09. 幸運が積み重なって


 御下がりでもらった兄の携帯を握りしめ、友樹はスニーカーの靴紐をしっかりと結び直して玄関の扉を見つめる。
 付けっ放しにしていたリビングのTVからは、相変わらず絶えずに渋谷の情報が流れていた。彼の握りしめる携帯にもまた、謎のメールが届いていた。
 今は家にいない両親からは「外に出てはいけないよ」と言いつけられていたが、このメールが届いた時から自分が行かねばならないのだと友樹はそう思った。きっと自分だけじゃない。一年前ともに戦った年上の仲間たちも、きっとそう思ってやってくるに違いない。
後でしこたま叱られる覚悟を決めて、友樹が玄関の扉に触れた時だ。
「……何処に行こうとしてるんだ?」
「!」
 友樹の肩がビクリと跳ねる。おそるおそる振り向くと、兄である直樹が無表情のまま壁に寄りかかって友樹を見下ろしていた。怒っているのか、その威圧感に友樹は身を縮めた。
「な、直樹兄ちゃん」
「母さんたちに外に出るなと言われただろう」
 咎めるようなその口調はキツイが、それも友樹を心配してのことだと友樹自身も理解している。しかしここで引くわけにもいかない。
 直樹もそんな弟の気持ちを感じ取ったのか、その場を動こうとせずにジッと弟を見据える。
「僕、行かなきゃいけないんだ」
「何処へ?」
 兄の目をしっかりと見つめて、友樹はハッキリと「渋谷駅へ」と答える。
 そこで初めて直樹は無表情を崩した。






09.幸運が積み重なって






 渋谷区と周辺の区界は自衛隊と報道人と野次馬たちでごった返していた。ここだけでなく、何人たりとも渋谷区には入れないようになっているのだろう。時折、震度3ぐらいの地震が渋谷の地を脅かしている。
 すっかり人気のなくなった渋谷区ビル街の裏路地。ビルの陰で薄暗くなっているそこは普段でも人があまり寄り付きはしないだろう。
そんな裏路地に、ガタリという音が響いた。コンクリートの地面にあるマンホールが動いた音だ。その下にある2つの目が、辺りを探るように動く。人々の喧騒も、人の気配も遠い。
「輝二、大丈夫そう?」
「問題なさそうだな」
 マンホールの淵がゴリゴリとコンクリートをこすった。その下の空洞から出てきたのは頭にバンダナを巻いた黒髪の少年だ。彼は身軽な動きでマンホールから出る。小さな懐中電灯と地図をポケットに詰めて、中にいるもう一人に手を差し伸べる。
 少年、源輝二の手に引かれ、彼とよく似た顔立ちの少年が這い出てきた。
「平気か?」
「これくらいなんともないさ、でも」
 木村輝一はいったん言葉を区切って苦笑する。
「もう体験したくないな、下水道を通ってくるなんて」
「俺もだ」
 くすくすと二人で笑い合ってから光のある表通りへと歩き出す。
 二人もまた渋谷駅に向かっていた。しかし道中で自衛隊の封鎖があり、二人はあらかじめ調べておいた大きな川にある下水道を通りここまでやってきたのだ。
 人の気配に注意しつつ、二人は誰もいない渋谷の町を駆け抜ける。いつもだったら人でごった返している場所に誰もいないというのは軽くホラーだ。時折起こる地震も容赦なく恐怖を煽ってくる。
「拓也たち、来るかな?」
「あいつらなら来るだろう……こっちだ」
 遠くから車のエンジン音を聞き取り、輝二は輝一の手を引いて細い道へ隠れる。ビルの陰から様子を伺うと大きなトラックが数台駅の方角に向かって通り過ぎて行った。機材を積んでいるところを見ると、ニュースで言っていた自衛隊の特殊部隊だろう。
 メールで指定された時間は五時。政府が送り出した特殊部隊の調査開始も五時。なにか作為的なものを感じるが、少なくとも五時より前に渋谷の地下ターミナルに到着しなければ大変なことになるかもしれない。なにしろデジタルワールドの存在を知る人間は限られているのだから。もし自衛隊がデジタルワールドに足を踏み入れるようなことがあれば、日本は大パニックになるのは間違いない。それが二人の一番の心配だ。
「……正面突破は無理だな」
 JR渋谷駅の入り口には自衛隊の本部が設置されていた。輝二は離れたビルの陰から様子を伺い、どうしたものかと頭を捻る。
「とりあえずそれを考えながら拓也たちが来るのを待とう。俺たちだけがたどり着けても仕方がない」
「そうだな」
 とりあえず残りの仲間たちに此処にいるという文面を送って、輝二はビルの壁に寄りかかる。
 時刻はたった今、三時を示した。


