最終戦はブレイクエース





絞り出すような声で遂に心を曝け出した彼女は、弱弱しい声でひどい、と言った。

「ひかり……」
「も、ひどいよ、ゼロくんのばか……っ!受け入れるつもりなんてないくせに、優しいふりなんかしないでよ」
「こんな時に、僕は嘘を吐いたりしない。僕が全部受け止めるって言っただろう?」
「そんな同情で優しくされても、嬉しくない……!」

やはり彼女は、僕の気持ちにこれっぽっちも気付いていないのだ。僕は駄々っ子を宥めるような気持ちで、彼女の濡れた頬を撫でた。

「同情なんかじゃない。僕は、君のことが好きだ」

ひゅっ、と彼女の喉が鳴った。うそ、と震える唇から小さな声が漏れる。

「嘘じゃない。あの夜、君に触れた時から僕は君のことが好きだった」
「嘘だよ、だって、……だったらなんで、あの日私を見捨てたの?」

あの日というのがスコッチの死んだ日のことだと解って、僕はぐっと唇を噛み締めた。

「小兄ちゃんも死んじゃって、あなたにも見捨てられて、私がどれだけ傷付いたか……!」
「見捨てたかった訳じゃないが、そう思われても仕方ないのは解っている」
「だってあなたは、私が誰だか解ったから、私が“景光の妹”だって知ったから、だから私から逃げたんでしょ?」

私を好きだというのなら、あんな時こそ傍に居て欲しかったのに。彼女はそう言ってぼろぼろと涙を零した。
僕は彼女の体を抱き起し、自分の胸元に小さな頭を引き寄せた。

「違う。景光がNOCであると知られたら、あいつと親しかった僕に疑いの目が向くのは必然だった。そしてあいつに似てる君にも、同じ疑惑が掛かっていたかも知れない」

だからそうなる前に、彼女は僕とは無関係の人間だと組織に証明する必要があったのだ。

「…………。ほ、本当に……?」
「本当だ。不器用過ぎて伝わらなかったかも知れないが、僕は君が大事だったんだ」
「……私が、小兄ちゃんの妹だから?」
「それもあるが、それだけじゃない。……ああクソ、信じてもらうというのは難しいな」

いいか、と前置きしてから僕は彼女の肩に手を添えて、その顔を真っすぐに見つめた。

「何度でも言う。僕は、君のことが好きなんだ。あの夜にそのことに気付いて、だからものすごく後悔した。傷の舐め合いのようなセックスをしてしまったことを、それが始まりだったことをな」
「……何、それ……。だからあの後、あんなに素っ気なかったの?」
「ああ。もう何年も前の話だ、僕だってまだ若かった」

若気の至り、そう思って切り捨てられたらどれほどよかったか。
幼馴染が死んだショックで、その妹に衝動的に手を出して、挙句惚れていたことに気付いて。これで後悔しない訳がない。

バディの解消を申し出た後も、彼女の様子を密かに見守ることはやめなかった。だから彼女がコードネームを与えられたことも知っていた。さすがに赤井と組むと聞いた時は、色んな意味で穏やかならざる気分だったが。

「……もう、ホント、ばかじゃないの……。私が今まで、どんな気持ちで……!」

誰かを憎み続けるということは苦しいものだ。僕も今の今まで赤井を憎み続けてきたから、その気持ちはよく解る。その全てが徒労だったと知るのも、中々堪えるものがあった。

「あなたのこと、憎くて憎くて堪らなかった。でも、憎いと思った分だけ好きになった。あなたのことを考えるのが辛かった。だけどあなたのことを思っている間だけ、私は私で居られる気がした……」
「……ああ」
「ねえ、ゼロくん。私、本当に願ってもいいの?あなたと同じ方向を向いて生きていくことを、願ってもいいの……?」

彼女は今日、僕の目の前で死ぬつもりだった。だから今の彼女は、生まれたばかりの子供も同然なのだ。生きたいと願うことは、彼女にとって赤ん坊が初めて声を上げて泣くことと同義なのだ。
だからだろうか、こんなにも無条件で愛おしいと思うのは。

「ああ。だってそれは、僕の願いでもあるからな」

彼女は今日死ぬつもりだった。と言うことは、彼女が所属する組織から任された任務は全て終わったのだろう。だとすれば、彼女はアメリカに帰って、また組織のために働くのが定石だ。
ならばここで、僕達を繋ぐ糸は途切れてしまうことになる。それでも、僕は確信していた。

「僕達はこの人生の中で、思い掛けない出会いを何度もしてきた。次に出会うのが何年先になるかは解らないが、僕はいつでも信じている」

僕達は何度でも、運命の糸に引かれて出会うことになるだろうと。それを君は呪いだと言うかも知れないが。

僕が彼女の両手を握って苦笑すると、彼女は幼い頃の泣き顔と全く同じ表情で、何度もこくこくと頷いた。

「運命の糸でも、呪いでもいい。あなたが信じてくれるなら、私も信じる」

待っていて、と言って彼女は泣きながら微笑んだ。

「いつかきっと、あなたに会いに帰ってくるから。黒の組織が壊滅して、あなたが少しでも平穏を取り戻せたその時に」
「……ああ。2人で景光に会いに行こう」
「ライも一緒に―――」
「それは却下だ」

思いがけず奴に対するわだかまりが勘違いだったと知れたものの、いきなり仲良しこよしという訳にもいかない。景光のことを抜きにしても、奴とは色々あるのだ。
僕がそう言ってそっぽを向くと、彼女は小さく吹き出した。

「小兄ちゃんには、きっと怒られちゃうね。私もゼロくんも、数年間も何やってたんだって」
「本当にな。すれ違って、勘違いして、憎んでるふりをして……」

何年も経たないと、こうして面と向かい合う覚悟も出来なくて。
けれどそのお陰で、遠回りした年月の分だけ彼女への思いも深くなった。

僕は彼女の肩を引き寄せ、その唇にキスをした。不意打ちのようなキスだったが、彼女はやがてゆっくりと瞼を下ろして荒々しい口づけを受け入れた。
何度か舌を絡め合って、互いの体を強く抱きしめる。体温が上がっているのを自覚して、僕は彼女の体の輪郭をそっと撫でた。

「…………っ」

彼女は僕の意図を正しく理解した。ぎゅう、と僕のバスローブを握りしめる手に力が籠る。

それが合図だった。





二度目のセックスは、キスをしすぎて酸欠になりそうなほど激しくて、拙いものだった。それでいて互いの心に初めて触れる快感が、まるで麻薬のように思考回路をどろどろに溶かしていって、泣きたいくらいに幸せだと感じていた。

その最中に、彼女はそっと囁いた。睦言のように、甘く蕩けた声で。

“バーボン”にお願いがあるんだ。
…………。ええ、何ですか?
“ミスティア”を殺すのは、あなたがいい。

息を呑む僕に、彼女は陶然とした笑みを浮かべて畳みかけた。

今回の任務が終わったら、どのみち“ミスティア”は死ぬつもりだったの。替え玉の用意だって出来てる。だからお願い、

―――あなたが私を殺して。

ぞくり、と得も言われぬ感覚が背筋を昇って行った。それが彼女の最大限の愛の表現なのだと気付いて、僕は嫣然と微笑んでみせた。

ええ。誰が見ても文句のないよう、“あなた”を美しく殺してさしあげますよ、と。

僕の答えを聴いた彼女は、永遠の愛の誓いを聴いたかのように嬉しそうにはにかんだ。


Fin.


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