33. それは似て非なる者


 慌ただしい騒音と電子音がDATS本部で響き渡る。
「座標の固定!精度55%!転送バッファ集積率28%!」
「デジタルゲートオープンまで推定15分!」
 黒崎と白川の声に合わせて、他の研究者たちが瞬時に調整に移る。しかしデジタルワールド自体が不安定なこともあってなかなかうまくいかない。
「まさかこんな事態になろうとは……」
「上層部は納得しないじゃろうなぁ」
 顔をしかめる薩摩に、湯島も穏やかとは言えない声で応じる。政府や上層部は一刻も早い事態の収拾を望んでいたので、ここで作戦を中断すると言いうことを彼らは納得しないだろう。しかし、デジタルワールドで起こっていることは理解できた。今は彼らを無事に人間界に連れ戻して対策を考える方が賢明だ。
 小百合は働き詰めの研究者たちにおにぎりなどの軽食を振る舞い、美鈴も夫の補佐をキビキビとこなしている。各々が今出来ることに全力で取り組んでいた。
「……」
 知香はそんな大人たちの様子を黙って隅から見つめている。
 そんな知香に、美鈴はどうしたの?とやんわりと言い、知香は少しだけ目を伏せてから美鈴に問う。
「……なんで、父さんと母さんはあんなに落ち着いていられるんだろう、って思ったの」
 兄であるマサルは行方不明に。ダイブしたトーマたちも非常に危険な状況にある。大きなモニターに映されているあちらの様子では、自分のパートナーであるピヨモンもハッキリ写されていた。
 クレニアムモンが戦っている敵の姿は、映像からも見てもとても怖くて恐ろしい存在なのだと幼い知香でも十分すぎるほど理解できた。もし自分の兄がそんな敵に別世界で立ち向かっているかもしれないと考えたらとても落ち着いてなんかられない。
 それでも彼女の両親は焦るでもなく狼狽するでもなく、落ち着いて作業にあたっている。落ち着かなければいけない状況なのはわかっていた。しかし、全く動揺の欠片も見せない両親に知香は少しばかり戸惑う。
 吐露された知香の心の内を聞いて、美鈴は少しだけ困ったように笑って周りを見る。
「多分ね、皆信じているからよ」
「?」
「小百合さんも、大門博士も、皆マサル君の無事を信じているの。心の底からね」
 大門夫妻は強い、特にあなたのお母さんは。そう美鈴は目を細める。もしイクトがマサルのような立場に置かれていたら、一か月前の自分ならば絶対に平静なんて保っていられなかった。それどころかイクトを再びデジタルワールドに送り出すことだってできなかったに違いない。
 イクトがデジタルワールドに消えていた10年間、美鈴はほとんど心が壊れかけてしまっていた。しかし、小百合は息子だけでなく夫の帰りも長い間気丈に待ち続けていた。並みの心の強さではない。そんな小百合の強さの原点は信じることだ。美鈴は小百合のそういった所にある種の憧れを持っている。
「信じる……」
「だから知香ちゃんも信じてあげて。お兄ちゃんを、ご両親を。もちろん自分のパートナーもね」
「……うん!」
 知香は力強く頷くと「ありがとう」とだけ言って母親を手伝うために駆け出した。








