ブレイクショット





数年ぶりにバーボンに会った翌日、懐かしい夢を見た。目を覚ました時には隣にターゲットの男が寝ていて、私は逸る呼吸をなんとか押し殺すことに集中した。

随分と昔の夢を見ていた。
今から20年くらい昔の夢だ。私はまだ4歳の子供で、あの頃は体が弱かったから、大好きだった小兄ちゃんにいつも心配そうな顔をさせていた。歳の離れた大兄ちゃんとは、お母さんとお父さんが死んだときに別々の家に引き取られたこともあって、しばらく会えていなかったけれど、小兄ちゃんが居てくれたお蔭で、私はちっとも寂しさを感じずに幼少期を過ごすことが出来た。

小兄ちゃんは、妹の私から見ても自慢の兄だった。イケメンだし、優しいし、かと言って真面目一方というわけでもなくて。ベッドに籠りがちな私の部屋に来ては、面白い話を沢山聴かせてもらった。

あの日は珍しく、いつもは38度以上ある熱が引いていた。私が久しぶりにベッドから出て着替えていると、小兄ちゃんは幼馴染の子と遊びに行く、と言って、玄関から出て行こうとしていた。
その袖を引っ張って、私は生まれて初めて小兄ちゃんに我儘を言った。一緒に遊びに行ったら駄目かな、と。
小兄ちゃんは少し驚いていたけれど、すぐに笑って頷いてくれた。絶対に僕達から離れちゃだめだよ、と忠告して。

小兄ちゃんが幼馴染の子と待ち合わせをしていたのは、家から15分ほど歩いた公園だった。通学路の途中にある公園だけど、まだ学校に通っていなかった私にはなじみの薄い場所だった。
その公園の真ん中に、4つ並んだブランコの一つに、幼馴染の男の子は座っていた。

―――ゼロ。
と、小兄ちゃんはその子を呼んだ。

私は驚いて固まっていた。小兄ちゃんの幼馴染が、まさか外国の人だとは思わなかったのだ。陽の光を反射してきらきら光る金の髪が、浅黒い顔を半分隠していた。
やがて男の子は顔を上げて、小兄ちゃんと私を見た。

きらきら光っていたのは髪の毛だけじゃなかった。男の子の透き通るような青い瞳もまた、陽光に負けないくらい綺麗に光っていたのだ。
そして彼は、口を開いた。そこから聞こえてきたのは、紛れもなく流暢な日本語だった。

何だよ、ヒロ。女なんか連れてきて。

不服そうに唇を尖らせたゼロくんに、小兄ちゃんは私を紹介した。

こっちは、僕の妹のひかりだよ。ゼロ、会ったことなかったよね?
妹?そういや、いっつも病気で寝てるって言ってたっけ。
そうそう。ほらひかり、挨拶は?

小兄ちゃんに促されて、私は慌てて背筋を伸ばした。誰かの目に晒されることの少なかった私には、名前を名乗ることも緊張するものだったのだ。

初めまして、わたし、ヒロミツお兄ちゃんの妹です。ひかりっていいます。
ひかりちゃんか、初めまして。僕の名前は降谷零。
れい、くん?でもさっき、小兄ちゃんはゼロって……。
ゼロっていうのはあだ名だよ。景光だって、ヒロとかひーくんとか呼ばれてるだろ?
ひーくんとかふざけて呼んでるのはゼロだけだよ。……まあ、ひかり、これからゼロとも仲良くしてくれたら嬉しいな。

そう言われて握手を交わした男の子は、いたずらっ子のようににぱっと笑った。絵本から出てきた王子様のような見た目なのに、頬や腕に貼られた絆創膏を見て意外とやんちゃな性格なのかも知れない、と私は幼いながらに何となく悟った。

5歳年下の私が一緒だと、どうしても男の子の遊びに付いていくのは無理がある。でも2人は決して嫌な顔をせずに、私が無理をしなくてもいいような遊びばかりを選んでくれた。
久しぶりの外の空気があまりにも楽しくて、私は油断をしていたのだと思う。
公園に備え付けてあったパンダの像によじ登っていた私は、ゼロくんが背中から手を離した途端に真っ逆さまに落ちてしまったのだ。

パンダの腕に、咄嗟に足を引っ掛けようとしたのも悪かった。塗装が剥げていたことに気付かず、私の太腿の表面に尖った部分が突き刺さったのだ。
背中から地面に落ちた私は、急に視界が変わったことと全身が痛かったことで、風船が割れたような勢いで泣き始めた。

ごめん、本当にごめんな、と謝るゼロくんの声も、半分も耳に入っていなかっただろう。抱き締めてくれる小兄ちゃんに縋り付いて、幼い私はひたすら泣き喚いた。騒ぎを聴いた近所の大人が、慌ててうちに飛んで行って親戚を呼んできてくれなければ、私はいつまででもその公園で泣き続けていた自信がある。

その時から、私の太腿の内側には醜く引き攣れた傷跡が残った。その場である程度止血もしたし、水道で洗い流しもしたけれど、子供の柔らかい肌に痕を残すには十分すぎる怪我だったようだ。

ゼロくんと会ったのは、後にも先にもその一度きりだった。それからすぐに私は体調を崩して、入院生活を余儀なくされたからだ。

ただ、その日の記憶として今でも鮮明に思い出せるのは、大泣きする私よりもよっぽど泣きたそうに歪んでいた、ゼロくんの顔だった。





懐かしい夢は、それで終わるはずだった。太腿に残る傷跡を見て偶に思い出す程度の、遠い記憶になるはずだった。

それがまさか、兄を追って潜入してきた組織の中で、教育係と下っ端として再会することになるなんて、それこそ夢にも思っていなかった。

探していた兄は、私が潜入し始めてからほどなくして死んだ。私は持病の治療のために長らくアメリカにいて、ある事情からアメリカ国籍を取得していたのだが、私が属しているアメリカの組織と兄が属していた組織は国籍からして全くの別物だったから、兄は私がこの組織にいたことさえ知らないままだっただろう。ゼロくんは―――私の教育係に任命された男は、どうやら兄に私の事を伝えていなかったようだった。

私の事を覚えていないのだろう、と思った。一度しか会わなかったし、その一度きりの記憶は決して楽しいものではなかったからだ。だから私も覚えていないふりをした。

そしてあの日、私は兄が死んだのだという話を彼から聴いた。

僕が駆けつけた時には、スコッチはもう血だまりの中にいた。
あと一歩あの場に到着するのが早ければ、スコッチを死なせることはなかったのに。
ライがいたんだ。僕より先に、ライがスコッチの傍にいた。あいつは言った、俺が拳銃で心臓をぶち抜いてやったって。
許さない、絶対に許さない。いつか必ず、ライを殺してやる。

普段の彼なら決して他人に聴かせないような乱暴な物言いを、不安定になっていた彼は私に向かって吐き出した。私はそれを静かに泣きながら受け入れた。私が泣いていることに疑問を持つ余裕すら、この時の彼は見失っていた。

そしてそのまま、どちらが誘ったのかも解らないまま、裸で熱を交わしていた。

雰囲気も情緒もない、現実から目を背けるためだけの、獣のようなセックスだった。
互いの胸に空いた穴を、埋めようがない喪失感を、目の前に居る相手で埋めようとした。

それからすぐに彼からバディを解消したいと進言があったと、ラムという組織のNo.2に告げられて。


―――彼は私が何者であるかを知ったのだと、無意識の内に私は太腿の古傷を撫でていた。


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