15. 見えぬ者と見える者


 その言葉は、何よりも雄弁に今起こっている事態を物語っていた。

「やっと、貴方たちとコンタクトをとることができました」

 慈悲深く柔らかい微笑みを浮かべながら、ホメオスタシスは緩慢な動きで、選ばれし子供たちを一人一人見渡した。
 そして一拍置き、光子郎が一歩前へ進み出る。
「単刀直入にお聞きします。今この世界で起こっている異常現象は、デジタルワールドに関わりがあるんですね?」
 丁寧な光子郎の問いにホメオスタシスは頷くことで肯定した。
 子供たちの憶測が核心へと変わる。
「今、デジタルワールドは非常に最悪の事態にあります。それは人間界に大きな影響を与えるほどのものです」
 ホメオスタシスはすぐさま選ばれし子供たちにコンタクトをとろうとしたのだが、今のデジタルワールドに起こっている現象のせいで今までそれも叶わなかったらしい。本当は、今こうして子供たちと話していることすらやっとなのだという。
「時間がありません。このままではデジタルワールドだけでなく、人間界も消滅してしまいます」
 その言葉に、緊張が走る。あちらがどうなっているのか全くわからないが、今まででもっとも大変な事態に陥っているのだろう。
「全てのデジヴァイスを、この場所に…………どうか、急い……世界の……境界線が」
 ふらりとヒカリの身体から力が抜けた。太一がヒカリを受け止める。
「世界の、境界線?」
 ホメオスタシスはもう、ヒカリの身体から消えていた。







15.見えぬ者と見える者







 キャンプ場での出来事から数分もたたずに、東京湾で調査をしていた大輔たちに太一から連絡が入った。
 それは「すぐにキャンプ場へ来てくれ」というもので、今大輔たちは道中で合流した丈とミミと共にタクシーを捕まえてキャンプ場へ向かっている。この騒ぎの中でタクシーが拾えたのは、ほとんど奇跡と言っても差し支えない。なので多少狭くても、決して文句を言ってはいけないだろう。
「大輔―! もっとあっちに寄ってよ!」
「そっちの方が空いてるだろうが! 京がそっちに寄ればいいだろう!」
「レディーファーストって言葉知ってる!?」
「だーれがレディーだってー!?」
 押し込められてぎゃんぎゃんと騒ぐ大輔と京。そんな光景に互いで顔を見合わせて苦笑するのはミミと賢だ。助手席に座る丈と、丈の膝の上に座っている伊織は二人して苦笑するタクシーの運転手に謝っている。
タクシーがスムーズに進んだとして、一時間弱の距離。それまではこの五月蠅い騒音に耐えなくちゃならないのか、と丈は胃がギリッと音を立てるのを感じた。

「ホメオスタシスって一体何なんですか?」
 先程のキャンプ場でのやり取りを事細やかにメールで伝えてくれた光子郎の文面を見て、伊織が丈に問う。丈は少し考えてから「僕もよくわからないんだ」と申し訳なさそうに言った。
「たぶん、デジタルワールドの神様みたいなものなんじゃないかな」
 デジタルワールドの安定を望み、子供たちを選び出し、デジヴァイスを与え導く存在。確かに神≠ニ例えられるのが妥当なのだろう。おそらくホメオスタシスは否定するだろうが。
 おそらく今回も大きな闇の力が暗躍しているのだろうと、子供たちは薄らとだが感じ取っていた。
閉じたデジタルゲートの事も、子供たちかデジタルワールドに来られないようにするための策なのかもしれない。
「パルモンたち、無事だといいけど……」
 以前の事件では、なにか異変があるたびデジヴァイスにSOSが入っていたが、今回は一回も連絡が入ってこない。それもデジタルワールドに行けないことと関連しているのかもしれないし、あるいはSOSさえ出せないぐらいの状態に陥っているのかもしれない。もし後者だとしたら、と子供たちの不安は募るばかりだ。
あちらで今何が起こっているのかは、子供たちには全くわからない。ホメオスタシスが残した世界の境界線≠ェ推測するための唯一のキーワードだ。
世界の境界線、それはデジタルワールドと人間界のことを指しているのだろうと賢は言う。おそらくそれは間違っていないのだが、大輔は何か記憶の片隅で引っかかるものを感じていた。
「……あ、そうだ。夢で聞いたんだ」
 皆が議論する中、大輔はやっと記憶を引っ張り出せたのか指を鳴らす。
「夢がどうかしたのか?」
「あぁ。なんか世界の境界線がどーのって、前にどっかで聞いた覚えがあってさ。……確か、前に見た夢の中で」
 いったん言葉を区切ってから、大輔は記憶に残っている言葉をゆっくりとなぞっていく。

――すべての世界の境界線が崩れ去り、すべての世界は新しい世界として生まれ変わる。

「……ってかなんとか……」
 頬を掻きながらぼんやりという大輔に、賢と丈と伊織はすぐさま思案顔になる。対して京とミミはぽかんとしていた。
「お客さんたち、付きましたよー」
 無言になった空気に割り込んできたのは、タクシーの運転手の間延びした声だ。待っていましたとばかりに降りていく大輔たち。
 そしてつい年長者の癖で財布を開いてしまった丈は、タクシーの料金メーターを見て硬直した。


*******


(お兄ちゃん……?)
 
 ヒカリは少し首を動かして自身の兄を見つめた。ざわりざわりと胸の内を何かが蠢くのを感じた。
(暗い、闇……? アレはなんだろう)
 気のせいだろうか。太一の身体に黒い靄のようなものが纏わりついているように、ヒカリには見えた。それは現れたり消えたりを繰り返している。しかし、他の仲間たちは何も見えていないのか、普通に太一と話していた。
(気のせい、かな?)
 そんなヒカリの視線に気付いたのか、ヤマトと光子郎との話を中断して、太一はヒカリに歩み寄る。
大丈夫か? と問いかける兄に、ヒカリはぼんやりとしたようすで頭を上下に動かした。その様子はどこか疲れた様に見える。
ホメオスタシスが消えてから、ヒカリはずっとそんな状態だった。
「……ホメオスタシスが乗り移ったことで、ヒカリさんの身体に負担が掛かったのかもしれませんね」
 もともとこちらの世界にコンタクトをとるものやっとの状態だった。とすれば前の時以上に、彼女に負担が掛かってしまったのは当然の結果なのかもしれないと、光子郎は推測していた。
 ヒカリも光子郎の推測を聞いて「そうなんだ」と理解していた。
彼女にはホメオスタシスに乗り移られた時の記憶は全くないので、自分自身にも本当のことは何一つわからない。でもそうだとすれば、体の怠さも説明がつく気がした。
「ヒカリちゃん、小屋の中で少し休みましょう」
 どちらにせよ、大輔たちが来てデジタルワールドに行けたとしても、その状態のままでは危険だ。小屋の中で休むようにと空がヒカリを促す。ヒカリも、いざという時にみんなの足手まといになるわけにはいかないと、素直に空に従い小屋へ向かおうとみんなに背を向けた。
「大丈夫?」
「はい。少し疲れただけです」
 少しふらついた体を空が支える。体は怠さを感じるが動けないほどではない。少し休めば治る。そうヒカリは自分に言い聞かせて、小屋に入ろうとした時だ、
「……っ!」
 ゾクリと、突然の悪寒がヒカリを襲った。全身の産毛が逆立つような冷たいものが背を伝っていく感覚だ。
 これは昔から度々感じていた、嫌なものが彼女に近づいた時の感覚と酷似している。ゆっくりと背後を振り返り、ヒカリは目を見開いた。
「!?」
 光子郎たちと相談をしている兄の周りに、また黒い靄が纏わりついていた。先程とは違い、より濃くハッキリと。ヒカリはその靄に恐怖を感じ、声を上げられずにそれを凝視した。
「ヒカリちゃん?」
 そんなヒカリの様子に、空が声をかける。だが、ひかりには全く聞こえていないのか、太一を見つめている。
 その靄は少しずつ形をとった。無数の小さな腕の形に。それはまるで太一をどこかへ連れて行こうとしているかのように。
「お兄ちゃん!」
 たまらずに、ヒカリは悲鳴を上げるように兄の名を呼んだ。ヒカリが声をあげたことで靄は驚いたのか、風に吹かれたかのように、すぅ……と消えて行った。
 太一たちの視線はヒカリに集まるが、ヒカリは黒い靄がすぐに消えてしまったことで戸惑いを感じていた。