33.それは似て非なる者








 イグドラシルの防衛プログラムの警報音は鳴りやむ様子をみせない。それどころかますます音は大きくなっているような気さえした。
「余程腕のあるものだと伺えるな」
 クダモンは冷静に上を見上げ、それを聞いたトーマたちは表情を曇らせる。
 敵の狙いがコアだとしたら、そのすぐ近くにデジタルゲートを開こうとしているトーマたちは敵に鉢合わせることになるだろう。その場合、確実に戦闘は避けられない。トーマたちが戦えないとなると、クダモンや遼、そして後ろに続くピヨモンやカメモンたちに戦ってもらうしかないだろう。
「案ずるな。お前たちは私が必ず人間界に返す」
 いつもなら力強いクダモンの言葉が、トーマたちにはとても申し訳なく感じた。
 しかし、今はなんとしてでもコアの元にたどり着くことが先決だ。促されるままに、彼らは上へと進んで行く。
「あのデーモンというデジモンは何者なんだ?」
「あれはこのデジタルワールドのデジモンではない」
 この世界のコアを手に入れる為に攻め入ってきた七大魔王の内の一体だそうだ。かつて倉田が目覚めさせたベルフェモンも七大魔王の内の一体。そうクダモンは淡々と説明する。
「七大って! デーモンのようなのが他もいるっていうの!?」
 淑乃はぶるりと身震いするが、クダモンは「わからぬ。実際に奴のような七大魔王はベルフェモン以外には見たことがない」と返す。それに疑問を持ったのはイクトだ。
「何故クダモンはデーモンのことわかる?」
「イグドラシルから聞いたのだ」
 敵のデータは、全てホストサーバーであるイグドラシルからもたらされた情報だった。しかし、イグドラシルはこの世界のデジモンに対しては万全な情報を提示できる。外部からきたデジモンについては表面上のデータのみだが、クダモンたちロイヤルナイツが今までイグドラシルを守れているのはそのデータのおかげだ。
 垂れ下がっていた蔦から更に上の階層へと登る。そこには真新しい戦いの後が刻まれていた。粉々に砕け散った水晶の欠片が戦闘の激しさを物語っていた。
「敵はここから侵入したのか」
「壁や床のひび割れ方から見ると、打撃系の武器をもったデジモンだな」
 遼が壁の上部に開いた穴を見て、トーマが床と壁に触れて冷静に分析する。
 戦っているような騒音はさらに上から響いていた。分析もほどほどにしてトーマたちは走り出した。
「ところで、君はどのくらい戦えるの?」
 走りつつ、淑乃は遼に問う。もしこの先一緒に戦うことになるのなら、遼の実力は把握しておく必要があった。遼も淑乃の言葉を理解したのか「究極体相手にも引けはとらないよ」とだけ答える。
 進めば進むほど、戦闘の音は大きくなっていった。イグドラシルの中にあるコアまではあと少しだとクダモンは言う。
 道が開けて行った。何かを殴るような派手な打音が響く。
 最上部に足を踏み入れたトーマたちが見たのは、オレンジに染まった水晶体を殴り飛ばす人影だった。砕かれた水晶体は最後の一つだったようで、それが動かなくなったとき、辺りに静寂が満ちた。
「人間か?」
 少しの間の後、遼が呟く。
 フードで顔の半分を覆われているため、人間なのかどうかははっきりわからない。ただその殴る戦闘スタイルが、トーマたちのよく知る人物を思い起こさせる。
 人影がゆらりとトーマたちを見て、口を開く。
「おー、ずいぶん遅かったな」
 その聞き覚えのある声と口調に、トーマたちは驚きと安堵の入り混じった声を上げる。
「「「マサル!」」」
 間違えるはずのない友の声にイクトと淑乃は笑顔で人影へ駆けだし、トーマも安堵の笑顔を浮かべた。遼は何が起こったのかわからないまま、フードの人物を見つめる。人影は駆け寄ってくるイクトと淑乃の姿を見て、微かにフードの下にある口の端を持ち上げた。
「サイバードラモン!」
 それを見た遼の本能が警告を鳴らす。相棒の名を呼び淑乃たちに向かって地を蹴ったのと、クダモンが何かに気付き「そいつに近づくな!」と叫んだのはほぼ同時だった。
「「え?」」
 その声が届いた時、二人はすでに人影の目の前にいた。人影のマントがはためき、フードが揺れその奥にある暗い緑の瞳が淑乃とイクトを映す。瞬間、その濃い緑に血のような赤い光が宿った。相手の左足が動く。「危ない!」とトーマたちが口を揃えて声を飛ばす。二人はその人影が放った殺気に体を硬直させた。
 人影の左足が空を切る。淑乃とイクトに向かって真っすぐに放たれた蹴りは二人にあたることはなかった。二人の体は遼とサイバードラモンに引っ張られ、すれすれの所で人影の蹴りを回避したのだ。
「ま、さる……?」
 何が起こったのかわからない二人は呆然と呟く。あのマサルが自分たちに攻撃を? と脳内で処理しきれない出来事が淑乃とイクトから思考能力を奪った。先に我に返ったのはトーマだ。
「マサル、じゃないのか……?」
 少なくとも、マサルは何の非もない相手に拳を向けるような男ではない。それは彼を知る全員が知っていることだ。トーマの言葉に、人影は「何言ってんだよ」と己のフードをつかんで取り去る。
 長く、濃い土色の髪。夜の森の様に静まり返った生命力のない深緑の瞳が露わになった。
「俺の顔を忘れたってのか?」
 それは紛れもない、かけがえのない友の顔をしてニヤリと笑う。

