2ラック先取





“バーボン”とは一度寝たことがある。
私と彼の共通の記憶は、それだけだ。

あれは一体いつのことだったか、もう記憶も曖昧だ。確か日本の公安警察の潜入捜査官、いわゆるNOCだったスコッチが死んだ頃だったから、もう年単位で前の話になる。

「で、そんな昔話を持ち出して、どうしたの?ベルモット」

前回から時間は少し遡り、私が武器商人の元に愛人兼用心棒として潜り込んでから3カ月が過ぎた頃の話である。私はベルモットに呼び出され、久しぶりにターゲットの船から解放されて揺れない世界を味わっていた。
が、わざわざ高級フレンチにまで来て、前触れも無く昔の記憶を掘り起こされたんじゃ、その解放感も霧散していくようだった。

私は上品にオマール海老と桃のマリネを切り分けるベルモットに、胡乱げな目を向けた。バーボンとのことは別に隠している話でもないし、突っ込まれた所で痛くも痒くもないのだが。

「そんな顔をしないでよ、ミスティア。何も感想を聞こうってんじゃないわ」
「聴かれたって覚えてないよ。彼とはそれきり会ってもないしね」

私は桃の甘味と海老の食感が口の中に広がっていくのを楽しみながら、蒼い瞳が獣のように鋭く私を射抜く瞬間を思い出していた。

バーボンとは一度寝たことがある。
けれど、本当にそれだけだ。

確かあの頃、私は組織に入りたての新人で。情報収集に長けた彼に、そのノウハウを教わるようにとジンに言われ、彼に付くことになったのだ。

一緒にいた期間は短かった。多分2ヵ月にも満たない。何故バディを解消されたのかと言えば、彼の方からそう進言があったのだそうだ。理由は言わなかったらしい。
まあ、理由に心当たりがないわけではない。やっぱりあの夜の、彼が私に手を出したことが直接の原因なのだろう。彼があの一夜の過ちをひどく後悔していることは、ことが終わった後の態度からも窺えた。

そんなに気にすることもないだろう。処女を奪われた訳でもあるまいし。
そう思いはするものの、上役だった彼の言葉に私が楯突けるはずもなく、そのままバディは解消された。代わって私の教育係についてくれたのが、これまたのちにNOCだったと判明することになるライだった。

「で、今更バーボンの話なんて持ち出してどうしたの?」
「ええ、実は彼、NOCの疑いが持たれててね。その動向を見張るために、あなたともう一度組ませようとしてるのよ」

そう言えばついこの前、日本の東都水族館で派手にドンパチをやらかした時、キュラソーのメールでバーボンはNOCだと書かれていたんだった。その後でやっぱり白だった、という証言は得たけれど、キュラソーは結局組織を裏切ったのだから、その言葉もどこまで当てになるか知れたものじゃない。というのが、組織の上層部の考えだ。

スコッチ、ライ、そしてバーボン。その3人に同じ容疑が掛かるなんて、因縁めいたものを感じずにはいられない。

なるほど、と頷いて私は白ワインに口をつけた。ノルトハイマーフェーゲルアインのさっぱりした酸味が、海老の風味を際立たせる。

「組むのはいいけど、彼、私のことなんて覚えてるかな」
「あら、彼の記憶力を舐めてもらっちゃ困るわね。彼はターゲットにした相手の顔は全員覚えてるって噂よ」
「私はターゲットじゃないんだけど」

最後に会った時、私はコードネームすら与えられていなかった。ライと組むようになって半年後、ラムという人物から突然電話が掛かってきて、この“ミスティア”というコードネームを与えられた。だから彼は、私と組めと言われてもミスティアなんて相手に心当たりなどないだろう。

「じゃあ言い方を変えましょうか。一度寝た女のことは、忘れたりしないわよ」
「…………」

いつまでその話題を引っ張り出すつもりなのか。私がじろりと睨んだのを察知してか、ベルモットはわざとらしくにっこりと微笑んだ。

「だから今回も、あなたに向いていると思って2人を組ませることを提案したの。あなた今、長丁場の潜入任務を行ってるでしょう」
「うん。神戸に拠点を置く武器商人のとこね」

愛人として潜り込んでから3ヵ月。そろそろ証拠も集めきったことだし、これ以上あの男を泳がせておいても得は無い。命令があれば、いつでも処分するつもりだった。
このターゲットを狙っているのは、私達の組織だけではない。彼を狙う敵対勢力の中には、日本の公安警察も含まれている。バーボンを迎えに来させようというのは、そういう意図もあるのだろう。

でも、ベルモットの思惑はまた違う所にあるようだった。

「だから囚われのお姫様のお迎えに、王子様を遣わそうと思って」

と、ベルモットは楽しそうに言った。

「誰が姫で、誰が王子だって?」
「決まってるでしょ。あなたがお姫様で、バーボンが」
「ああごめん、訊いた私が悪かったよ」

頭が痛くなりそうだ。お姫様なんて形容される柄じゃない。しかしまあ、表現は気に食わないが、それぐらいなら別にいいか、と私は軽く頷いた。彼の迎えを待ちながら、ついでにバーボンの動向も見張ればいいという話である。もしもターゲットの処分に関して思う所がありそうなら、彼がNOCであるという疑いがより強まるだけだ。

「解った。迎えはいつ?」
「一週間後の土曜日よ。花火大会があるでしょう」
「ああ、理解した。つまりその日、徹底的にカタを付けて来いってわけね」

花火の音に紛れて、ターゲットを抹殺してこいと、これはそういう指示である。私は愛用の銃器を思い描き、お皿に残った最後の海老にフォークを刺した。

とりあえず今日中にでも、バーボンと挨拶がてら打ち合わせでもしようかな。私はそう決めて、ソースを絡めた海老を咀嚼した。


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