「どうしたんだ?」
「あ、えっと……」
 なんて言っていいのかわからず、ヒカリは口ごもる。太一はヒカリの様子に首を傾げるが、そこでタイミングよく待ち人たちの声が割り込んできた。
「太一先輩! ヒカリちゃーん!」
 祠前の急な階段を大輔が駆け上ってくる。東京湾を調べに行った組がやっと到着したようだ。あとから駆け上がってくる伊織たちの姿も確認できた。
「すみません。タクシーがなかなか捕まらなくて……」
「まぁ、この状態だから仕方ないわ。電車も止まっているみたいだし。むしろタクシーを捕まえられただけでもラッキーよ」
「タクシーが動いていただけでも驚きだ」
 空とヤマトの言葉はもっともだった。しかし、それでもホメオスタシスが消えてしまってからそれなりに時間がたっている。急いだほうがいいだろう。そう思い「ところで丈はどうした?」
とヤマトはミミに問いかける。
「丈先輩ならタクシーのお会計してたから、もう少しで来ると思うわ」
 笑顔で答えるミミに、あぁ、払わされたんだなと内心で丈を哀れに思いながら、ヤマトは「そうか」と顔を引き攣らせる。東京湾からここまでいくらかかったのか、聞かない方がいいだろうなとヤマトは忘れることにした。
「ところで、どうやってデジタルワールドに行くんですか?」
「とりあえずはデジヴァイスを集めろと言われただけだから、わからないのよね」
 京の質問に空が答える。
 大輔たちが到着する前から光子郎が調べてはいたが、なにもわからないままだ。
「まぁ、丈か来ればわかるだろ。……そういえば、ヒカリ、さっきはどうしたんだ?」
「え? あ、ううん。なんでもないよ」
 大輔たちが来たことで忘れていたことを思い出し、太一は問うがヒカリはふるふると首をふる。太一は「ならいいけど、何かあったらすぐに言えよ」とヒカリの頭を撫でた。
「あ、丈先輩が来ましたよ」
 伊織の声に全員の視線が階段のほうへ向く。ちょうど丈が息を切らしながら階段を上がってくるところだった。
「おそくなってごめん!」
「いいさ。……これで全員そろっ…………!」
 太一がそう言いかけて、丈が階段を上りきった時だった。
「なんだ!?」
「デジヴァイスが……!」
 子供たち一人一人から真っ白な光が現れた。それらはデジヴァイスから発せられている。
 太一がポケットに入れていたデジヴァイスを取り出すと光が何かに導かれるようにのびる。他の子供たちのものも同様に。それらはすべて小屋の丁度手前へのびていく。
 六つのデジヴァイスと六つの3-Dの光は一点に集まり、弾けた。
 あまりの眩しさに子供たちは目を閉じる。それは一瞬のことで、再び目を開けると、そこには虹色に輝く円が浮いていた。おそらくは、デジタルゲートだろう。
「ゲートが開いたのか?」
 太一がおそるおそるゲートに近づく。
「おそらく丈先輩が到着したことによって、デジヴァイスが揃い、ゲートが開いたのだと思います」
「じゃあ、これでデジタルワールドに行けるのね!」
 京の言葉に、全員安堵した表情を浮かべるが、すれはすぐに緊張に変わった。
「今、デジタルワールドに何が起こっているのかは全くわからない。油断は禁物だ」
 太一の低い声に、全員が頷く。
 今回は遊びに行くのではない。そう改めて心に刻みつけて。
「それじゃあ行くぞ!」
 子供たちが全員ゲートの前に立ったのを確認してから、京は大きく息を吸って、いつもの台詞を高らかに叫んだ。

「選ばれし子供たち、出動!」




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