「この喧嘩番長、大門マサル様をよぉ!」

マサル≠ヘ声を上げると共に地を蹴った。先程仕留めそこなったイクトに向かって拳を振り上げる。「サイバードラモン!」と遼が支持を出す前に、サイバードラモンはマサル≠フ腕をつかんでイクトを庇う。しかし「邪魔だ」の一声と共につかまれた腕を横に振り払いサイバードラモンを吹き飛ばす。もちろんそれだけでやられるサイバードラモンではない。すぐさま体制を立て直し、マサルに向き直る。
「トーマ君!二人を頼む!」
 すぐに遼も走り出し、サイバードラモンの横に並ぶ。
 先程から度々大門マサルの話を聞いていた遼は、彼が生身のまま究極体と渡り合えるほどの力を持っているのを知っている。究極体には究極体だ。
「サイバードラモン、彼は人間で間違いないのか?」
「いや……確かに人間の気配はあるが、デジモンの気配の方が強い……」
 なんらかの方法で、デジモンが大門マサルの姿をとっているのだろうと推測できる。むしろそう考えるのが妥当だろう。
「いくぞ!サイバードラモン!」
 人間でないのなら、全力で戦える! 遼は自身の持つ紺色のアークを頭上で構えた。


MATRIX  
EVOLUTION_


「マトリックスエボリューション!」

 言葉と共に、遼とサイバードラモンが紺色の光に包まれる。

「サイバードラモン進化!――ジャスティモン!」

「マトリックスエボリューション……?」
 光が収まった時、その場に遼とサイバードラモンの姿はなく、代わりに首に赤いスカーフを巻いた人型のデジモンがそこに立っていた。あれがサイバードラモンの進化した姿なのは容易に想像できるが、だとしたら遼はどこに? その疑問はジャスティモンがトーマに声をかけた瞬間に解けた。
「トーマ君たちは安全な場所に隠れていてくれ」
「あ、あぁ……」
 無駄に爽やかな、もし彼の顔が見えていたら白い歯を輝かせた笑顔を浮かべている姿が想像できてしまい、トーマは顔を引き攣らせる。感覚であれは遼とサイバードラモンが融合した姿だとわかった。どうやら、異世界のデジタルワールドでは進化の仕方もまるで違うらしい。
「人間とデジモンの合体進化か……おもしれぇ!」
 初めて見る進化にマサル≠燒レを輝かせる。緑に、赤が奔った。
 ダンッ!と強い音で床を蹴った。先制を仕掛けたのはマサル≠セ。
 右ストレートが寸分の狂いもなくジャスティモンの顔面を狙う。ジャスティモンは紙一重でそれを避けるとがら空きになったマサル≠フ右脇腹を狙って左足で回し蹴りを繰り出す。しかしマサル≠ヘ避けられた右拳をそのまま振りぬき、右足を軸に体を半回転させて同じ左足でその蹴りを受け止め、そのまま回転を止めずに勢いのまま左手でジャスティモンの首筋に裏拳を叩き込んだ。咄嗟に反応できなかったジャスティモンは防御も回避もできずにその拳をモロに叩きつけられる。
「ぐっ!」
 強烈な裏拳に、ジャスティモンは脳がそのまま揺さぶれたかのような感覚に陥った。視界がブレる。体が傾くと同時にマサル≠フ左拳が容赦なくその鳩尾に叩き込まれた。その身体は勢いよく吹き飛ばされ、木目の壁に叩きつけられて壁は大きく凹んだ。
「ジャスティモン!」
 トーマが叫ぶ。ジャスティモンの体が再び光に包まれて二つになる。そこに現れたのは気絶している遼と小さな恐竜型デジモンだ。進化が解けてしまったのだろう。
「なかなかいい動きだったぜ」
