08

 頭が覚醒する。随分と長く懐かしい夢を見ていた気がする。あの頃も楽しかったな、もっと生きたかったというのはワガママだろう。今も生きているのだし。
 そんなことを考えながらゆっくり瞼を開けると誰かの顔が見える。寝惚け眼でぼんやりと見上げるとその人と目が合う。優しく背中を撫でられると再び夢の世界へと誘われそうになる。なんとか堪えるように瞼を擦り、意識を覚醒させようとする。ぼんやりと見上げればそこには見慣れた顔だった。

「起きましたか?まだ寝ていてもいいですよ」

 そう告げられるも俺は首を横に振る。俺を抱えていたのは七海だった。母さんの近くで寝落ちしたような気がしたのになぜ俺は同級生に抱っこをされているのだろうか。そもそも何故七海がここにいるのか。母さんが呼んだとも思えない。
 不思議そうに小首を傾げているのを見た七海は俺を膝の上から隣にそっと下ろした。ずっと子どもを膝の上に乗せるのは重たかっただろう。それなのにケロッとしているのは流石は元呪術師としか言いようがない。
 自販機で買っていきてくれたのか、少しぬるいペットボトルに入ったジュースを渡してくれた。未開封のそれを開け、口をつけるとぬるい液体が俺の中を潤していく。俺が飲むのを見守り、落ち着いた頃合いに一つの疑問をぶつける。

「なんで、七海サンがいるの?」
「…貴方のお母さんにお願いをされたからですよ」
「母さんに?」
「はい、もし私に何かあったら名前のことをお願いしますと」
「母さんが…、七海サンに…」

 俺たち家族には親戚と呼べるモノはいなかった。頼る人もいない母さんが唯一自分がいなくなった後を頼んだ人間。なんで、七海だったんだろう。パート先の店長さんでも施設でもよかっただろうに。やっぱり俺が見える人であることが関係しているのかな。苦労すると思ったのだろうか。
 俺は光を浴び、ゆらゆらと揺れるペットボトルの中のジュースを眺めた。ジュースは俺の気持ちの様にゆらゆらと波打った。

「名前。貴方はどうしたいですか」
「俺?…俺は、」

――どうしたいんだろう。

 今まで母さんと生きることしか考えていなかった。母さんと2人で幸せになれたら。母さんを楽にすることができればと考えてまた呪術師の道を歩もうとしていた。でも、母さんが亡くなった今、俺はどうしたいのだろうか。手に持ったジュースを眺めながらぼんやりと思案する。
 俺が今、転生させられたのには意味がある。苗字名前として、苗字家の次期当主としての役割。苗字家の門下達を、あの土地を収めるというもの。父さんは俺にそれを強要することはなかった。だが、俺はそうなる道を選んだのだ。
 苗字名前としての生は終わり、苗字名前としての生が始まってもそれは続く。
 俺が俺である為に。
 俺はこの手に収まる大切なモノを取りこぼしたくないのだ。欲張りだから。我儘だから。今の大切なモノも今まで大切にしていたモノも全て。
 なんと傲慢で浅ましいのか。これが人間の性なのだろう。

 下げていた視線をあげる。母さんの死は俺にとって重要な出来事だった。この世に生きとし生けるものはいつか終わりを迎える。母さんのお迎えが俺の想像よりもずっと早かった。できればもっと一緒にいたかった。一緒にいる方法は知っているが、それは本当の母さんではなく、母さんの肉体に怨念が宿った僵尸。烏の様な個体もあるがアレは稀だったのだ。それに、今の俺は母さんを僵尸にする度胸はない。
 母さんの死は定められたもの。死んだ魂は天に登りまた、輪廻の輪を巡ることだろう。

――母さん、次の生に行くまでは俺を見守っていてくれ。

 我儘で幼稚なその願いに頷く様に暖かく柔らかい、優しい風が俺の体を包んだ様な気がした。思わず頬が緩んだ。
 まだ考えは纏まらないけれど、いつかこの選択が正しかったと言えるようにしよう。
 俺は椅子から立ち上がると七海の前に立ち向き合った。

「不束者ですが、末永長くよろしくお願いします!」
「ふっ。はい、よろしくお願いします」

 何故か笑われてしまった。何か間違ったことでも言っていたのだろうか。七海は少し隈のある目元を緩めたもののすぐにいつもの仏頂面に戻った。

「…何かあればすぐに言ってください」
「うん、大丈夫だよ」

 伊達に一年半くらい寮生活をしていた訳じゃないんだ。あれから十年以上経っているし、七海も社会人になって変わっているところ多いだろう。俺も小学生だけれど。

「七海サンはいいの?…親戚でもない子ども育てることになったけど」
「構いません、私がやりたいと思ったことです。貴方が機にする様なことではありませんよ」
「…なら、いいんだけど」

 金銭的に今の俺はほぼ無一文。これからかなり負担になってしまうだろう。七海がいいと言っているのだし、甘えようとは思うが、いつかそのお金を返さなければならないとも思う。その為にも働かないとな。七海はいらないと突っ返されるだろうけれど。
 俺は七海との久しぶりの共同生活に思わず小踊りしてしまいそうなほどだった。


 その後、諸々の手続きなどは七海が全て行ってくれ、俺の保護者は七海になった。養子になった訳でも養子縁組を結んだ訳でもないのだけれど。苗字もらっても俺はよかったが、七海が「それは貴方にとって大切なものだから」と変えることも籍を移すこともしなかったのだ。
 母さんの葬儀は出来るわけもなく、火葬のみになった。母さんの冷たい手を握っても俺の熱は移ることもなく、冷たいまま。

「またね、母さん。我

 そっとその冷たくなった頬に口づけを。

――さようなら母さん、また会う日まで。

 俺はそんな祈りを込めて母さんを轟々と燃える炎の中へと送り出した。骨となればこの世の肉体に魂の残穢も残さない。魂は次の行き場を求め、輪廻の輪を巡るのだろう。
 母さんが骨となるまでそんな干渉に浸っていると此方へ向かってくる足音が聞こえた。足音の主は俺の前に立ち止まるとしゃがみ込み、下から俺の顔を覗き込む。
 その見覚えのある顔に思わず目を丸くした。

「初めまして、名前くん!僕、灰原雄っていいます!同じ、あだ名同士よろしくね」

 言葉も出ずに固まっていると不思議そうに首を傾げている。七海が上から呆れた様なため息を吐き出した。

「彼は私の学生時代の友人で、怪しいものではありませんよ」
「七海、言ってなかったの?」
「まさか、火葬場に来るとは思いません」

 昔と変わらず屈託のない笑顔を見て少し安心する。灰原はまだ呪術師なのだろうか。正義感の強いところもあるし、見て見ぬふりは2人とも出来るタイプではない。

「…灰原サンは呪術師なの?」
「んーん、違うよ。卒業して一般人になったんだ。今は普通のサラリーマン!」
「灰原サンもなんで辞めたの?」

 俺のその問いに少し目を丸くしたが、困った様な悲しそうな顔をして答えた。

「僕にはあまり向いてなかったから、かな」
「むいて、なかった」
「そう、僕には僕が出来ることをしようとおもったんだ」

 優しく俺の手を握りながらそういった。その言い方はどこか自分に言い聞かせる様にも聞こえた。灰原は優しすぎるのだ。あのドロドロとした人間のクズの集まりには向いてないかったのだろう。俺はただ「そっか」としか答えることしか出来なかった。
 俺はふと灰原の頬に触れる。触れた先にはあの時についた傷。ちゃんと治っていたんだと安心するも傷が残ってしまったと少し蟠りが残る。

「…痛い?」
「ううん、大丈夫だよ。もう10年以上前だし、それに、男の勲章ってやつだよ!」

 灰原は明るい笑顔でそう言った。俺を安心させる為に無理をしているとも思えない。灰原自身があまり気にしていないのならばそれでいいのだけれど。

「優しいね、名前くん」
「そう、かな?」
「そうだよ、僕のこと心配してくれてありがとう」

 控えめに触れられた手で頭を優しく撫でられる。同級生に子ども扱いはやっぱりどこかもどかしい所もあるが触れられるのは嫌いではない。

 その後、七海は灰原がこれから一緒に俺の面倒を見てくれる旨を話してくれた。七海の仕事はとても忙しそうだもの。流石に子どもを1人にさせておくことも出来なかったのかも知れない。
 不謹慎だが3人で過ごせる。
 その事実に俺の胸は高鳴った。昔みたいにずっと一緒とはいかないだろうが、それでも前の様な楽しい日々を少しでも送ることができるのだ。彼らの隣にいるのは苗字名前ではなく、苗字名前だが変わらないだろう。

「灰原サン。これから、よろしくお願いします」
「うん、よろしくね。あだ名くん」

 くしゃりと優しく俺の頭を撫でてくれ、その心地よさを甘受した。


 火葬が終わり、燃え終わった母さんは随分と小さく、脆くなっていた。元々骨も弱かったのかそれほど残っていない。小さくなった母さんを長いお箸で骨壷に入れる。灰原は先に車で待っていると、駐車場へ行ってしまい、俺と七海だけで執り行った。この後は、霊園で遺骨を納骨するだけ。永代供養になる。かなりお金がかかってしまい申し訳ないが、七海が決めてくれたことだ。大きくなったらお金を返さなきゃならない。気にしないでと言われても気にしてしまう。
 本当に昔も思ったが幼い子どもという肉体は不便すぎる。欲しいものに手が届かない。せめて高校生くらいになりたい。
 そう願い彼の手をそっと握りしめると、握り返してくれる。こうして俺の2人、否、3人での新しい生活が幕を開けたのだった。

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