02
それから数日後の土曜日。今日は母さんがお昼の仕事から帰ってきたら一緒にショッピングモールへ行くんだ。今からソワソワしてしまい、家を歩き回った。
まだかなぁ、まだかなぁ、もうそろそろだよなぁ。
何度も何度も玄関とリビングを行ったり来たりを繰り返す。ぷるるると固定電話が音を鳴らす。母さんかな?もしかしたら、遅くなるから連絡くれたのかもしれない。
「はい!ナマエです!!」
「名前くん?オバチャン、覚えてる?梨香子さん、お母さんの働いてるパン屋さんの店長なんだけども…」
「てんちょうさん??このまえ、アメくれたひと??」
店長さん、母さんのお昼の職場人だ。
なぜ、そんな人から連絡が?
俺の背筋に嫌な汗が走った。
「あのね、お母さんが」
やだ。それ以上言わないで。さっき、俺の護符が消えた気配を感じたけど。それ以上は言わないで。
「病院に運ばれたの」
がしゃん。手から滑り落ちた受話器が電話機台にぶつかり、コードが伸び切りぶらんと垂れ下がっている。受話器の向こうから焦った声が聞こえる。へたりとその場に座り込んでしまうも、その手を受話器に伸ばし耳に当てた。
「かあさん、だいじょうぶなの…?」
「え、えぇ、大丈夫よ。おばさん、今からお家に迎えに行くから一緒にお母さんのところいきましょう?」
「…う、ん」
受話器の向こうからすぐ行くからね、大丈夫だよと心配してくれる声が聞こえたが暫くするとツーツーという音が鳴っている。
ひんやりと冷たいフローリングがお尻を冷やす。ぶらんぶらんと揺れる受話器を眺めてどれだけ経ったのか、暫くすると控えめなチャイムのと音が聞こえはっと意識を取り戻した。重たい腰を上げ、玄関の鍵を外すと見知った顔のおばさんがいた。
「てんちょう、さん…、かあさんは?」
「大丈夫よ、お母さんのお洋服持ってこうか?」
「うん」
お母さんの洋服をカバンに詰め込むときゅっと眉を下げ、それでも俺に不安を与えないように微笑みながら「行こう?」と手を差し伸べてくれた。店長さんの手を引かれながら、タクシーに乗り込む。病院の名前を告げるとそのままタクシーが動き出した。
ぼんやりと流れている街並みを眺めているといつの間にか、肩を揺らされた。目の前には大きな病院で、店長さんに手を引かれるように病室へと足を運んだ。連れて行かれた部屋に行くと、そこには白い部屋にベットの上で眠る母さんの姿。腕には透明な管がついており、ぽたりぽたりと点滴が打たれてある。
「かあさん!」
店長さんの手を振り払い足がもつれそうになるものの、なんとかたもち母さんのベットへたどり着いた。
「かあさん、かあさん…」
「名前。約束、守れなくてごめんね?」
「ううん、だいじょうぶ、かあさんこそ…」
母さんは優しく頭を撫でてくれ、それを甘受する。「大丈夫」と優しく言ってくれてる。ベットに頭を預けるように座り込んだ。なんで病院に来たんだろう。呪霊の残穢は感じられない。
「店長、すみません、名前を迎えに行ってくれて…」
「気にしないで、大丈夫。お互い様じゃない」
何かよく分からないけど、母さんと店長が話しているが、ぼーっと母さんの顔を眺めた。ずっと浮かれていて気づかなかったが、母さんの目の下には隈がある。きっと今日の為に一生懸命働いたんだ。
俺が、喜ぶから。精神年齢だけで言えばもう二十歳超えてるのに情けない。もっと俺にお金があれば母さんを楽にしてやれるのに。
悩んでいても仕方がないんだけど。悩まずにはいられない。
ぐるぐると頭を回しているとまだまだ幼い脳は耐えきれず、瞼が重くなっていく。気がついた時には俺の意識は夢の中へ落ちていった。
次に目が覚めると俺はベットの中。母さんの寝顔が間近にあり、規則正しい寝息を立てている。とくりとくりと動く心臓に耳を当て、ゆっくりゆっくりと瞼を閉ざした。
「おやすみ、名前」
その日、俺は幸せな夢を見た気がする。
柔らかくて暖かくて胸がいっぱいになるような幸せな夢を。
それから数ヶ月。俺は小学生になったし、母さんは約束通りランドセルを買ってくれたけど、体調は崩しやすくなった。よく咳をするし、しんどそう。
怪我とかなら反転術式で治すことは出来るが、病気は出来ないのがもどかしい。それでも少しでもと思いお手伝いをしている。最近では母さんが料理を教えてくれるようになったのはちょっと頼られてるみたいで嬉しかった。
カンカンカンとリズム良く、鉄製の階段を上がり、目的地へ。首からぶら下げた鍵を差し込みドアノブを回す。母さんはまだだろうと思っていたが、そこに揃えられている靴は母さんのもの。
「ただいま!」
靴を脱ぎ散らかし、リビングへ一直線。ランドセルを放り出し、座っていた母さんの胸に飛び込んだ。
