14. 必要と不必要の判断




 甘えたで泣き虫で我儘な弟。そんな弟を甘やかす両親。それらにいつからか、直樹は危機感を感じていた。このまま友樹が大人になってしまえば、いつか取り返しのつかないことになるだろうという予感がしていたのだ。
 氷見直樹は、どこまでも弟に対して不器用な男だった。
 だが今まで直樹はそれなりに器用に人生を歩んできている。必要なこととそうでないことを区別するのが、人より秀でていたからだ。必要な経験、必要なもの、必要な人間関係。直樹はいつも感覚的にこれらを理解し、無駄なくそつなく、勉学も人間関係も目立ったトラブルもなくやってきた。
 そんな彼は弟を大事にしていた。弟に何が必要で何がそうでないのか。自分たちの両親以上に友樹を理解していたのだ。
 だが皮肉なことにその秀でているものが、なによりも大事な弟との溝を掘っていた。それに気付いてはいたものの、直樹は弟に対する接し方を変えようとしたことはない。それこそが弟のためになると理解していたのと同時に、彼はそれだけしか方法が思いつかなかったのだ。もっとうまくやる方法はいくらでもあったのだろうに。
 諭してはみるものの、直樹の言葉の意味を、友樹は「兄ちゃんは自分が嫌いなんだ」と思い込んで一度として聞き入れようとはしなかった。また、友樹がまだ幼いという事も頭の片隅に置いていた直樹がしつこく言う事もなかった。
 そんな弟は昨年の夏休みを境に変わった。それは直樹が思っていた以上に良い方向へ。なによりも自分の本当の気持ちを理解してくれたことが直樹にはなによりも嬉しかった。
 だからこそ、今直樹は弟を一方的に叱り飛ばすことはしない。怒っているのは当然だが、それでも感情を押し隠してゆっくりと弟に問う。
「今渋谷がどんな状況か、わからない訳じゃないだろう」
「わかっているからこそ行かなくちゃならないんだ」
 弟の瞳は、どこまでも本気だ。単なる我儘で言っているのではない。直樹は直感的にだが、友樹が自分の知らない大きなものを抱えているのだと思った。
 しばらくそうしてから、直樹は小さく息を吐いて「少し待っていろ」とだけ言い残して二階に上がっていく。
(許してもらえたのかな……?)
 直樹の厳しさは自身に対する愛情だと、友樹は理解している。でも自分より遥かに年上の兄の考えていることは、まだまだわからないことの方が多いのだ。







14.必要と不必要の判断







 それから十分ほどしてTVの音が途切れた後、直樹は玄関に戻ってきた。手には小さなカバンと、家の鍵を持っている。
「行くぞ」
 驚く友樹の脇を通り過ぎて、直樹はさっさとスニーカーを履いて外に出る。友樹も後を追うように出ると、家の鍵を閉めてガレージに向かう。
「兄ちゃん?」
「ほら」
 声をかけると直樹はあるものを放り投げてきた。綺麗な放物線を描いて友樹の手に収まったのはバイクのヘルメットだった。わけがわからずにバイクを出した兄とヘルメットを交互に見詰める。
「それかぶって後ろに乗れ。送ってやる」
「え、でも……」
「ここから渋谷駅は距離が遠いだろ」
 そんな友樹に苦笑しながらも、直樹はバイクのエンジンを入れて跨る。友樹も兄の言葉に大人しく従い、バイクの後ろに乗った。
「しっかりつかまってろよ!」
 兄のバイクに相乗りするのは初めてのため、友樹はおずおずと兄の腰に手を回す。それを確認した直樹は勢いよくバイクを走らせた。


