4ラック先取、あと1つ





事前に打ち合わせをした通り、バーボンは1人で神戸港へ向かったとベルモットから連絡を受けた。決行は明日。この船が港に停泊している最中に、メリケンパークから花火が打ちあがる予定である。

私はターゲットの男の腕に抱かれながら、この男を始末したあとのことを考えていた。
アメリカの私が所属する組織に任された仕事はもう終わる。必要な情報を本国に送ったら、私は―――“ミスティア”は、死ぬことになっている。

だからその前に、最愛の兄の仇に復讐したい。私の願いはそれだけだった。

バーボンが日本の公安警察から潜入しているNOCであることは知っている。組織を壊滅させるために使命を負って任務についていることも。けれどそんなもの、私には関係ない。

私達の組織の目的は、黒の組織を壊滅させることじゃない。あくまで彼らが本国に対して敵対する能力を持っているのか、その意思があるのかを確認し、あるなら弱体化させることが目的だった。脅威になりそうな人間は適当な理由を付けて粛清したり、逆に私の組織に引き抜いたりして、この組織を弱体化させるという目論見は既にある程度成功していた。あとは生かさず殺さず、飼い殺しをしていればいい。

私の組織は、平素はヒューミントと呼ばれるスパイを使った諜報活動は行わないのだが、私が兄を捜すために志願したのだ。使い捨てで構わない、いざとなったらいつでも埃の出ないような死に方をしてくると言って。交渉の結果私の希望は受け入れられ、シギントの効果を直に目で見てモニタリングをする一方で、黒の組織が繋がっている犯罪者集団ともコンタクトが取れるようになった。例外的にヒューミントを許可してくれた上司たちも、今ではそれなりに私のことを認めてくれている。本当に使い捨てる気満々だった中将が、任務が終わったら1杯奢ってやると言ってくれる程度には。

もう少しで任務は終わる。だからその前に、何としてももう一度バーボンと接触する必要があった。だから今回、ベルモットの気まぐれで彼を迎えに寄越してくれると聴いた時、これは天啓なのだろうと思った。この機会を逃せば、きっともう会うことはない。
一人で来てね、と私は彼に念押しした。そして彼は狙い通り、一人で私の元へ向かっているという。

彼はあの夜のことを、なかったことにしたいのだろう。けれどそんなことは許さない。
私をどう扱ったとか、どんな態度を取ったとか、そんなことはどうでもいい。兄が自分のせいで死んだという事実を知らずにいることは許さない。

ライは。
ライは何度も、バーボンのせいじゃないと言った。
勘違いしたのは兄の方だと。バーボンの足音に気を取られて、シリンダーから自分が手を離さなければよかったのだと、ライは何度も私に言った。
私はその度に、聞き分けのいい部下のふりをした。彼には私の秘めた殺意は筒抜けだっただろうけど、それでも私だって譲れないものがあった。

バーボンに復讐する。兄の死の真相を突き付けて、絶望に叩き落としてから殺してやる。

そんなことを、スコッチが望んでいると思うのか。
と、ライは不良生徒を叱る教師のように何度も言った。

お前が兄の復讐のために生きることを、スコッチが喜ぶとでも思っているのか。俺にも妹がいるからよく解るが、兄のための復讐なんてさっさと忘れて、自分が幸せになる道を探してくれた方が、何倍も嬉しいぞ。

今思い出しても反吐が出る。反吐が出そうなほど、正論だ。誰より幼馴染を大事にしていたあの兄が今の私の気持ちを知ったら、きっと殴られるだけでは済まないだろう。
けれどそんな正論では、私の心は癒されない。癒しが欲しいなんて、これっぽっちも思わないけれど。

「どうした?何を考えている?」

何も知らないターゲットの男が、私を愛おしそうに撫でる。私は精々弱々しく見えるように、薄く微笑んで答えた。

「音楽を止めてください。気が散ってしまうので」

私の言葉に、男は苦笑してリモコンを操作した。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番が、前触れも無く途切れていく。

「これで満足かい?」
「ええ……」

どんなに美しいオーケストラも、ヴァイオリンの旋律も、直に触れる肌や髪を梳く手の温度ほど私を癒してはくれない。私が媚びるようにそう言うと、彼は哲学的なことを言うね、と満足そうに頬を緩めた。子供のようなこの男は、私が美しく知的であればそれを従えている自分の価値も上がるのだと、純粋に信じている節があった。

(馬鹿な男……)

私が欲しい温もりは、お前のものではないというのに。

私の肌をくすぐる明るい髪。
暗闇の中でもきらきらと雫で光っていた蒼い瞳。
引き締まった浅黒い肌―――たった一度しか触れていないのに、こんなにも鮮明に思い出せる。

バーボン。
あなたの手は、とても熱くてとても痛かった。

その痛みを忘れるな、と私は自分自身に言い聞かせる。
癒しなど要らない。甘い感情も必要ない。私に必要なのは、あの夜の復讐心を忘れないでいるための、強烈な苦痛だけだ。

明日、全ての幕が下りる。せめて笑って終焉を見届けようと、私は物憂げに瞼を伏せた。


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