3ラック目も死守





「こんにちは、バーボン。私のこと覚えてる?」
「ええ。お久しぶりですね、今は“ミスティア”でしたか」

バーボンは何年経とうと変わらない容姿のまま、あの頃と同じ昏い微笑みを浮かべていた。その笑顔がどこかぎこちなく見える、かと思いきやそんな様子はまるでなくて、彼はまるっとあの夜の記憶を置き去りにしてしまったようだった。

「それはよかった。今回はよろしくね」
「ええ、よろしくお願いします。概要は聴いていますか?」
「うん。あなたが迎えに来てくれたら、それが処分の合図。だよね?」
「けっこうです。では、具体的にどうターゲットを処分するか決めましょうか」

バーボンは年下の私に対しても敬語を使う。これも数年前と変わらない。私はコードネームを貰った時から敬語を使わなくなった。それとなくベルモットに忠告されたのだ。
ただでさえ若い女は舐められやすいのだ。だったらせめて、態度だけでも舐められないようにしなさいよ、と彼女は言った。

「あなたの得物は銃でしたね」
「え?ああ、うん。拳銃が主だけどね」
「ライフルは使わないのですか?」
「遠距離の狙撃よりは、至近距離で撃ち込む方が多いかな」

私の役割は斥候及び潜入後の暗殺だ。ターゲットに近付いて、後ろからズドン。ベッドの上でズドン。そんな仕事ばかりしている。

「どうしてそんなこと訊くの?」
「いえ。……ライと組んでいたのなら、狙撃銃の扱い方を教わっているのかと思ったので」

私は目を瞬かせた。バディを解消された後の私の経歴を、彼が知っていたとは驚きだ。
私は笑って逆だよ、と答えた。

「と言うと?」
「ライが長距離射程の狙撃銃の扱いに長けてたから、相方だった私は短距離射撃の方が得意になった。あの男よりは、私の方が前線に出ることの方が多かったしね」
「なるほど」

自分から話題を振ったくせに、ほとんど興味無さそうな声で、バーボンは相槌を打った。

「では今回も、仕上げはあなたにしてもらうとしましょうか。そもそもあなたの獲物だったんですし」
「解んないよ?バーボンが来たらあなたに鞍替えされちゃうかも」
「おや、その男はそういう性癖の持ち主なのですか?」

バーボンは私の軽口に付き合ってくれた。今日は機嫌がいいらしい。……これだけの会話で機嫌の良し悪しが解るほど、彼と一緒にいた期間は長くはなかったはずなのに。
バーボンは目を細めて、おかしそうに笑った。

「あなたなら、例え相手がゲイであろうと落とすことなんて造作もないでしょう」

それとも自信がないんですか?と問う口調は完全に私を揶揄っていた。持ち上げて落とすとは、この男は人の神経を逆撫でする術をよく心得ている。
言われっぱなしは性に合わない。せっかく機嫌がいいのなら、こちらも少々悪乗りさせてもらおう。

「どうだろうね。それはあなた自身がよく解ってるんじゃない?」
「…………」
「それよりも、バーボン。ターゲットの繋ぎ役に手渡すワインなんだけど」

一瞬で彼の表情が抜け落ちたのを見て、私はすぐに話題を変えた。彼は私の意図を汲んで、私が見せたタブレット画面を覗き込む。
画面に並んだボトルを見て、彼はふむ、と顎に手を当てた。

「こっちのブルゴーニュか、チリ産のか迷ってて」
「ブルゴーニュがいいんじゃないですか。南米のものなら、彼らは飲み慣れているでしょう」
「それもそうか。じゃあこっちの物を買いに行こうっと」

正規品を手に入れるつもりなんて元からない。ブルゴーニュのグラン・クリュなんて、正規の価格で求めたら一体いくらになるか知れたものではない。どうせ始末する男にそんな高い物を買ってやる必要性はないだろう。
私が密売人に連絡をつける手はずを整えている間、彼はじっと私の顔を見つめていた。

「よし、明日滝沢って男が横浜湾にシャンベルタンを持ってくるから、バーボン、代わりに受け取っといてくれない?」
「僕を使うつもりですか?随分と面の皮が厚いですねぇ」
「私は今すぐにターゲットの所に戻らなきゃいけないからね。怪しまれたら元も子もない」
「ああ言えばこう言う……。解りました、では次に会うのは来週の土曜日になるでしょうか」
「うん、そうだね。待ってるから、すっぽかしたりしないでよ?」

あなた一人で迎えに来てね、と私は薄く笑って付け加えた。他に“お仲間”を連れてくるなよ、という牽制である。
公安警察が私のターゲットを狙っていることは知っている。そして目の前のこの男が、公安警察から来たNOCだと疑われていることも知っている。

それどころか、私は彼が正真正銘のNOCであることも知っていた。

けれど彼が私の前で“バーボン”であろうとするのなら、私もそれに付き合ってやるだけだ。

「……ええ。必ず助けてさしあげますよ、プリンセス」

だからいい子にして待っていてくださいね、と言って彼は私の手を掬った。手の甲に彼の唇が落ちてきて、とても恭しく扱われているような気分になる。

その口元に、凶悪な犬歯が見え隠れしていなければ、の話だが。

「あっぶな。銃を扱う人間の指に噛み付こうとするなんて、ホント、油断も隙もあったもんじゃないね」
「僕相手に、あなたが油断?笑わせますねぇ」

偶にはそんな可愛げも見せて下さいよ、と彼は嘘か本気か解らない口調で言った。
私は彼の歯の感触が僅かに残る利き手を握りしめ、威嚇するように彼の足元を睨み付けた。


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