「母さん、今日は早いね!お仕事は?おやすみ??」
「おかえり、名前。今日はちょっと早めに帰らせてもらえたの」
ふわふわと優しく髪を撫でられると顔がふにゃふにゃになってしまう。それを隠すように母さんの胸に顔を埋めた。
「それでね、今日は名前に紹介したい人がいるの」
幸せな気持ちがその言葉で崩れさった。紹介したい人。つまりそういうことなのか。母さんも俺を産んでると言えどまだまだ若い。シングルマザーだし、結婚したいと考えるのも頷ける。
俺がぴたりと固まったのをみると、くすくすと笑いながら優しく口角を上げる。
「あのね、彼、七海さんっていうんだけど、名前のこと助けてくれるんじゃないかなぁって」
「助けてくれる?」
俺は母さんの胸元から顔をあげ、後ろを振り返った。そこにいたのは、金髪のスーツを着た男が一人。にこりともせずに、じっとこちらを見つめている。俺はその顔に見覚えがあった。約七年ぶりくらいだろうか。前世の同級生である七海健人だった。三人で馬鹿した記憶はいまだに鮮明だ。
ぽかんとしてる俺に母さんは優しく声をかける。
「七海さんね、ママの働いてるパン屋さんのお客さんでね。名前のことを話したら会いたいって」
「俺と…」
「初めまして、名前君。君に伺いたいことがありまして」
今、俺、同期に母親にデロデロに甘えてる姿を見られたぞ。マザコンなのバレた。
そう思うと急に恥ずかしくなり、顔に熱が籠る。母さんの前から背中側に周り隠れた。母さんは「あら、珍しい」と呟いている。促されるように顔を出して、小さな声でで「はじめまして」とだけ告げた。
これは由々しき自体。マザコンが同期にバレた。ニ0歳過ぎの男が母さんの胸にダイブするなんて、マザコンか下心があるのかどちらかを疑われるに決まっている。
いや、そもそも彼は俺のことを同期だと気が付いていないのではないか。むしろ、気が付かないでくれ。恥ずかしくて今度こそ天に昇ってしまう。
「名前君に伺いたいことがあります」
「…なに?」
「オバケは見たことありますか」
「オバケ?」
「はい。どろどろしたものや変な形をしたものです」
呪霊のことだ。思わず、母さんの顔を見上げると少し眉を下げながら優しく微笑んでくれる。俺が母さんに見えないモノが見えていたことを知っていたのかな。それでも、こちらに巻き込みたくはない。呪術師である七海に見つかった時点で、俺の未来は決まったも同然なのである。
「大丈夫よ」
その一言に促されるように俺は彼の言葉にコクリと頷いた。七海は予想がついていたのかゆっくりと口を開く。
話したのは俺が見えてる呪霊のことだ。まだ幼い俺にも分かりやすいように噛み砕いて説明してくれた。
「貴方には2つの道が用意されています。呪術師になるか、ならないかです。しかし、遅かれ早かれ呪術界に見つかるでしょう。その後を決めるのは貴方です」
実際ないじゃんってのは無視。別に俺は呪術師になるのが嫌ではないし、俺に出来ることならもう一度くらいやってあげてもいいとすら思っている。人間関係はクソオブクソだけど。クズリンピック年中無休開催してるけど。
「…七海さんは、呪術師なの?」
これはカマかけすぎか?七海のことだからきっと呪術師続けてる。ある程度稼いだら、物価の安い国でのんびり余生を過ごそうとしてそうだし。
「いえ、今はただのサラリーマンです。随分前に辞めています」
「え」
「なにか?」
「ううん、なんでもない」
首を横に振るい、母さんの背後に隠れてしまう。ついうっかり心の声が漏れてしまった。辞めてたんだ。何かあったんだろう。心配になり少し顔を出すとバッチリ目が合ってしまう。その後何か色々と話していたが、すっかり頭から抜けてしまった。
七海は「それでは今日はこれで」と腰を上げた。それに続くように母さんも腰を上げ、彼を見送るつもりのようだ。玄関先で何かニ人が話しているのをじっと見上げる。
母さんも随分楽しそうだ。七海のこと好きなのかな。うん、七海はいい奴だ。落ち着いて、大人で、カッコよくて、俺もおすすめする。あんなクソッタレな界隈でマトモな部類。だけど、だけど。
「母さんは、あげないからな!」
今は俺の母さんだ。まだあげてやらない。俺がもうちょい大きくなって、母さんを養えるくらい稼げるようになればあげてやってもいい。だって、母さん、幸せそうなんだもん。でも、今は、まだ俺だけの母さんなんだから。
俺はそれだけ告げるとピューッとリビングへ戻っていき、ころんと寝転がり、テレビをつけた。後ろから母さんのくすくすと楽しそうな笑い声が聞こえた。
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