*******


 目黒区と渋谷区の区界にある大型デパートの陰で拓也は自転車を降りた。
「どうしたもんかな……」
 先の大通りの殆どは自衛隊により封鎖されていた。なんとか入り込もうとする命知らずな報道陣が路地裏へ潜り込んでいくのをちらちら見かけるが、それらもほどなく自衛隊により摘まみ出されている。路地裏にも見張りがいるのは間違いないだろう。
 拓也はふらりと壁に寄りかかり、ずるずると座り込む。冷たい壁が、自転車をかっ飛ばしたせいでさっきよりもはるかに上がっている熱を吸い取っているようで心地よい。心なしか先程よりも咳をする回数が多くなっている気がする。
今は三時をすぎた少しぐらい。スムーズに行ければ余裕をもって間に合うぐらいだ。しかし、それにもここを越えなければならない。
 送られてきたメールから輝二と輝一はもう渋谷駅近くにいることがわかった。
「輝二たちは下水道を使ったのか……」
残念なことに今の拓也のいる場所の近くには川がない。ここからマンホールを探すにしても人気のない場所を探さなければならないし、拓也はそう言った準備を何もしていなかった。下手に暗い水路に潜り込んで迷ったらそれこそ本末転倒だ。
 拓也は頭を抱えて考えるが、熱に浮かされた頭では名案など浮かばない。
 裏路地を正面突破するか、と無謀な考えを持って拓也はなるべく人気がなさそうな場所へ回り込むことにした。
 自転車をその場に置いて拓也は歩き出す。大通りから離れてビル群の間を縫うように進む。まだ目黒区内のため自衛隊の姿はない。
 それほど広くない道路の近くに出る。反対車線に行けば渋谷区だが、その道路の路地に入る場所にも自衛隊員が一人いた。
(どう突破するか……)
 幸いにも一人だけだ。隙をついて気絶させることができればなんとかなるのだが、生憎拓也は一端のサッカー少年。輝二のように剣道を学んでいる訳ではない。訓練を受けている自衛隊相手にはたとえ体調が良くても無謀というものだ。
 咳を堪えつつギリギリの所で息を潜める。
 じっとしていると間もなくチャンスがやってきた。拓也のいる細道とは別の道から報道関係者であろう男が飛び出したのだ。その男はまだこの先の自衛隊員に気付いていない。
(よしっ!)
 おそらく一度きりであろうチャンスに、拓也は腰を浮かせて身構えた。
 男が角を曲がろうとした瞬間、案の定自衛隊と鉢合わせる。
「何をしている!」
「ちっ!」
 男は舌打ちをして無理矢理進もうとするが、首筋に手刀を入れられあっさりと昏倒してしまった。
「全く、油断も隙もない」
 自衛隊員は溜息を吐きながら男を担ぎ上げる。おそらく別の場所に運ぶのだろう。持ち場を離れたこの隙に拓也は反対車線へ渡り、路地に入ることに成功した。
 自衛隊員とやりあうことなく進めたことに安堵しながら、拓也は先を急いだ。




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