七海健人の独白

 七海健人にとって、苗字名前という男は台風の目の様だった。
 常に騒ぎの中心にいて、毎度毎度何かをやらかしている。彼のせいでとばっちりをくらったことも何度もあった。それでも彼のことは嫌いでは無かったのだ。

「七海!」

 そう自身を呼び、飛びついてくる。小動物ような見た目に、底抜けな明るさを持った少年。けらけらと楽しそうに笑いながら辺りを掻き回す。
 呪術師としては珍しいタイプの男。上の先輩達は総じてクズの代名詞が似合う様な人物達で、そんな彼らに対しても物怖じせずに関わっていく。七海自身は任務以外では出来れば関わり合いたくない人種だと思っていただけあり、そういったところは色んな意味で尊敬していた。
 彼は一見すると暗いだとか、闇だとかそういう言葉とはかけ離れた存在だと思っていた。
 だが、二年生に上がる少し前から。本当はずっと前からだ。名前の兄である苗字銹紅(シューホン)が来てからだ。常に噛み合いながら回っていた彼らの歯車は少しずつズレが生じてきたのは。
 今までは三人での合同任務が殆どだった。偶に分かれることがあれど、他の先輩達と一緒であったりその程度。
 しかし、交流戦以降少しずつ、彼だけの単独任務が増えていく。本人は「秀英(シゥイン)連れていくから平気」と笑うだけ。彼は単独任務があてが割れてもいつもと変わらぬ様子で七海達に接し、にこにこと楽しそうに、五条に悪戯を仕掛け、怒られ逃げれば、夏油に助けを求める。時たま一緒に任務が行きたいと七海や灰原を困らせる。

「なんで、俺だけ仲間外れなの!?一緒に行きたい
「我儘を言わないでください」
「いつでも機会があるから、ね?」

 ぶすくれた表情で任務に行く、彼らを見送る姿は、親が仕事に行くのに駄々を捏ねる小さな子ども。灰原が宥めれば仕方がなく見送ってくれる。彼のそんなところは別に嫌いではなく、むしろ、好きであった。まるで小動物のようなその姿を愛らしく思えたのだ。
 散々、単独任務に向かわされてきた彼は七海達と三人での任務に違和感を持つ事もなく、久しぶりに三人での任務という言葉に胸を躍らせるばかり。その様子は七海や灰原にもすぐにわかってしまうほどで、相変わらずだなと思うだけ。
 だから、あの日。あのような事が起きるとは誰も思っていなかった。目の前にあわられた大蛇。この地に眠る土地神。彼らの階級にはそぐわない呪霊であった。
 逃げる事も何かに阻まれてできず、その呪霊は七海と灰原のみを攻撃しているようにも見えた。名前が動けば、七海か灰原のどちらかへ攻撃の矛先を変える。その事実に一番初めに気が付いたのは、名前であった。ぴたりと足を止め、後からやってきた烏に二人を託した。
 そして、いつもと同じ様に笑う。辛いことなんて何一つ知らない様に。楽しそうに。

「悪い、先、死ぬわ」

 頭からぱくりと咀嚼された。
 視界が赤く染まる。
 響き渡る灰原の悲痛な声。
 七海はその声を耳にしながら、彼が立っていた場所から目を離す事ができなかった。
 自分の無力さを痛感した。何もできなかったと。友人の一人も救う事ができないと。グッと握りしめた拳に力が籠る。泣き喚いても彼は生き返らない。呪術師として必ず通る道であったと知っていてももっと先のことだと、そんなことは起こらないのだと、心の何処かでそう思っていた。
 ぐっと瞼を瞑っても現実は変わらない。夢でもなんでもないのだ。
 そんな気持ちに苛まれながら、彼らの元に苗字家当主が告げる。
 彼の死には裏があると。彼を殺したい。彼の進む道を邪魔したい。そう思う人間が彼の家にいたのだと。
 そして、苗字名前は生き返る事ができると。

「は」

 そんなものは御伽噺。死んだ人は生き返らない。それは世の常だ。七海もそれを理解していた。周りの人たちもそれを知っている。だが、それに縋りたいという気持ちも何処かで存在していのである。蘇るのであればと。
 苗字家当主はそんな七海達を置いて続ける。

「苗字名前、我が息子はこの世に再び蘇る。苗字家当主はあの子の他にもういないのだ」

 苗字家当主しか知り得ない秘術【転生術】。その方法は代々当主のみに教えられてきた術であり、この術を使用した者は数百年前に一度だけだと記録に残っているという。
 何故、今まで使用される事がなかったのか。
 それはの術の使用条件が問題であった。
 一つ目。死亡後二四時間以内に行う事。
 二つ目。死者が死んだ場所で執り行う事。
 三つ目。死者の肉体、所有物。
 四つ目。術の使用者の魂。
 これら全てて揃っても成功する確率は二分の一。特に四つ目を捧げる事ができない者が多かったのだ。自らの魂と引き換えに死者を蘇らせる。実子であったとしても難しい。
 だが、この当主は息子の為に命を捧げるという。
 何故、秘匿にしておかねばならないことを彼等に話したのか、その意図が七海達には読むことができなかった。それは、彼が息子が命を掛けて守った人間を信頼していたからなのか、それとも、また別の理由があったのか。それは本人にしか知る事はない。

「なに」

 彼は手に持っていた古びたトランクケースを五条に渡した。使い込まれたそれは元々当主のものであったという。これには名前の所持品である横笛が入ってある。当主となるものに代々引き継がれているもの。本来であれば苗字家に持って帰られてもおかしくもないのだ。

「我が家にあるよりも君達に託しておいたほうが安全だ。いつか、必ず、名前は君達の前に現れる。その時がくれば渡してほしい」
「…俺らが悪用するとは思わないわけ」
「これを使えるのはあの子だけだ」

 彼はそう目を細めながら笑う。
 そして、彼のお付きの人と七海達が何度かみた事がある秀英(シゥイン)を連れて死亡現場へと向かったのであった。
 果たして、苗字名前を生き返らせる術が成功したのかは七海達には分からない。ただ、苗字家当主が死亡したという話だけは日本呪術界へも広まった。


――七年後。


 七海は呪術師を辞め、一般人へとなっていた。あの一件が原因とは言い切れないが、呪術師としてこれから生きていくよりも一般人として生きていき、金を貯めて、後々物価の安い国で余生を過ごす人生を選んだのである。
 その出会いは本当に偶然と呼ぶべきだろう。
 偶々、足を踏み入れたパン屋。そのパン屋の店員がひらりとポケットから落ちたそれに見覚えがあった。そして、それが纏っていた呪力にも。落ちたそれは地面についた途端にマジックの様に一瞬で燃え上がる。落としたそれに、店員の女性は少し驚いた様な顔をしたが、少し嬉しそうに目を細める。
 見覚えがあるそれの存在に、七海はつい彼女へと声をかけてしまう。

「それは…?」
「あぁ、息子がくれたものなんです。何かから守ってくれているのか、すぐに消えてしまうんですけどね」

 彼女はそう言って微笑みポケットからまた一枚とそれを取り出した。
 七海には分かった。彼女が持っているそれは、彼の友達である苗字名前が作っていたものであった。これを作れるのは苗字家の術が使える者のみ。今の日本にこれを使える人間はいない。つまり、これは、彼が作ったものだという証明にもなった。あの呪力は忘れもしない彼の呪力。
 あの術は成功していた。名前は生き返り、この世に転生したのだ。
 まるで現実ではない様な不思議な感覚。彼は手を握り締めた。

「…貴方の息子に会わせて頂けませんか。私も貴方の息子と同じ見える側の人間なんです。もしかしたら力になれるかもしれません」

 こちらの世界に関わる気はなかった。自分はもう呪術師を辞めたのだ。そう思っていたのに、彼の中でのあの日死んだ友人に会いたいという願いが勝ったのだ。目の前で死んだあの馬鹿な同級生と再び縁を繋ぎたいとそう思ってしまった。それ故に気が付いた時には、彼の口から言葉がでてしまっていた。殆ど無意識のうちに。何を言っているんだと後悔し、否定の言葉を口にするよりも先に彼女が言葉を開いた。

「いいですよ。その代わり、うちのパン買っていってくださいね」

 そう言いながら彼女は何の疑いももたない少女の様に笑った。

 それからすぐに七海は彼女の家に訪れる事になった。古いアパートのワンルーム。決して裕福ではない事は一目で分かった。しかし、部屋に飾られている彼女の子どもが書いた絵や二人並んで写っている写真が飾られてある。どの絵も写真も全て笑顔で、悲しいだとか、しんどいだとか、辛いとか、そう言った言葉とはかけはなれた存在であった。七海が飾られてある写真を見るとその中には、よく見知った顔。彼の記憶の中の男が小さい頃はこんな感じだったのではないかと思うような少年であった。

「もうすぐ帰ってきますよ」

 彼女はそう言ってお茶を出しながら笑う。まるでその言葉が本当になったかの様に扉が開いて、廊下の奥からは「ただいま!」という明るく声が響いた。ドタバタと賑やかなその音。そして、そのまま彼女に飛びついてきた。

「母さん、今日は早いね!お仕事は?おやすみ??」
「おかえり、名前。今日はちょっと早めに帰らせてもらえたの」

 その言葉に嬉しそうに笑うその姿は本当に幼い子ども。元々、こうだった様な気もしなくもなかった。母親に優しく頭を撫でられながらふにゃふにゃと楽しそうに笑う。

「それでね、今日は名前に紹介したい人がいるの」

 ぴたりと動きが止まり、表情も固まる。そして、紹介された七海を紹介されて慌てた様子で彼女の後ろに隠れた。後ろから少しだけ顔を覗かせ、蚊の鳴く様な声で「はじめまして」と告げるだけ。
 七海は名前と呼ばれた名前の生まれ変わりである子どもと話したが、果たして彼に記憶があるのかどうか。彼女の前だから普通の子どもを装っているのだろうか。今の時点ではまだ分からなかった。

「母さんは、あげないからな!」

 そう言う瞳には母親を渡さないというしっかりとした意思が宿っていた。
 その後、二人きりで彼と話す機会があったとしてもそんなぼろは出さない。術についても気がついたら使えていたと答えるだけで、もしかすれば本当に記憶がないのかもしれない。彼の父親は記憶が戻る時期はその本人によると言っていた。潜在意識で術だけが使えていてもおかしくはない。
 だが、幼い彼の言動の節々に名前の面影を感じ、やはりあの子なのだと。
 幼い彼もまた呪術師となる道を選んでいる。七海も彼の夢を応援してあげたい気持ちはある。だが、彼は家族に呪術師に殺されたようなもの。同じ轍を踏ませたくない、そう思ってしまう。それに、今、五条に紹介するのもなんだか癪に触り、もう少しだけ自分手の届くうちに置いておきたいと、結論を先延ばしにすることにしたのだ。
 彼の未来は彼が決めるものではあるけれど。
 もう二度と彼を殺させはしない。
 そう決めたのは、名前の母親が亡くなった時だった。

 今度こそ彼を守る。
 苗字家当主という肩書きは関係ない。
 七海健人は大切なものを二度と失いたくないのである。

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