- ナノ -



それから何日経っても、ユガミさんは家に戻らなかった。私が伝えるよりも一足早く執務室に生活拠点を移したのか、それとも愛想をつかされてしまったのか。でも、もし後者だとしても、私に彼を糾弾する権利なんてなかった。私がシチューを作ったあの日でさえも、実はユガミさんが晩ご飯作って待っててくれてるかな、なんて甘ったれたことを考えていたからだ。

彼がいなくなって、お弁当も自分で作ろうと数日は頑張ったけれど、どうしても時間がかかってしまって段々やる気を無くしはじめた。外に出ても魅力的なランチが見つからずおざなりに済ませることが増えた。
気を遣ってくれたのか、今晩飲みに行かないかと上司の内藤さんが誘ってくれたのは、きっと勘付いたからなのだろう。私とユガミさんの関係が終わったことを。
◇◇◇

がやがやと騒がしい空間の中、居酒屋の店員さんお勧めの唐揚げをかじりながら、今までのことを内藤さんに相談した。

「良かったんじゃねえの。押しかけられてたんだろ?お望み通りの結果じゃねえか」

生ビールを一気飲みした後で、彼は満足げに笑った。対してお通夜モードの私はフレンチサラダに口を付けながら、その問いに答えられず曖昧な返事をした。
内藤さんは全くそれに構わないといったように、私の目の前に置かれた猪口に日本酒をだばだば注ぎ始めた。

「大方、便利に使っていた奴がいなくなった喪失感を好きと取り違えちまってたんじゃねえのか?」
「最初はそうだったかもしれません……でも、」

彼が姿を消した当初、何かに巻き込まれたんじゃないかと心配だった一方で、元々望んではじめた同居ではなかったし、私は彼を追い出そうとしていたのだから結果オーライじゃないかと気持ちを切り替えたこともあった。内藤さんが言った通り、一緒に暮らしていた人がいなくなった喪失感を、好意と取り違えてるだけなのだと。
それでも時間が経てば経つほど、ユガミさんの存在は薄れるどころか、色濃く残っていくばかりで。今までがただの強がりだったと自覚するのに、あまり時間はかからなかった。

「……うう……せめて手紙くらいよこしてくれたって……!」
「お、おいみょうじ、早まるな」

並々と注がれた日本酒をぐい、と一気に飲み干す。頭がぽわぽわして、寂しさを紛らわすってこんな感じなのかと納得している自分がいた。
その後もペースを落とすことなく飲み続けてしまい、飲み放題でなければ破産していたと内藤さんから雷を落とされたのはまた別の日の話だ。

◇◇◇

「おう、みょうじ、タクシー来たぞ」
「…………」
「チッ……ダメだ、寝てやがる」

なまえを半ば引きずるようにタクシーまで連れて行き、辛うじて彼女から聞き出した住所を運転手に告げた内藤は、暫し逡巡した後に自身もタクシーへ乗り込んだ。全く世話の焼ける後輩だ、と心中で呟きながら。
ネオンの光が流星のように走り抜けていく中、むにゃむにゃと彼女が何事かを呟いている様子だったので、耳を傾けた。

「おかえりなさい、ユガミさん」

ふ、と彼女が微笑み、再び車内に静寂が戻った。眼中に入る余地はなさそうだと、男は静かに目を逸らす。

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