2.おんなのことジーナ
「こんにちは、なまえ」
小さな鈴を転がすような声が、無機質な空間に儚く溶け込んだ。
声の主である藍色のワンピースを着た女の子は、光のない目で私を見つめていた。
「あなたは? どうして私の名前を?」
「あなたはなまえ。わたしはおんなのこ」
「……なんとなく、雰囲気であなたが女の子なのは分かるけれど……」
「あの子はジーナ。とても踊りが上手なの」
イマイチ会話が噛み合わないと思いながら、私は視線をドアの方に向けた。
ジーナと呼ばれたサイケデリックな髪型をした女の子は、ドアを通せんぼするみたいに佇んでいた。
片方が見張り役、もう片方が私の話し相手といったところだろうか。でも、ジーナも背が低くて細身だし、強行突破すればうまく逃げられるかもしれない。
逃げ出す算段がついたところで、自然と私はおんなのこが持っているもの―食料と水に目が釘付けになっていた。
そういえば、ここにさらわれてから何も食べていなかった。喉がごくりと音を立てる。
「これ、マスターがなまえにって。なくなったら、私達が運ぶの」
「ま、ますたあ?」
「そう。マスター。なまえをつれてきた人。私達のすべて」
つれてきた人、という言葉に、背筋が粟立つ。
そうだ、私は拉致されてここに来たのだ。食料なんかに目を向けている場合じゃない。
私が今やるべきこと、それは一刻も早く逃げ出して警察に駆け込むことだ。こんな時に食い意地を張ってどうする。
私は勢いよく立ち上がって、出口まで一直線に走った。心は痛むけれど、このままジーナに体当たりをすれば、細身の彼女はそのまま吹っ飛んで出口を突破できるに違いない。
そう思った瞬間、ジーナの首がぽろりと取れた。
予想外の出来事に、危険を察知した私の本能が両足に急ブレーキをかけた。彼女の首は宙に浮いたまま、私の目の前に素早く移動した。
あっけにとられる私をよそに、ジーナの身体に纏っていた糸が飛びかかってきて、私の手首と足首にぐるぐると巻きついた。バランスを崩した私はそのまま床に身体を打ちつけてしまい、衝撃と痛みが全身に走る。私の一世一代の脱出劇は、あっけなく失敗に終わってしまった。
逃げだそうとした私の処遇は、これだけで終わるはずもない。糸の締め付けは段々と強まっていって、手足が千切れそうなほどに痛かった。
うう、と情けなく泣き言を洩らす私に、おんなのこが助け船を出してくれた。
「ジーナ、だめ」
「…………」
「傷つけないでって、マスターがいってた」
「…………」
ジーナの表情は終始変わらなかったけれど、私を縛っていた細い糸はうねうねと弛んで、彼女の元へ音もなく戻っていった。
いつのまにか彼女の首も、元通りになっている。抵抗する気力を無くした私は、ゆっくりと立ち上がってジーナに頭を下げた。
「その……ごめんね。突き飛ばそうとして」
返答はやはりなかった。最初に仕掛けたのは私なのだから、怒るのも無理はない。
おんなのこは淡々とした声色で「大丈夫、ジーナおこってない。なまえが逃げないのなら」と私の肩に手を置いた。
全然フォローになってないよ。心の中で、がっくりと肩を落とした。