*******


 地面が再び大きく揺れた。上空からはとうとう報道関係者のものであろうヘリが騒音をたてている。おそらく上空からの報道のみ許可が下りたのだろう。
「これはあまりよろしくはないかなぁ」
 ヘリが行きかう空をビルの隙間から眺めて、輝一は頬に手をあてつつ「ふぅ……」とため息を吐く。もともと行動範囲が制限されているにも関わらず、ヘリで上空から撮影されてしまえば親にここにいることが露見してしまう。これまで以上に慎重に行動しなければ。
「ここも安全とは言えなくなったな。いったん地下へ潜ったほうがいいかもしれない」
 下水道の地図から駅への侵入経路を探っていた輝二が顔を上げる。いくらビルの陰に隠れていようとも、油断はできない。
 幸い、この路地裏にあったマンホールからならば、比較的簡単に駅の内部にあるマンホールへと地下を通っていけることはわかっている。
 しかしまだ待ち合わせまで一時間半もあるのだ。頼み綱でもある懐中電灯の電池を無駄にするわけにはいかない。
 どうしたものかと悩んでいると、突然件のマンホールがガタリと動いた。瞬時に双子は身構えるが、そこから顔を出した人物の顔を見て、肩の力を抜いた。
 這い出てきたのは体格のいい少年と、綺麗な金髪をした華奢な少女だ。
「輝二に輝一! 久しぶりだな!」
「Da quanto tempo! 元気だった?」
 少年、柴山純平と少女、織本泉は双子を見るなり顔をほころばせた。
「あぁ」
「二人とも無事にたどり着けてよかったよ」
 嬉しそうにニコニコと二人の手を握る輝一と対照的に、輝二はそっけなかった。しかしこれでも彼はすごく喜んでいるのだとわかっているので三人とも特に追及はしない。
「ふふっ。輝二は相変わらずみたいね」
「……」
 まるで一年半前のような和やかな雰囲気が漂う中、純平がきょろきょろとまだ見ぬ仲間の姿を探す。
「あれ? 拓也と友樹はまだか?」
 純平のその言葉に双子はそろって首を振る。よりにもよって、一番不安な二人がまだたどり着いていない。
「おいおい、間に合うのかよ」
「うーん……」
 今や自衛隊の見張りを抜けたからと言って安心できる状況ではない。これからますます報道のヘリも増えるだろう。そうなるとここに来ることすら出来なくなってしまう。
 全員がはらはらとし始めた時だった。
「お――い」
 力のない声が聞こえた。みると、路地裏の奥の方からおぼろげな足取りで近づいてくる赤があった。
 その姿が誰のものであるか一瞬でわかった四人はすぐさま彼に駆け寄る。
「拓也……!」
 名を呼ばれた拓也は「よっ」と片手をあげて駆けてくる四人に笑いかけ、そしてふらりと体を傾けた。
 慌てて双子が拓也を支える。「おい、大丈夫か?」「熱がある。……風邪ひいているでしょ」と二人の問いに、拓也は力なくははっと笑った。
「そんな体調でよく来れたな。無茶しやがって」
「運が、よかったんだよ」
 四人はそんな拓也に呆れたような表情を浮かべてから微笑む。なんだかんだと言っても彼がいると安心するのはみんな一緒なのだ。
「じゃあ、あとは友樹だけね……」
 次々と数を増やしていくヘリを見て、泉は呟いた。


*******


 直樹がバイクを走らせて三十分たらず。彼が友樹を下したのは渋谷区とは少し離れた人気のない川沿いの道路だった。
 そこで直樹はバイクを近くの建物の影において鍵をかける。戸惑う友樹をよそに、直樹はあろうことか川のフェンスを乗り越える。
「兄ちゃんなにしてるの?」
「降りるんだよ。友樹も早く来ないと間に合わないぞ」
 兄の考えが読めぬまま、友樹は差し出された手をとってフェンスを越える。下までは階段が作られており、危険を冒すことなく川岸まで降りることができた。
 少し歩いて二人がたどり着いたのは、堤防の側面に作られた大きなトンネルだ。それは下水道に繋がっているのだろうことは友樹にもわかる。
 隣でカバンから懐中電灯と地図を取り出す兄に、友樹はやっと彼の意図を理解した。
「ここを通っていくんだね」
「あぁ。地上から行くには自衛隊を相手取らなきゃならないしな。それに地図を見ると、ここからだと比較的簡単に渋谷駅の中に通じるマンホールに出られる」
 そこまで考えて、調べてくれたのだろう。友樹は目をぱちくりさせた。と同時に彼の携帯の着信が鳴る。メールだ。
 ディスプレイには木村輝一≠ニ表示されていた。見ると、友樹以外渋谷駅の近くに待機しているという連絡メールだった。
「え、僕が最後?」
 そんな様子を横から眺めていた直樹は、横からひょいっと友樹の携帯を取り上げるとおもむろに携帯のボタンを打ち始めた。もともとは彼の携帯なので操作に困ることはないのだろうが、友樹は慌てる。一分もかからずにメールの返信を打ち終えて送信していた。そして無表情のまま友樹に携帯を返却する。
「ここから渋谷駅の中まで直接行く。お前の友達がいる場所も通過するから途中で合流したほうがいい」
 その趣旨のメールを返信したのだろう。確かにそのほうが安全ではあるが「一言ぐらい言ってほしい」とぼやく友樹に、直樹は「説明している時間がもったいない」と返した。そして直樹はスタスタとトンネルへ進み始め、友樹も慌てて後を追う。
 少し進めば、光のない真っ暗な世界に入る。直樹は懐中電灯をつけて、地図を頼りに迷いなく先へ進む。
「なぁ、友樹」
「なに?」
 黙々と足を進めていた直樹は不意に口を開く。友樹も足を止めないまま兄の横顔を見上げる。
「何でお前が、渋谷駅に行かなくちゃならないか、その理由を教えてくれ」
 友樹に視線を向けることをしないまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。友樹は困惑した。ここまでしてくれる兄に、本当のことを話さないままデジタルワールドに行っていいわけはない。しかし、兄は果たして自分の話を信じてくれるかわからないのだ。下手をしたら連れ戻されかねない。
「でも……」
 口ごもる友樹の心情を理解したのか、直樹は持っている地図を軽くはたくように友樹の頭に乗せる。

「お前の話を信じるか信じないかは俺の判断だ。だけど、お前がこのタイミングで嘘を言うなんて思っていないぞ」

 そう言ってやんわり微笑む兄の顔に、友樹は決心して口を開いた。



- 16 -


[*前] | [次#]
ページ:




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -