- ナノ -


4.弐ノ丸とにんじんと極卒

  今日が何月何日なのか、この場所が私の家から近いのか遠いのか、それすらも分からない。いつも付けていたはずの腕時計も、ポケットに入れていたスマートフォンも見当たらないからだ。
 私が分かるのは今日の天気が晴れってことと、日を追うごとに私の思考が暑い日のチョコレートみたいに溶けていることくらいだ。

 ノートとペンさえあれば「ダンスを踊ってくれたジーナに食料のチョコレートをあげた」とか「壱ノ妙が持ってきてくれたお茶に茶柱が立っていた」とか書き溜めて、少しは気持ちを慰めることだってできるかもしれないのに。今日もベッドに突っ伏したまま無為に過ごしていると、壁の向こう側がにわかに騒がしくなった。
 誰か来た。自動ドアが動く気配を感じて、ドアに視線を注いだ。
 なんとなく……今回の来訪者達は、いつもと違う予感がしたのだ。

「戻れ、極卒。オマエはなまえとの接触を禁じられているはずだ。後できつぅいお灸を据えてやるからね」
「くけけけけえ! ボクは誰の指図も受けないよっ!」
「ねえ、もうあきたよお。おなかすいた」

 この場所を訪れる誰かは二人組という決まりがあるのだと思っていたけれど、ドアの向こう側から現れたのは、私が想像していたより一人多かった。
 黄色いリボンを頭に乗せたメルヘンチックな女の子と、目の周りを赤く彩った和服の人と、“極卒”と呼ばれた軍服の男性―世界観がとてもちぐはぐな三人が、大きな声で言い争っていた。

 声を掛けるタイミングがつかめないでいると、黄色いリボンの子の着物の裾から覗く、足の数に違和感を覚えた。
 どんなに目を凝らしても、1本しか見えない……。
 ぼうっと見ていた私の存在に気づいたのか、女の子が私の前までぴょんぴょんと跳ねてきて、大きな目をキラキラと輝かせた。

「みせもんじゃないぞ、コラ。なめとんか」
「えっ」
「!!……にんじん! やめなさい!」

 可愛らしい外見からは想像もつかないドスの利いた言葉が飛び出してきて、変な声を出してしまった。
 すると、表情を強張らせた和服の女性が足早にやってきて、にんじんと呼ばれた彼女と私を遮るように立ちはだかった。
 そして、私をじっと見据えたかと思うと、柔らかい笑みを浮かべて私の手を握った。

「御目汚し、大変失礼。……初めまして、アナタがなまえですね」
「は、初めまして……」

 軍服の男性にぶつけていた刺々しい台詞とは真逆の、温かな言葉に拍子抜けした。
 声の感じから女性だと思ったけれど、よく見ると男とも女ともつかない、中性的な顔立ちをしている。

「私は弐ノ丸です。アナタにお会いできる日を、ずぅっと心待ちにしておりましたの。……全く、マスターもお人が悪いわ。こんな愛らしい方に、すぐに会わせてくださらないなんて」
「にんじんのほうが、びしょうじょでやさしいよ。だからにのまる、おかしちょーだい」

 呆れたような顔をした弐ノ丸さんを、にんじんちゃんはキラキラとした目で見つめ返していた。どうにもこの二人は、相性が悪そうに見える。

「マスターはとってもヤキモチ焼きでね。だから男衆は、入れない決まりになっているのだけれど……」
「モチ? にんじん、おモチもすき。焼いてよ」
「……ぎいいい!! この猿どもめ! 大宇宙の支配者であるボクを無視するのか!!」

 極卒さんが目を血走らせながら、彼女達の間に割り込んできた。そういえば男性と会うのは、ここに閉じ込められてから初めてかもしれない。
 私から話しかけようとしたその時、弐ノ丸さんの手が、ばしっ、と私の口を覆った。
 驚いて弐ノ丸さんを見ると、彼女は私に目もくれず、凍りつくような視線で極卒さんを睨んでいた。

「最後の忠告だよ、極卒。オマエは、ここにいては、いけない」
「何だとお? ボクに向かってなんて口を利くんだ! この馬鹿めが! ボクは大宇宙の」
「道理を知らぬのはオマエだ。……はあ。全く、過去の栄光にしがみつく男程見苦しいものはないさね」
「無礼者!! もう許さないからなァア!」

 今にも血管が切れそうな極卒さんが手に構えたのは、彼の顔を模した禍々しいメガホンだった。
 スイッチの入ったスピーカーから大音量のノイズが流れた瞬間、弐ノ丸さんが頭を抑えて床に崩れ落ちた。額からは汗が滲んでいて、とても息苦しそうだ。

「ぐっ……あ、頭、っが、あ……」
「弐ノ丸さん!? 大丈夫ですか?」
「……ご、極卒うぅ……ぜ、ぜ、絶対に許さないぃい……」 

「わ〜お! チョッカれーつがおいてある! もーらい!!!!!!」

 大音量で轟いた極卒さんのノイズよりも、地の底から響くような弐ノ丸さんの低い声よりも、にんじんちゃんの歓声の方が大きかった。
 部屋のテーブルに置いていたチョコレートを目ざとく見つけた彼女は、勝手に口に頬張りはじめた。

 すると極卒さんも、先程の形相はどこに行ったのか「ずるいぞ!! ボクにもよこせ!!」とニコニコ顔でお菓子の争奪戦に加わっていた。余っていたお菓子がこんなにも役立つとは予想外だった。
 さっきまでの緊張感は、まるで嘘のように溶けて無くなっていた。

 そして、ようやく弐ノ丸さんも正気を取り戻したのか、おもむろに立ち上がって、深々と私に向かって頭を下げた。
 彼女といい椿さんといい、ここの人たちは礼儀正しいなあと思う。怖いくらいに。

「この度の顛末は、必ずマスターに報告いたします。どのような処罰も受けるつもりですわ」
「……私は何かされたわけでもないので、大丈夫ですよ。弐ノ丸さんは何も悪くないって、本当はマスターさんに直接伝えたいですけどね」
「まあ……お優しいこと。本当に、マスターにぴったりの女性ですわ」

 微笑む弐ノ丸さんに、頬を優しく包まれる。そして私にしか聞こえないような声で、ひっそりと耳元で打ち明けられた。

「ここに居る人間は”皆”狂っている。マスターも、そしてアナタも」
「…………」
「まあ、私もその中の一人ですけれどね」

 私の中の鬼が良心をのたまうとは皮肉なものだわ、と弐ノ丸さんは愉快そうに舌を出した。

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