- ナノ -


3.壱ノ妙と椿

 ジーナとおんなのこが帰ってから、いったい何日が過ぎたのだろう。この部屋には娯楽用品が一切ないせいで、今日も途方に暮れ果てて天井を見つめる。
 部屋の天井には小さい窓が取り付けられていて、そこから日光がわずかに差し込んでいた。ということは、今は朝か昼かのどちらかだ。部屋中央の真上にあるそれは、ベッドを踏み台にしても到底届かない高さなので、窓を上手く割ったところで逃げ出せそうにない。
 でも、天井に窓があるということは、この部屋は一番上の階なのだろうか。少しずつ、脱出するためのパズルピースを嵌めていく。
 マスターと呼ばれる人物が何の目的で私を連れてきたのかは、未だに分からない。ヒントが全然足りない。


 それから何回目かの太陽が昇った後、ついに自動ドアが動く気配を感じた。
 私が近くに立っても自動ドアは微動だにしないので、やっぱり向こう側からの一方通行になっているようだ。

「……あれ?」

 カタカタと音を立てて現れたのは、ジーナとは違うタイプの日本人形だった。
 桜の刺繍が施された下袴をはためかせながら、どことなく異様な雰囲気を醸し出している。そして、両手でしっかりと支えられた盆には、湯気を立てた湯呑みが置かれていた。

「なまえ、ドウぞ」
「あ……ありがとう。……あの、あなたの名前は?」
「ナ、マエ……?」

 赤い目がちかちかと点滅する。どうやら考え込んでいるようだ。
 この隙に逃げられないか、そんな考えが一瞬頭をよぎる。

「その子は、雨人形壱ノ妙です。感情を持たない、かなしいカラクリ人形……」

 部屋に入ってきた女性のあまりの美しさに、息を呑んだ。凍る夜に道を照らす月光のように、真っ白な肌をした女性だった。背中まで伸ばした漆黒の髪が、肌の白さを一層引き立たせている。

「申し遅れました。わたくし、椿と申します。どうぞお見知りおきを」

 女性は緩やかに口角を上げて、自動ドアを背に立ちふさがった。そして間もなく、外から鍵をかけたような金属音が聞こえた。マスターはどうしても、私をここから出したくないらしい。

「さて。本題に入りましょう。マスターの指示で食料をお持ちしました」
「え? あ、ありがとうございます。ちょっと心許なくなってきたので……」

 椿さんが近づいてきたとき、あることを思い出した私は慌てて距離を取った。椿さんは不思議そうな顔をして私を見つめた。

「どうか、されました?」
「……椿さん、私、匂いとか大丈夫ですか? ここに来てから、ずっとお風呂に入っていないので……自分のものだからか、どのレベルなのかも自覚できなくて……」
「あら、そういうことでしたら心配は無用ですわ。貴女がお休みになっている間、手の空いている女衆がお清めしていますから。僭越ながら、わたくしもお手伝いしておりますの」
「えっ!?」

 私は驚きつつも、実はどこか腑に落ちる所があった。いつも目が覚めた時に、何故だかさっぱりとした感じを覚えていたからだ。
 とはいえ、この部屋には入浴できる設備がないので、てっきり感覚が麻痺していると思っていた。

 それにしても、寝ているとはいえ身体を触られているのに、一度も気づかないことなんてあるだろうか。
 椿さんに聞いてみると「確信はございませんが……安静効果の高いお香を炊いているからかもしれませんね」と、さらりと流されてしまった。

「あの、…………」

 お礼を言おうとしたその時、マスターの息がかかった彼女たちに感謝するのは筋違いでは、という考えが脳裏をよぎって、言葉が途切れる。
 けれど同時に、監禁したのは目の前にいる人たちではないこともわかっていた。

 だから、私の相手をしてくれるこの人たちには、感謝の言葉を伝えてもいいはずだ。それは間違いじゃないと思う。
 思い切って再び声をかけようとすると、椿さんは急に暗い表情を浮かべて、視線を床に落とした。

「わたくしは、なまえが羨ましいです。こんなにもマスターに想われて……。わたくしの愛した人は、どんなに泣いても帰ってはこないというのに……」
「つ、椿さん……?」

 何かのスイッチが入ってしまったのか、椿さんは掠れた声で延々と何事かを呟き続ける。
 壱ノ妙に助けを求めようと振り向いたけれど、彼女も静かに首を振っていた。……待つ以外に、手はないみたいだ。


「申し訳ございません。わたくしとしたことが、はしたないところを……」

 ようやく椿さんは、我に返ったようだった。はらはらと涙を落としている彼女に深々と頭を下げられると、かえって萎縮してしまう。
 そもそも、私は監禁という申し訳ないことをされている側なのに、逆に私が申し訳ないことをしている気分になってくる。

「……わたくしどものマスターを、どうかお嫌いにならないでくださいましね。あのかたは本当にお優しいのです」

 椿さんの言葉に同意するかのように、壱ノ妙の目がちかちかと点滅する。彼女が感情を持っていないなどと、私にはどうしても思えなかった。


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