自分にだけちょっかいをかけてきては、楽しそうに笑い、それを反省する気もないように謝るだけ。怒れば親友の後ろに隠れてしまうそんな男。
それでも憎む事もできないのは彼の性質だったのだろう。自分よりも背も小さく、楽しそうに悪戯を仕掛けるその姿は大人になればなる程、彼のような存在の有り難さが身に染みた。
一度だけ何故、自分にしか悪戯を仕掛けないのだと、ちょっかいをかけてくるのだと聞いたことがある。彼はあっけらかんと笑いながらこう答えた。
「だって、センパイの反応が面白いから」
「あ?」
「センパイって毎回毎回新鮮な反応してくれるじゃん?ちょーおもしろいの!」
悪びれる様子もなくそう告げ、追いかければ追いかけるほど、楽しそうに笑う。術式を使えば流石に観念するのか、親友の後ろに隠れてしまい、親友はお気に入りの後輩をよく庇いさらに機嫌が悪くなった。
長年呪術界にいる身としては、彼は異質だった。国は違えど同じ時期当主と言う立場にある筈なのにそんな重みは感じさせない。漫画や映画の世界で生きている様な、彼の知らない世界を生きる、何処にでもいる普通の学生の様に見えていた。
同じ立場にいる者として、彼のおかれている立場も問題も理解しているつもりだった。つもりだったのだ。
任務に行った彼が死んだと聞かされて思考が止まった。
彼が忙しそうにしているのは知っていた。単独任務ばかりを与えられて喚き散らしている事も。だが、自分に対する悪戯は少ししか減らず、いつも通りにこにこと楽しそうに遊んでいた。そんな様子から彼が抱えていたものに気がつかなかったのだ。
名前は同じ呪術師に殺された。彼という存在が邪魔で仕方がなかった者達に殺されたのである。よくある話だ。よくある話。人間は自分の欲の為に誰かを犠牲にする。彼はその被害者になってしまったのだ。
呪術界でも、権力の為に人が殺されるのは良くあることだ。そして、自分も彼もそれから身を守る術を、力を持っていた。それなのに、彼はその力を自分の為ではなく、仲間の為に使った。
そういうところが彼らしく、文句の一つも出てこない。恨言の一つでも言ってやりたかったのに。なにも出てこない。出てくるのは、ただ、ただ、何か言ってくれればよかったのにという、後悔の念だけであった。
五条は自分の事を弱いと、力にならない様な男だと思っていない。助けを求められれば、渋々と言った様子で助けただろう。自分達の関係はその程度だったのだろうかと思ってしまう。
だが、彼の父親は、そんな五条に彼の遺品を託したのである。彼の幼なじみの
「君の話はよく名前から聞いている。あの五条君だね」
彼はそう言って、名前とよく似た顔で、よく似た笑い方をする。自分の息子が死んで、想像を絶するであろう辛さだろうに、それを感じさせない様に。
名前がどんな事を父親に話していたのかは分からないが、たったそれだけの事象であったばかりの自分達に託すというは信頼してくれている証なのではないかと思ってしまった。
それから暫くして、親友が離反した。短い期間で大切なものを二つも手から離れていってしまったのだ。大切なもの程手放してはいけない。そんな言葉が身に染みた。掴めそうで掴めないそんな存在を今度は二度と手放してなるものか。
このままではまた彼らの様な者が産まれてくる。呪術界は腐りきってしまう。そうならない為に、自分の後を継げるものを残しておこう。
彼が遺したものを、壊さない為に。
可愛がっていた後輩が、またこちらに足を踏み込んでももう二度と同じ轍は踏ませない様に。
――九年後。
可愛がっているとある男の息子が迷い込んだ森から逃げていく少年と、その子の証言。面白い存在がいると興味を持ったのがきっかけだった。こちらへ引き摺り込めばあの子達とも良い関係を築ける気がするだけ。
本当に思いつきの様な行動。
名札を伊知地に渡して探らせ、そして、出会ったのは彼にそっくりな少年であった。黒い髪を一つに結びランドセルを背負った小学生。
その六眼で見れば一目瞭然。彼の目が告げる。この目の前にいる少年は苗字名前その者であると。
目の前にいる少年は、五条を見上げて怯えた表情を見せる。そして、滑からな動作でランドセルに付けてあった防犯ブザーを勢いよく引っ張った。けたたましい音が閑静な閑静な住宅街に鳴り響く。その音でも逃げる様子のない五条に先に逃げ出したのは、少年の方であった。
彼は普通の小学生ではありえない身体能力を五条に見せつける。呪力で身体を強化し、軽々と他人の家の塀に登り、屋根へと上がる。普通の人間ならここまでは来ないであろうという気もあった。ここまでくれば安心だと言う思いも。だが、それは彼の予想に反した行動だったのだ。五条は逃げる彼を追いかけるべく、彼と同じところまで登っていく。五条が来ればまた彼は逃げ出した。
「なんで、来るんだよぉぉ!誰か、助けぇ…!!」
少年の悲鳴は誰にも届くことはない。
むしろ、その悲鳴を唯一聴いているであろう大人。五条に心を踊らせていた。学生時代に散々自分に嫌がらせをしてきた、あの名前が自分に怯えて逃げるのだ。これほど面白いことがあるだろうか。怯えた表情の子どもを追いかける大人の姿。だが、それを止めることができ人間がこの場には存在していなかった。
軽々と屋根を飛び越えても引き剥がすことが出来ない恐怖。子どもにとっては、黒くて目を包帯で隠している大男はオバケか不審者にしか思えないだろう。だが、どれだけ助けを呼んでも誰の耳には届くことはない。後ろ追う男は楽しそうで。そんな中で見つけたのは、信頼できる人間の姿。屋根から飛び降りると、飛びついた。
「七海!…サン!!」
「名前!?どうしたのですか、一体」
「変なひとに、追われてる!たすけて!」
「わかりました。下がっていてください」
飛びつかれた男、七海はふらつくこともなく少年、名前を支えた。名前は七海の後ろへと隠れ、五条と七海のやりとりを訝しげに見上げるだけである。話はとんとん拍子に進んでいき、五条は七海の家を訪れることになった。その間も五条のことを名前は警戒していた。それもそうだろう。怪しい人間が自分の保護者と知り合いだったのだ。当然の結果だ。
自分に怯える名前の存在に、五条は記憶が戻っているかどうかがまだ分からなかった。あの名前のことだ。知り合いにあったら、いつも通りに接する。そうすると思っていたのだ。
五条が部屋を訪れてものらりくらりと躱そうとしてくる。それでもリビングのソファに我が物顔で座る五条にあるものを渡してきたのだ。ゴキブリのオモチャである。それも嫌になる程に成功に作られているものだ。なんの躊躇いもなく受け取り、驚いた五条のその反応に名前は楽しそうに笑っている。
「珍しいですね、名前くんがそんなことをするなんて」
そういう灰原は少し不思議そうに首を傾げている。
昔からだ。五条にだけこういうこ行動をしてくる。彼があの五条悟であると気が付いたからだろうか。こんな行動をしてきた。
(絶対、覚えてんじゃん)
そのゴキブリの玩具を弄びながらそう思いながらも、本当に覚えているのか、それとも彼の本能が自分に対してこのような行動をとったのかがわからない。そもそも、本能で自分に悪戯を仕掛けて来る。そんなものされるのは普通に腹が立つ。自分をナメているところはきっと彼という人間が変わっても同じなのだろう。
五条は彼が覚えている人間で、わざと隠していると仮定することにしたのだ。
ちょっとした期待を込めて。
だから、任務へと無理矢理連れて行った。彼が彼でなく、ただの小学生であればこんな任務に連れてきて対処なんて出来ないだろう。何かあれば自分が対処する。そう思ったからだ。きっと彼は覚えている。そう信じて。
名前はリコーダーを片手に森の中へと進んでいく。一緒に連れてきた伏黒は彼をただの小学生と思っているようで玉犬のうちの一匹を付けていた。三人で森の中を歩んでいくと、何かの術式にかかったのか離れ離れになってしまうが、この程度五条にとっては簡単に破れるようなものである。だから、わざと彼を一人と一匹にしたのだ。小学生にするような事ではないだろうが、そんなことは五条にとっては些細なことであった。
五条にとって、苗字名前が生き返り、その記憶も蘇っているということを知るのが大切だったのである。
名前の行動は五条の期待以上の行動をした。あの少年は術を見事に使いこなし、呪霊に立ち向かったのである。これならば、あれを託しても大丈夫だろう。その場を離れて、あるモノを取りに向かった。ついでにコンビニで甘い物を購入したのは別にに悪い事ではないだろう。コンビニで買い物をして、戻ってきているうちに彼の呪霊を祓い終わっていた。だが、後もう一踏ん張り。ここで五条が手を出してもいいが、きっと彼ならやり遂げることが出来る。
彼が父親に託されて物を今度はその息子へ。二度と使われることがない、そんなことがなくてよかった。二度と彼が奏でる音を聞くことが出来ないなんてことがなくて、安心した。
笛を託されて彼は一瞬戸惑った様子を見せるものの、慣れた手つきで笛を構え、音を奏でる。その音色はアップテンポな音楽はこの場に似合わない。そして、現れたこの場に取り込まれた人間達。この地で命を落とした怨念。彼の生み出すそれは禍々しい存在。
その存在に、彼が蘇ったのだと。
隠しているようだが、記憶も戻っている。ただ肉体が幼いだけだが、元々子どものような子だったし、問題ないだろう。これ程まで待っていてあげたんだ。少しくらいこき使っても怒られないだろう。
五条はそう思っていた。
やっと、蘇った自分の後輩。弟分のようなそんな存在。
あいつがその身を犠牲にしてまで守ったものはちゃんと大きくなっている。
悪いけれど、今度はこの呪術界をマトモにする為に、下の世代に繋ぐために、力になってほしい。
そう願っても勝手に死なれては困る。
大切なものを失う辛さはもう二度と味わいたくないものなのだ。
割り切っていたとしても、割り切れないものだってあるのだから。