- ナノ -



頼りになる上司から聞いた情報を一刻も早く伝えたくて、残業しないで帰ってきたのにユガミさんは家にいなかった。不定期で仕事に復帰しているという話は聞いていたけれど、昨日から帰ってきていなかったから、今の時間帯だったらと思ったのになあ。
小さくため息をついて、冷蔵庫を開けた。今日はシチューでいいか、簡単だし。必要な具材を取り出して、ユガミさんが先日研いでくれたばかりの包丁で刻んでいく。

冷蔵庫の中身から、作れるご飯を計算できるようになった。このスキルが身についたのは紛れもなくユガミさんのお陰だ。料理が面倒でカップ麺ばっかり食べていたのを見抜かれてから、休日は強制的に台所に連行されて料理のスキルを基礎から叩き込まれた。スパルタ特訓の成果か簡単な飾り切りならお手の物で、花の形になった人参に今も自画自賛したばかりだ。ユガミさんは当然ながら何枚も上手で、この前のお吸い物なんか凄い精巧な鳥の形をした人参が入っていて驚いたものだ。

(でも、ユガミさんが出て行くとなると、教えて貰える機会もなくなっちゃうよね)

せっかくの形が崩れてしまわないように、油でさっと具材を炒めたあと、分量通りの水を注いだ。煮立ち具合を確認しながら火力を調整し、料理にまだ苦手意識が残っているのを言い訳にして、シチューの素でちょっぴり楽させてもらうことにした。携帯のタイマー機能で時間を設定してから、ようやく一息つくことができた。ユガミさん、毎日こんなに手間をかけてご飯を作ってくれていたんだ。私なんかよりもずっと。

自分なりに頑張って作ったシチューがようやく出来たのに、ちっとも嬉しくなかった。何となく、ユガミさんは今日も帰ってこないのだろうと思ったからだ。

◇◇◇

妙にうるさく感じる時計の秒針が、少しずつ心臓にめり込んでいくみたいだ。一人で食べるご飯はこんなに寂しくて、味気ないものだっただろうか。ユガミさんが仕事でいないのは仕方ないとして、たまにおかずを掠め取っていくギンも今日はいなかった。
元々仕事を投げ出して早く帰ってきたから、晩ご飯を食べ終わった後も大分時間を持て余していた。テレビを付けてみたけれど、自分と別世界の人間がただ喋っているだけで、余計に寂しさを覚えてコンセントごと抜いた。気を紛らわすために台所に立って、いつもより早くお皿を洗いながら、ちら、と玄関のドアに視線を向ける。ユガミさんが来るまで毎日掛けていたキーチェーンが、だらしなくぶら下がっていた。帰ってこないという先の直感は間違いなく正解なのだろうけれど、お皿洗いが終わった後も何となく掛けられずにいた。
せめて何処にいるのかだけでも教えてほしいと携帯を取り出してから、今の今まで連絡先を聞いていないという事実に気づいて愕然とした。

私、ユガミさんのこと何も知らない。

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