 マサル≠ヘ楽しげに笑うと部屋の奥へと進んで行く。その先は巨大な切り株のような台座があり、それはかつて大門英の体に宿ったイグドラシルが君臨していた場所だった。その中央にはデジソウルを纏う青い光の球体が浮かんでいた。マサル≠ヘそれに飛び乗る。
「あそこにはこの世界のコアが!」
「なんだって!?」
 それを見たクダモンはトーマの肩から飛び出す。
「イグドラシルを構成する核。それこそがこの世界のコアなんだろ?」
 そう言いながらマサル≠ヘその球体へと手を伸ばす。
「それに触れるな! クダモン進化! ――スレイプモン!」
 小さな管狐が光を纏い、赤き鎧を纏った天馬へと姿を変える。スレイプモンは間髪入れずにマサル≠ノ対して攻撃を仕掛けるが、その攻撃が届く前にマサル≠ヘ光球をつかみ「おせぇよ」とスレイプモンに向き直る。淡く青い光を放っていたそれは濁った橙色へと染まっていく。
 マサル≠ヘ光球を掲げた。それは一際強い光を放ち、その光はスレイプモンの体を貫く。スレイプモンは苦悶の悲鳴を上げながら床に倒れ伏した。
「スレイプモン!」
 トーマたちは慌ててスレイプモンに駆け寄る。データの破損が酷い。一刻も早くデジヴァイスの中で休ませるべきだろう。
「へぇ、デーモンの言ってた通りだな。これさえあればロイヤルナイツも目じゃねぇ」
 光球を弄びながらマサル≠ヘ台座からトーマたちを見下ろす。
「お前はいったいなんなんだ!」
 トーマが怒りを抑えぬままマサル≠見上げ、叫ぶ。
「だから、俺は大門マサルだっつってんだろ?」
「僕の知っている大門マサルはこのような事はしない! お前は偽物だ!」
 その言葉にマサル≠ヘ面倒だと言いたげに後頭部を掻く。
「……まぁ、偽物ってのもあながち間違いじゃねーな」
「どういうことだ!」
「わりぃけど、もう時間切れだ」
 そうとだけ言ってマサル≠ヘ再び光球を掲げる。先程よりも強く禍々しい光が部屋を覆う。
「この世界からやらないと失敗しちまうからなぁ」
 光が目もあけていられないぐらいに強くなっていく。光球は自然とマサルの手を離れて浮かび上がった。
「なにが、はじまるの……?」
「強い力、感じる」
 二人の言葉にスレイプモンはふらりと立ち上がると「世界の統合が始まってしまう」と言った。丁度トーマたちのすぐそばで緑色のゲートが開く。デジタルゲートだ。丁度あちらの準備が終わったらしい。
『トーマ、淑乃、イクト。ここは一時撤退だ。帰還せよ』
 通信機からの薩摩の声を聞いて、スレイプモンは「私に乗れ」と自分の背をさす。
「人間界へお前たちを送り返す……」
 世界の統合が始まった今、デジタルゲートは恐ろしいほど不安定だ。時間がたつほどその歪みは大きくなっていく。一気に駆け抜けなければならない。
 トーマはすぐさま気絶した遼を抱えてスレイプモンの背に乗せる。サイバードラモンが退化したモノドラモンは淑乃とイクトが運んだ。
「急げ!」
 急かすスレイプモンにトーマやピヨモンたちデジンモもその背に乗る。どの道、この場所にいては命はないからだ。
 朧気ない足取りのままボロボロの体に鞭打って、スレイプモンはゲートに向かって駆け出す。
 その様子を見ていたマサル≠ヘ「人間界に行くのか」とぽつりぼやいてゲートまで歩み寄る。

「帰んのはいいんだけどよ、人間は置いて行ってもらうぜ」

 マサル≠ヘ再び光球を掲げ、不敵に笑った。



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