大逆転マッセショット





大事な幼馴染の妹は、数年前の夜と同じようにはらはらと涙を零していた。
漸く、その分厚い仮面を剥がすことが出来た。今の彼女は“ミスティア”ではなく、紛れもなくあの幼かった“ひかり”なのだと実感する。

「僕を殺すと言っておきながら、いざ死ぬかもしれないとなったらそんなに泣くんですか。おかしな人だ」
「笑い事じゃないでしょ!?なんで解毒薬を飲まなかったの……!」
「言ったはずです」

僕は彼女の涙を指で拭った。こんなに泣かせて、いずれあの世で会った時に景光に1発や2発殴られるかも知れないな、と一人ごちる。

「僕は死にませんよ。解毒薬なら、とっくに飲んでいますから」
「……、どういう、こと?」
「よそで出されたものは口にしない。それが僕の流儀です。ただ、どうしても何かを口にしなければならない状況というのは出てくるでしょう」

そういう時のために、常日頃から歯の間にカプセル状の解毒薬を仕込んでいた。そしてそのカプセルは、既に先ほど噛み砕かれて僕の体内に吸収され始めている。
僕がそう説明すると、彼女はほっとしたように短く息を吐き出した。けれどすぐにその濡れた眦が吊り上がる。

「何、それ……。あなた、そんなにしてまで命が惜しいの?あなたのせいで死んだ人間に、何か思うことはないの?」

彼女はふてぶてしく見えるようにと、精一杯の罵倒を浴びせた。だがその思惑を知ってしまった今では、些細な抵抗にもなっていない。

「僕は、まだ死ぬわけにはいかない。仲間達が僕に残してくれた意思を、技術を、僕だけが受け継いでいけるんです」

警察学校の同期で仲が良かった奴らは全員死んだ。そして大事な幼馴染も、僕のせいで自殺という形で喪ってしまった。彼女の言う通り、普通なら絶望のどん底に堕ちてもおかしくない。
けれど僕は諦めることができなかった。生き汚いと言われようが、死んだ人間に不誠実だと言われようが、彼らが託してくれたものが僕の中で生きているのだ。それを僕が守ってやらなければ、それこそ彼らに顔向けが出来ない。

「命が惜しいかと訊きましたね。惜しいに決まってるでしょう。僕を生かすために、これまで大勢の部下が犠牲になったこともありました。今だって、命を懸けて付いてきてくれる同僚や部下がいます」

僕の命は、公のものであって個ではない。この命は、そんなに安くはない。

「だからどんなことをしても、僕は生き延びてみせますよ。生き抜くための見苦しさを、僕は恥とは思わない」

僕がそう言い切ると、彼女は全身から力を抜いて微笑んだ。

「……あなたは、光の中で生きている人間なんだね。どんなに絶望したって、前を向く強さを持ってる。私にはそんなものない」

私はどこまでも過去から逃れることが出来ない、と彼女は喉を震わせた。
彼女の哀しい独白に、僕は胸の内でやり場のないもどかしさが渦巻くのを感じていた。

「だからせめて、あなたに全てを突き付けて、傷跡を残して死にたかった。なのにあなたは、それも許してくれない……」
「ひかり……」
「私を殺してよ、ゼロくん。私はもう、あなたへの復讐にしか生きられない女なの」

悔しかった。そんな風に、最初から自分の事を、諦めてしまっている彼女の生き様が。
復讐なんて、哀しいものの為に生きたいだなんて、思わせたくなかった。

いや、むしろ彼女は生きたいとすら思っていない。それが無性にやるせなかった。

「いいえ、僕はあなたを殺さない。あなたはまだ、心まで暗闇に堕ちてしまった訳じゃない」
「嘘だ……。小兄ちゃんが死んでからずっとずっと、私はあなたへの憎しみっていう自分の影から逃げようとしてた。でも出来なかった。いつもいつも、私につきまとう影がどこからか私を見張っているような気がして……」

いつかその影に絞め殺されてしまいそうで、息が詰まりそうだったと彼女は叫んだ。

「私だって、あなたを忘れられるなら忘れてしまいたかった!だけど出来なかった―――だって私は、」

ここで彼女は我に返ったように言葉を呑みこんだ。だがそれを見逃してやるほど、僕は優しい男じゃない。
僕は彼女の両手首を顔の横で拘束した。間近で揺れる瞳を覗き込む。

「ひかり。この期に及んで隠し事はなしですよ」
「いや、いや……!言いたくない!」
「僕は言ったはずです、命が惜しいと。それは僕の命だけじゃない」

僕はなかなかどうして強欲な男だ。そうと自覚したのは、彼女を初めて抱いたあの夜のことだった。

「僕は、あなたの命すら惜しむ男ですよ。この僕をとことんまで追い詰めようとしたくせに、自分は楽に死ねると思ったんですか?」
「ひ、……っぅ」

怯えた表情も可愛いものだ。僕はその耳元に唇を近付けて、言え、と迫った。
彼女が“ミスティア”としての仮面を捨てた今、僕も“バーボン”でいる必要はない。

「言え、ひかり。本当に欲しいものは何だ」
「欲しいものなんて、そんなもの、ない……」
「嘘だ。君はその手に何でも掴める。何もないということは、無限の可能性があるということだ」
「…………!」

彼女は目を瞠り、茫然と僕を見上げた。そんな言葉を言われるなんて思っていなかった、とその瞳にありありと書かれていた。

「言え、本当に欲しいものを。隠すことなく曝け出せ。僕が受け止めてみせるから」
「ゼロ、くん……」
「ほら。……いい子だ、言えるだろう?」

僕がそっと頭を撫でると、彼女はしゃくり上げるように喉を震わせた。
そして言った。ほんの小さな、蚊の鳴くような声量で。

欲しい、と。

「ゼロくん……、わたし、欲しいよ。未来が欲しい……」
「……ひかり」
「あなたを憎んで生きる未来じゃない……。あなたを愛して生きる未来が欲しい」

逃れたいのに、忘れたいのにそう出来なかったのは、あなたを愛してしまったからだと彼女は告げた。
胸が締め付けられそうだった。こんなにも苦しい気持ちになる愛の告白は初めてだ。

けれど同じ苦しみを僕もずっと抱えていたことなんて、今も彼女は夢にも思っていないのだろう。


[ 9/11 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]