灰原雄の独白

 灰原雄にとって、苗字名前は大切な友だちであった。
 一緒にいて楽しい。色んなことをずっとしていたい。そう思えるような友だち。彼の素振りはどこか、年下の弟の様にも思えついつい甘やかしてしまうこともある。それを七海に咎められる事もしばしば。それでも、三人での任務はほどよい緊張感の中で信頼して戦える。皆んなを守るために戦っていた。
 名前はどこか三人で、同級生で、友だち同志で。そんな言葉にこだわっている様にも見えた。一度だけ彼の幼なじみである秀英(シゥイン)に話を聞いてみれば、彼は同い年の友だちという存在がいなかったと教えてくれた。だからこそ、ドラマや映画の中でしか見たことがなかったそんな関係性に憧れを抱いていたのかもしれない。なら、同い年の友だちは自分達が初めてだと、灰原はそう思った。だからこそ、京都への旅行も、沖縄への旅行も実現させたかったのだ。三人での思い出を紡ぎたかったのだ。
 しかし、それは叶うことがなく、夢半ばで途絶えた。
 名前に単独任務ばかり回されていた時に宛てがわれた、三人での任務。久しぶりの三人だけの任務に彼はいつもよりも浮き足立っているように見えたし、灰原自身もそのことが嬉しかった。この後、三人で久しぶりにご飯でも食べに行こう。そんなことを考えていたのに。
 事件は起こった。自分達の階級にはそぐわない呪霊の存在。土地神。逃げる事もできず、三人で立ち向かう事を選んだ。三人でならなんとかなるかも知れない。そんな淡い期待は打ち砕かれた。攻撃は名前が動けば、彼の動きを避けて、七海と灰原の二人へと攻撃をあてる。彼が動くのを止めれば、彼を狙う。そんな奇妙な行動をする呪霊だった。気がつきたくもない、真実に名前は気が付いてしまったのだ。
 このまま三人で死ぬよりも、一人の命で二人が助かる事を選んだのだ。ピタリと足を止めて、彼は身動き一つ取らない。彼の僵尸が彼の命令に従い、二人を連れて逃げ出す。どれだけ制止を求めても烏はその命令に従うことはなかった。

「悪い、先、死ぬわ」

 そんな後でご飯を食べに行こうなんていうように、気軽に彼はその事実を口にする。頭からパクリと彼は食われてしまった。その光景を目にしてしまったのだ。
 灰原の中できっと自分達は死なないとそう思っていた。死と隣合わせの仕事であると理解はしていながらも、その現実から目をそらしていた。あり得ないと。名前も七海も強いから絶対にそんなことにはならないと。信じていた。でも現実は甘くない。彼は、苗字名前は、死んだのである。自分達の目の前で。
 ただ、ただ、手を伸ばし、叫ぶことしかできない。
 圧倒的な力の前で無力だった。
 そんな彼の死の余韻に浸る事も出来ず、彼の父親から衝撃の事実をきかされることになる。
 苗字名前は生き返る事ができるのだと。
 まるで漫画の中の出来後のように、彼は生き返る。正確に言えば、転生するのだ。再びこの国に。その確率がどれだけ、低くても、再び会いたい。そう願うのはおかしくないことだろう。
 ゆっくりと瞼を閉じれば、浮かび上がるのは彼の笑顔。辛そうな顔や泣いた顔なんて灰原達に見せたことは一度もなかった。彼はいつも楽しそうに、高専内を走り回っていた。そこにいるだけで、周りが笑顔になる。そんな花のような存在だった。
 また、君に会いたい。
 その可能性があるのならば、目を背けてばかりではいられない。
 再び瞼を開いて、前を見て歩くのである。


――七年後。


 灰原は呪術師を辞めて一般人に戻っていた。誰かの為にと足を踏み入れた世界であったが、自分には彼の死を直視した後も、この道を歩み歩み続けていく自信がなかった。それも一つの選択だと思い、また別の道へと歩き出した。
 いつか、また会えたらいいな。そんな願いは、七海からの朗報により叶う事になる。

