07

 あれから月日は流れ、俺は無事に進級をした。2年生になり、後輩もできた。伊知地はなよなよして弱そうで少し心配していたから、呪術師ではなく補助監督志望だという。それでも補助監督でも危険は伴うことは確か。ちょっとくらい自衛の方法も学んでおいた方がいい。いつも元気な五条センパイにいびられてお腹が痛そうだし、反撃したくなった時にも苗字家の術はそう言った元々生まれ持ったモノに囚われず使用できるモノもあるので少しだけ伝授しておいた。伊知地に五条センパイに反撃する気はなさそうだが、念の為。
 少しでも長く生きていられるようにと願いを込めて。

 学生でも繁忙期は忙しく、否、それよりも前から少しずつ違和感を覚えるほどに忙しくなっていった。こうなる原因に目星はついているので、秀英(シゥイン)に探らさせている。俺だけでなく、俺のセンパイにまで被害が及んでいる。本当にいい加減にしてほしい。

「……そう、やっぱり。父さんに言っておいて。俺も落ち着いたらそっち帰るから」
「分かった。オマエも無茶はするな」
秀英(シゥイン)こそ、心配しすぎて禿げんなよ」

 くすくすと笑いながら通話を切った。秀英(シゥイン)には大変な役割を任せてしまって申し訳ないが、今の俺に自由に扱える手足は彼しかいないのだ。もう少し信頼のおける者をあっちで探しておくんだったと後悔するも今はどうにも出来ないだろう。

――もうすぐ、ケリをつけてやる。
――首洗って待っていろよ。

 握りしめた携帯がぴきっと音を鳴らした。そんな音を気にせずポケットに押し込んだ。


 雨が降りじめじめと空気を澱ませる。秀英(シゥイン)と話が終わり、淀んだ気分を晴らそうと何か飲みたいとふらついていたら、寮の共有スペースにセンパイを発見した。
 この空気がさらにセンパイの気を深い谷の底に落としているようにも見える。センパイの気分でも少し晴らしてあげようと自販機で缶ジュースを2本購入し両手に持ち、ちょこんとセンパイの前にしゃがむように腰を下ろした。俺が見上げるとすぐにいつも通りの優しい顔を見せる。

「どうかした?」

 ふわふわと優しく俺の頭に触れてくれ、思わず目を細める。センパイは人の頭を撫でる才能があるのだと思う。少し硬くゴツゴツした手が意外にも心地良くもっと撫でていてほしくなり、その手に頭を押し付けると両手で犬の様に撫で回される。俺が満足すると先程買った1本を夏油センパイの足の間に置いてあげると今度は滑らせる様に頬を撫でられた。

「振ってない?」
「んふふっ、夏油センパイにそんなことしないよ」
「本当かい?」
「ほんと。やるのは五条センパイだけだって」

 怪しむ様に、揶揄っている様にそう言うセンパイは、プルトップに手をかけた。ぷしゅりという音の後に炭酸のしゅわしゅわとした弾けるような音が聞こえた。先ほどの表情とはうって変わり優しそうに微笑んでいる。俺も自分のものを開けて喉を潤すとセンパイの瞳に写った自分と目が合う。じっと見つめていると不思議そうに首を傾げている。

「今度は私に奢らせてね。後輩に奢られたとなったら私の顔が立たない」
「そんなこと気にしないでいいのに。ま、センパイがそういうなら奢ってもらうけど!」

 そう言いながら、俺は自分の髪を結んでいた結紐をするりと解いた。すると長い髪がぱさりと重力に従うように舞い落ちる。不思議そうに此方を見るセンパイを気にせず、開かれた足の間に腰を下ろし、彼の手に俺の結紐を乗せた。俺の意図を理解してくれたのか、「仕方がないな」と柔らかく髪に触れてくれる。人に髪を触れられる感覚は嫌いではない。むしろ、好きな方。手櫛で髪を解かれもっと触れてもらってもいいのにとすら思う。

「…センパイ。ごめんね」
「今日は一体何をやらかしたんだ?」
「んーん、そういうことじゃないんだけどね」

 センパイに体重を預けるようにもたれかかる。「やりにくいよ」と笑われたが気にしない。缶ジュースで喉を潤しながらぼんやりと遠くを眺めた。雨が地面を打つ音がやけに鮮明に聞こえる。

