め、そうかそうか、と呟いた。

「楽しみに待ってるよ!お前たちが俺の寝首を掻きに来るのをな!」

余裕綽々の態度が気に食わないが、ここは引き下がらざるを得ない。私が最後に何か言い返してやろうと口を開いた所で、隣から遠慮がちに声が掛けられた。

「安室さん?」

本田さくらが、不思議そうな顔をして立っていた。トイレから戻ってきたのだろう。随分長かったようにも感じたが、電話に集中していたせいかもしれない。
私は舌打ちを噛み殺しながら、スマホの電源ボタンを押した。

「ああ、さくらさん。すみません、ちょっと仕事の着信が入りまして」
「探偵のお仕事の?お急ぎですか?」
「いいえ、もう終わりましたよ」

そう、今回のミッションは終わったのだ。これ以上この女に深入りして、本格的にあの男にサイバー攻撃を仕掛けられてはたまらない。

(昔はもっと隙があったと聴いていたけれど、今回のあの男はまるで機械のようだった……。付け入る隙なんてどこにも無かった)

悔しいが、今回は私の負けだ。バーボンにどれだけ嫌味を言われるだろうか。勝手に獲物を横取りしようとした挙句、こちらのデータを消されそうになったなんて。

(そうだわ、バーボンは一体何をやってるのよ。そもそもこの女は、バーボンの獲物だったはずなのに)

未だに私が仕掛けた機材トラブルに掛かっているのだろうか。いい加減この女に連絡を寄越してもよさそうなのに、と思ったその時だった。

聞こえるはずのない声が、私達のテーブルに向かって響いた。

「お母さん、こんな所にいた!」
「うん?……コナン君!?」

本田さくらはお母さん、と呼ばれたことにまず驚き、次いで自分をそう呼んだ相手が誰か気付いて、さらに驚きに目を丸くした。
驚いたのは彼女だけではない。私の顔も彼女と同じか、それ以上に驚きに彩られていただろう。

何故ここにこの子が来たのか。まさか彼は、私がこの女を狙っていることに気付いているのだろうか?

そんな戸惑いを肯定するかのように、彼は本田さくらの膝に縋り付きながらも、こちらに向かって鋭い一瞥をくれた。

「お母さん、もうお父さんのこと嫌いになっちゃったの?」
「ど、どういう意味?」
「だって、お父さんが浮気してるかもって思ったから、この探偵さんに調べてもらうように依頼したんでしょ?」

でもこの探偵さん、偽物だよ!と言って、彼は私の顔を指さした。

「お母さんが美人だから、お母さんを自分のものにしようって狙ってる悪い人なんだ!探偵さんなんて嘘だよ!」

ここまで言われて、本田さくらは彼が何を言おうとしているのか解ったらしい。私が本物の安室透ではないという事に漸く気付き、初めてその瞳に警戒の色を乗せた。

「だからほら、早く帰ろう?お父さん、ずっとお母さんを待ってるから……」
「……解ったわ、コナン君。迎えに来てくれてありがとう」

だけどちょっと待ってちょうだい、と言って彼女は私に向き直った。

「ごめんなさい、安室さん。息子が失礼なことを申し上げました」
「え?……いいえ、どうぞお気になさらず」

彼女はさらりと茶番に乗っかった。食事の手を止め、こちらを注視していた他の客を納得させるための演技だろう。

「ですが、どうやらタイムリミットのようです。短い時間でしたが、お世話になりました」

彼女は財布からお札を何枚か抜き、テーブルの上に置いた。そして置きっぱなしになっていたiPhoneと自分の荷物を手に取ると、優雅な仕草で立ち上がる。

「ほらほらお母さん、早くー!」
「解ったから、そんなに引っ張らないの。それでは失礼します、安室さん」

もう二度とお会いすることもないでしょうけれど、と言い残し、彼女は私の大切な少年と手を繋ぎながら去って行った。後に残された私は、小さくなっていくその背をじっとりと睨み付けた。

何も知らずにぬくぬくと守られているだけのお姫様。命を狙われているとも知らず、バーボンへの恋心を利用されそうになったことにも気付かない間抜けなお姫様のことが、少しだけ哀れだった。

そんなことを考えていたのを読んだかのようなタイミングで、背後から声が掛けられた。

「お客様」
「え?……あ、はい」

いつの間にか、私の背後には1本のボトルを手にしたウェイターが立っていた。

「こちらのボトルをお土産に、と先ほどのお客様に注文されたんですが」
「え?お土産って、彼女宛てですか?」
「いいえ、お客様宛てです。本日のお礼、とおっしゃっていましたが……」

一体どういうことだろう。本田さくらの行動の意味が解らなくて、私はウェイターが持っていた小太りのボトルを受け取ってまじまじと観察した。
そしてラベルを確認しようとボトルを反転させて、盛大に固まった。

カルパノ社のアンティカ・フォーミュラ。イタリアで作られている“昔ながらの”という意味のこの酒は、別名をキング・オブ・ベルモットという。

そしてそのラベルの脇に、舌を出してこちらを挑発するピエロのシールが貼られていた。

―――あの女。

私は咄嗟に立ち上がり、店の外までずかずかと歩いて行った。後ろからウェイターが付いて来て何かを捲し立てていたが、そんな雑音は一切耳に入って来なかった。

まんまと一杯食わされたのだ、と気付いた時には、彼女の姿はもうどこにも見えなくなっていた。


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