「名前が見つかりました」
「本当に!?」
「えぇ、でも記憶はないようですが」
「それでも、お父さんの術は成功していたんだ!早速五条さんに連絡を…」

 そう言う灰原を制止したのは七海だった。七海に制止する理由も意図もなさそうに思っていたが、理由を聞いてどこか七海らしいと納得してしまったのも事実であった。
 仕事の都合で中々会える機会がなく、結局会えたのは苗字名前の、苗字名前の母親が亡くなり、彼らが向かった火葬場であった。こんなところでなくてもと思ったが、早く会いたかった。それに七海と暮らすのなら早めがいいだろう。七海から情報を聞いて駆けつけたのだ。いや、居ても立っても居られなくなったというのが正しいかもしれない。
 遠目から見た彼の姿は記憶の中よりもかなり幼くて、それでもその中に彼の面影を感じる。ここにいるのだと、実感する。
 七海から記憶が戻っていないと聞いていた。だから、怖がらさせないように、目線を合わせてしゃがみ込む。

「初めまして、名前くん!僕、灰原雄っていいます!同じ、あだ名同士よろしくね」

 君と二回目の初めまして。それでも君が忘れるというなら何度でも繰り返す。
 また会えたという奇跡に。
 今度こそ、君を助けるとそう心に決めて、灰原はそっと手を握りしめた。

 三人での生活は悪いものではなく、寧ろあの頃に戻った様な楽しさがあった。それでも、七海が呪術界に戻ったり、名前の存在が五条にバレたり、夏油が亡くなったりと色々あった。
 灰原は自分が選んだ事とはいえ、これ以上踏み込めないことをもどかしく思っていた。せめて、名前の帰る場所であろうとそう決めていたのに。
 だから海に行くのも夏休みの思い出作りの一つだった。本当は沖縄が良かったが、七海の仕事の都合でそれは叶わず、近場へ海水浴に向かう。三人で遊びに行く筈が、七海に急な任務が入り結局二人になってしまったのは少し寂しかったりもした。
 それに、名前も珍しく「五条サンに任せればいいじゃん」「七海サン、一緒に行こう」と引き止めていた。いつもならすんなり送り出すところを今日は珍しく駄々をこねている。それだけ楽しみにしていたのだと七海も理解していたが、五条へ借りを作りたくないと思い泣く泣く断ったのである。
 そうして向かった海。
 来るまでは大丈夫だろうかと不安になっていたが、到着すれば一瞬で機嫌も元通り。灰原の腕を引き、早く早くと急かしてくる。コインロッカーへと荷物を預けて、貴重品は水濡れ防止のジップロックへ。今日は荷物番がいないのだから。

「灰原サーン!」

 けらけらと楽しそうに笑い、海を堪能する彼の姿は本当に年相応。何処にでもいるただの小学生。彼が思い出さなかったら寂しいけれど、思い出さなくてもこのまま過ごそう。灰原達の関係が些細なことで途切れたりはしないのだから。
 海で遊び、砂で山を作り、再び海で遊びを繰り返す。暫くすると彼が少し離れた洞窟を見て行きたいと言った時は灰原自身も冒険みたいで少年心をくすぐられていた。二人でそちらの方へと足を進めた。
 中は明かりが全くないほどの闇。携帯のライトだけを頼りに奥へと足を進めていく。手を繋いでいれば、名前が灰原のぎゅっと握りしめる手に力が篭った。

(ここは僕がしっかりしなければ…!)