「……あのな、今しんどい思いしてるのは、たぶん、俺のせいだから」
「どういうことだ?」
「んー、もう少しで色々と終わらせるから、その後に話すから。まってて」
「…今は教えてくれないの?」

 それだけ言うと髪をまとめる為に柔らかくて触れる。少しくすぐったくてちょっと笑ってしまう。俺は髪の毛でくすぐる様に頭を動かした。

「まだ教えてあげーない。せっかちな男は嫌われるよ?」
「名前こそ、あまりもったいぶりすぎると逃げられるよ」
「えー、でもセンパイは逃げないでしょ?」
「…そうだね」

 やっぱりセンパイは心当たりがあるのだと思う。今センパイを悩ませる嫌がらせは俺が引き受けよう。だから安心して欲しい。きっとセンパイを悩ますものはもうすぐなく無くなるから。本当は尻拭いは面倒だし、俺の尻拭い役は秀英(シゥイン)なのだけれど、今回は俺のせいで撒かれた種のようなところもあるのだから。
 俺は飲み干した空き缶をぐしゃりと潰し、ゴミ箱を目掛けて投げる。それは綺麗な弧を描き、カランと音を立てて着地した。

「センパイ、しんどかったらちゃんと誰かに話してね。五条センパイがダメなら、家入センパイでもいいよ。センパイって自分で抱えて潰れちゃいそうだもん」
「名前はどうなんだい?」
「俺は大丈夫。だって、五条センパイで発散してるもん」
「あんまり弄ってると拗ねるよ」
「はぁい」

 髪を一つに纏められると慣れた手つきで結ばれる。いつも通りに一番高いところでポニーテールにしてもらう。俺は結び直してもらえたのを確認すると立ち上がりセンパイの顔を上から見下ろした。センパイの黒々とした瞳と目が合う。しとしとと打つ雨の音に耳を澄ませる。ゆったりとした時間が過ぎるなら俺はゆっくりと口を開いた。

「もしセンパイが死んだら俺のモノにしてあげる」

 そう告げるとセンパイの前に小指を立てて差し出した。少し目を丸くするも目元に弧を描き、センパイも指を絡めてくれた。

「約束だよ」
「楽しみにしてる」

 まるで小さな子どもがする口約束のよう。いつの間にかしとしとと地面を濡らしていた雨は上がり、分厚い雲から抜けた、青い空には虹がかかっていた。



 それから数日後。
 俺は久しぶりの同期3人での任務にうきうきわくわく。なんなら、遠足前の子どもみたいに楽しみすぎて昨日はあまりよく眠れなかった。今日の任務は比較的簡単。最近この森で行方不明になっている人が多いらしい。森へ肝試しに来たり、山菜を摘みにきたりした人たちが消息不明となっている。戻ってきた人も現場ない。捜索隊の人たちの中にも行方不明者が出ているという。その原因はこの地にいる2級呪霊。今回はそれを祓うことである。これなら多分俺らには余裕だろう。七海も灰原も去年よりもずっと強く逞しくなっている。今回は烏は連れてきていないがきっと大丈夫。
 指定された森の奥に見えるのは小さな祠。そこに近づく為に一歩を踏み出した時に感じた違和感。こんなところに何かの結界が敷かれている。2級任務の筈なのに人為的なものを感じる。

「2人とも気をつけて、嫌な予感がする」

 静かにそう言うと2人は顔を見合わせこくりと頷いた。俺1人でくればよかったと思ったが、3人でと言われた任務だった。もっと根回しすればよかったかな。
 そっと剣に手をかけ、ゆっくりゆっくり進んでいく。
 祠の近くに近づくと地面が揺れる様な音がし、奥から現れたのは大蛇だった。祠に大蛇。

「嘘だろ?!」
「これは、土地神か!」

 七海の言葉に同意する。肝試しで行方不明。その理由がコレなのだろう。よくある森の祠に蝋燭だとかお供物を置いて帰るようなありきたりな遊び。こういう遊びが一番危険なのだ。コックリさんなんて降霊術の一つ。遊びでやっていいものではないのだから。きっとこれもその類だ。
 それにしてもこれは彼等の手に負えるものではない。とっとと逃げて、救援を呼ばねばならない。俺はポケットに入っていた携帯を灰原に投げつけた。

「センパイ達に連絡して、2人は逃げて」
「あだ名はどうする気!?」
「…大丈夫。俺ってこう見えても苗字家次期ご当主サマだよ」

 俺はそういいながら笑いかけ、2人よりも一歩前に立った。頷いた2人が走り去るのを確認すると笛を構えた。ここは元々土地神を祀っていた土地ということもあったのかかなり怨念が溜まっている。いや、違う。この土地に貼られてある結界がそれらを閉じ込めていたのだ。一見いい様に見えるが、この中に元々土地神という名の呪霊がいた。それに人の負の感情や怨念も吸収されてしまい、本来の階級を跳ね上げた。
 元々2級案件でもなんでもなく、1級案件が、特級に跳ね上がったと言う方がいいだろう。階級が上がるのは珍しくないが、ここまで爆速に上がるのはあまりみない。人為的な何かを感じる。
 笛に口付けをし音を奏でる。土から現れた兵士達を戦わせるもあっという間に蹴散らされる。蹴散らされても立ち上がらせるもこの呪霊に致命的なダメージは入らない。

「ぐっ、ほんといい加減にしてほしい、なっ」

 呪霊に跳ね返され、なんとか受け身を取り着地をする。どうしたものかと考えていると、落ち葉を踏む音が聞こえた。

「名前。やはり貴方、1人にはやらせません」
「先輩達が来るまで僕達も頑張ろう」
「2人は早く逃げてって!」

 七海達にそう告げるも少し悲しそうに眉を下げた。2人の話からするとどうやら中に入ったモノを外に出さないと言う結界は侵入した、俺たち人間にも作用するとのこと。その為、逃げることもできないと言う。八方塞がりとはまさにこの事なのだろう。

「……分かった。センパイたちが来るまで耐えよう」

 そう決意し、俺は笛を構え呪霊を見上げた。音色を奏で、兵士達を増強させる。七海の術式がどこまで効くかも分からないが、灰原の術式なら足止めくらいにはなるだろ。灰原の術式は諸刃の剣の様なところがあるがここには着火剤が多くある。大抵のものは燃えるのだ。

――2人とも無茶はしないでくれよ。

 俺も参戦する為に笛を腰に差し、土を蹴った。叢雲を抜き、呪霊に一太刀を浴びせる。兄さんの時の様に無敵という訳ではないが、攻撃が効いているという実感はえられない。呪霊は斬られた事に驚いたのか、七海達に向かいその長い尻尾を振り回す。なんとか避けた様だが、ギリギリのところ。
 大抵のイキモノは弱点は同じ。勢いをつけ剣を投げつける。狙いは的中し、弱点であろう目玉に突き刺さる。刺さったところから血、否、呪いが吹き出した。呪霊は暴れる様にその体を振りまわし、暴れ回る。暴れ回った瞬間に呪いに触れた草木が枯れた。
 俺は剣を抜き去り、続け様に攻撃を仕掛けた。

「2人とも血に触れちゃダメだ…!」
「わかった!」

 こうなるとあまり長期戦は見込めない。短期で決めないと。そして、違和感が大きくなる様に思えた。2人を死なせてしまう前に早く終わらせないと。早く来てくれ、センパイ達。

「あだ名!」

 その声に意識を引き戻される。呪霊が大きく口を開け鋭く長い牙が此方に向かっている。慌てて飛びのいた際に、同じタイミングで灰原が横から俺を抱き抱えるように飛びつき、俺たちは地面に転がった。その瞬間、ざくりと血が吹き出した。

「灰原!!」

 右頬をざっくりと牙で切られ、血が溢れ出している。灰原の頬をハンカチで押さえ止血すると、七海も近づいてきてきて変わってくれる。

「大丈夫です、傷は浅い」
「そんな心配しないで、あだ名」
「…うん」

 2人のそばを離れ、戸惑いを隠すように地面を蹴り上げ、枝に渡るとこの地に漂う気を集める。身体の芯から冷えていく感覚に頭も冴える様な気がした。黒いモヤ、怨念の塊を集め、動きを拘束する。拘束から抜け出る為に暴れる呪霊の攻撃が2人の身体を掠めた。致命傷にはならないがこのまま行けば大変な事になる可能性もある。
 2人が苦痛を堪える声がやけに鮮明に聞こえる。俺は殆ど怪我をしていないのに、なぜ、あの2人だけ。俺が攻撃に反応する様に彼らのみを攻撃する。

――そういうことか。

 自分の迂闊さに嫌になる。浮かれすぎていたのだ。久しぶりの3人での任務に。
 可笑しい点は沢山あった。だが決定的なこともあっな。俺が逃げようと動いた際に今まで俺に定めていた狙いを灰原に変えたのだ。知能がある呪霊ならまだ分かるが、それでもあのタイミングで狙いを切り替えるのはおかしい。あのまま、俺を狙っていたら2人とも殺せたのだから。
 あの呪霊は俺の攻撃、ではなく俺が動けば動く程に他の人間に危害を加えている。
 どうりで俺には殆ど攻撃がくらっていないわけだ。こんなこと出来る人間はあまりいない。俺個人に恨みを持つ人間の仕業だ。俺には敵わないからと周りを巻き込むクズの仕業である。だが、あの呪霊にそういった類の呪具が付いているよには見えなかった。遠隔操作か、近くでみているか。もしくは、人工的に生み出したかのどれかだろう。
 あの呪霊をどうにかしない限り助かる道はない。俺が動けば、彼らに危害が及ぶ。そう考えると自然と俺の足は止まった。まるで地面に縫い付けられたかのように。

――そろそろだ。

 俺は懐に隠し持った短剣を握りしめる。握る手が汗ばみ、滑り落ちそうだ。だがなんとか、それで結ってあるところから髪を切り落とした。今まであんなに重たかった物がなくなり、やけに頭が軽く、首元が少しスースーして気持ち悪く笑ってしまう。2人の戸惑いの声なんて俺の耳には入らなかった。否、入れなかった。

「烏!!」

 俺のその叫び声に応じるように、地面を鳴らしながら黒い男が姿を現す。先程、呼んでおいてよかった。俺は烏に自分の長い髪の毛を握らせた。烏は少し不思議そうにしているが気にせず笑う。

「烏、2人を連れてこの場から逃げろ。いいな」
「……」
「命令だ!!烏!早くいけ!!」

 そう言うと烏は重たそうに足を動かし、2人を抱きかかえ走り出す。

「名前!」
「あだ名、なにしてるの!!はやく逃げて!!」

 そこでみている奴。俺の仲間に手を出そうとしたこと、後悔させてあげる。この身に溜まった怨念があなたを呪い殺すだろう。クソババア。
 そんな顔をさせるつもりはなかったんだ。俺は、ゆっくりと口角をあげて笑う。

「悪い、先、死ぬわ」

 彼らがこの出来事を引きづらないようになるべく明るくそう告げた。大丈夫。髪には力を溜める効力があるのだ。それは俺が長年伸ばし続けたモノ。それ相応の力が溜まっている筈だ。そして烏は厳密に言えばヒトではない。ヒトだったモノだ。モノではあるが、彼の持って生まれたもののならこんな結界最も容易く敗れる。彼が連れていってもらえればあの結界も抜けられる。

――彼らは大丈夫だ。

 俺の上には呪霊が大きく口が目の前に見え、俺を喰らおうとする。まるでこの時間が止まっているかのようにやけに遅く思えた。
 瞼を閉ざせば見えてくる。この1年半の楽しく幸せな記憶。もっと馬鹿やりたかったなと思うが、それでも、今、思い出される記憶が幸せの記憶であるのならば俺は幸せ者だ。

――また来世で。
――今度は呪もなにもない。
――戦わず、誰も傷がつかない世界がいいなぁ。

 そんな泡となり消えてなくなりそうなほどの儚い希望を抱きながら、俺は呪霊に喰われた。
 最後に俺の耳に残ったのは彼ら悲痛な叫び声だった。


 こうして、俺はこの世から姿を消した。
 思い残した事もやりたかった事もいっぱいあるが、俺は大切な彼らを救えた。
 それだけで満足だ。

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