 そんな使命感に燃えた灰原は名前を見下ろしながら、心の中でグッと拳を握りしめた。
 だが、どれだけ歩いてもゴールは見えない。名前も疲れてきたのか、「お腹かすいたと」こぼしたので、冒険は此処で終わり。
 終わる筈だった。
 突然、洞窟の天井が崩れ落ちてきたのだ。足がすくみ固まってしまっている名前をこちらへと引き寄せる。そして、そのままの勢いで後ろへと倒れる様に転がるも、壁に頭をぶつけてしまう。身体の中で小さく身を固めている名前の存在にホッと一息着いたところで意識が途絶えた。
 彼が気がついた時には側には携帯が置かれているだけで、人の気配はなかった。
 一度だけぼんやりとした意識の中で名前の姿を見た様な気がした。不安気に顔を歪め、涙が溢れるのを食い止めようとする彼の姿。今は名前で、そんなことある筈ないのに。頭に触れても血液で固まった硬い髪の毛だけ。不思議に思ったが、恐らく彼が治してくれたのだろうとそう納得した。
 その人物は一人で洞窟の奥に進んでしまった。早く追いかけないと。彼一人で何かあれば、大変。そう思い、携帯を片手に洞窟の壁に手をつきながら前へ前へと歩いていく。
 暫く歩けば、ドームの様な天井になっている他よりも明るい場所へと出た。目に映ったのは、白い人形をした呪霊に捕らえられた名前の姿。
 気がついたときには、術式を展開し、その呪霊に攻撃を繰り出していた。久しぶりに使用するそれが、成功したので一安心、といきたいところだが、息をついている暇はない様だ。
 灰原は名前を守る様に前に出た。

「大丈夫だよ。僕もこう見えて呪術師だったんだよ」

 そう言ってすっと指を指で拳銃を作る様に構えた。滲む汗を誤魔化す様に手に力を込める。小さい彼を、今度こそは守る。もう彼の足手纏いは嫌なんだ。
 攻撃を繰り出しながら、名前を守りながら戦うのが意外と難しい。呪霊が水の中へ逃げたと思ば、白い大蛇の身体に人形がくっついた様な物へと変貌した。
 呪霊の階級が上がったのかもしれない。自分の階級に不相応。それでも今此処で子どもを置いて逃げるほど、彼は薄情な男ではない。

「灰原サン、先に逃げて」
「駄目だよ。……僕はもう君を置いて逃げない。あの時みたいな事を二度とさせないから」
「でも…!」

 灰原の攻撃は確実にあの呪霊へと入っていた。身体に火が巡る様な懐かしい熱さ。あまり使い過ぎれば、神経まで焼き切れてしまう。だが、今此処で引くわけにはいかない。
 名前が灰原を庇う様に技を使うも、それはあまり効力をもたないようだったが、段々と弱り、攻撃が効いてきた。
 あともう少し。二人で決着を付けよう。そう顔を見合わせた時だった。ドームの上の部分が崩れ落ち、現れたのは名前の僵尸である烏だった。

「……」
「ありがとう。これで三対一だ。…いけるよ、灰原サン、烏」

 烏は名前に笛を手渡した。そうすれば、彼は笛を構え音を奏でる。兵士達が地面から生まれてきて、攻撃を仕掛ける。灰原にそれに合わせる様に炎の玉を打ち出した。
 名前がゆるりと手を動かせば、黒いもやが足元から手の先に、そのもやは呪霊を封じ込め、名前の掛け声一つで圧縮され、小さい泡となり消えていく。
 崩れそうになる洞窟の中から烏が灰原と名前を連れて飛びあがる。無事に三人は脱出したのである。
 灰原は烏に担がれながらぼんやりと後ろを見て、手を伸ばした。そして、何かがするとするりと抜けていきそうになるのをグッと捉える様に掴み取る様に、握りしめる。
 
――呪術師を辞めた僕だけれど。
――今度は、今度こそは、君の力になれたかな。

 もう一度手を広げ、今度は自分の指先をじっと見つめる。焼け焦げた指先を隠す様に再び握りしめた。
 もう二度と、彼にだけは背負わせることなんてしないと。そう再び心に決めたのだ。

[*前] | [次#]

back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -