幸水 / へしさに現パロ叔父姪

すぐに食べるか、と差し出されたダンボールの中に並んでいたのは、白で編まれた緩衝材にすっぽり包まれた黄茶色の宝玉。首を縦に振ると、叔父さんは僅かに跳ねた煤色の髪を揺らして「今年の梨は一等甘いぞ」と笑った。

お盆の時期になると毎年一夜、親戚一同が祖父母の家に集まる。スーパーで買ったお寿司やお母さん特製の揚げ物、裏の畑で取れた野菜のサラダとか親戚各々の各地の土産が所狭しと座卓を彩って、大人達は朝まで飲んだ呉れるのだ。今となっては数も見なくなったという長屋の一室にていい年した大人達が周りを気にせず騒ぎ笑い泣く様子は、さほどこの家に思い出がない私でもどこか懐かしさを感じるほど温かい。
そうして昔話や近況報告に花咲かせつつ食事が後半に差し掛かると、国重叔父さんは決まって出張先で買ってきた梨を剥いてくれる。その味が、どんなに大振りなネタのお寿司よりも都会の銘菓よりも好きだ。
歯を押し当てればしゃくりと音を立てて崩れるざらついた実は名前の知らない添加物ばかりが含まれた砂糖菓子なんかより幾倍も甘く、じゅわりと舌を撫でる瑞々しさは乾きを何よりも満たす。思い出すだけで喉を鳴らしたくなる夏の味は、林檎よりもよっぽど蠱惑的。

まだ天ぷら油の温度が残るキッチンにて、叔父さんが梨を剥くのを特等席で眺める。夏の小さな恒例行事のうちの一つだ。換気扇の回る音がごうごうと小さく反響する。
あんたって本当、梨が好きね。宴会場と化した広間と厨房とを仕切る戸を引きながら、お酒を飲んで上機嫌になっているお母さんの声を聞いた。うん、と笑い返しながら隙間なくぴったり戸を閉める。
そうだよ、私は梨が好き。
二人だけの空間が完成されて、がやがやとうるさい大人たちの声も水底から聞こえてくるようなものに変化する。かすかに漏れ聞こえるのは私だって何度も聞かされた、祖父の幼いころの武勇伝。
「同じ話ばかりして何がそんなに面白いんだろう」
「お前も歳を取れば分かるさ」
叔父さんはこちらを一瞥すると笑って蛇口を捻り、シンクをざあざあと泣かせた。俺とお前は違うんだと馬鹿にされたような気がしてムッとする。
「おっさん臭いよ」
「うるさい、危ないから向こうに戻っていなさい」
差し出したタオルで手を拭いて、口先だけの注意をしながら梨を手に取る姿に私の心臓はとくりと音を立てた。決まって国重叔父さんは、梨を剥く前にこの台詞を言う。少し突き放すような口調は私の身を案じるだけでなく、まるで何かの線引きをするようなもの。今言葉の通りに出て行ってしまっては絶対にいけない。薄皮に刃を当てる叔父の姿を見つめながら、漠然と思った。

しゃくり。しゃくり。
リズムよく皮を切り離す心地よい音はわずかに耳奥に振動を伝え、頭の奥がふわりとしたぬるさを持ち始める。
「梨剥くの上手くなったよね」
「俺は元々器用な方だ」
あまりに神妙な顔をして真面目に嘘を吐く様子が面白くて、堪えきれずに声を出して笑ってやった。
梨の緩やかな弧を滑り終えた雫はゆっくりゆっくり、比較的白い肌の叔父さんの腕を伝っていく。うっすら浮かんだ筋の溝を滑る水滴はやがて肘のあたりで危なっかしく揺れ始める。

国重叔父さんはどうやらかっこいいらしい、と気づいたのは去年のこの時間だったか。幼い頃はそんなの考えてみたこともなかったけれど、改めて見ればなかなか整った顔をしている。
黙って刃を滑らせ続ける様子をそっと眺めてみる。すぅと通った鼻筋とか少し広めのおでことか、獲物を見据える鷹のような目とか、不思議な色した瞳とか。どうして今まで意識に留まらなかったのか分からないほどに整いすぎているような。
全然お父さんと似ていないことは、昔から言われていたらしい。祖父の兄弟が、父と叔父さんがあまりにも似ていないので腹違いの浮気相手の子だと思い込み、祖父を殴ったことがあると話していたことを思い出す。数年前の宴会で聞いた話だ。やめてくれよぉとゲラゲラ笑う、缶一本で皮を赤くさせた父とは裏腹に、叔父さんは顔色ひとつ変えず静かにグラスを傾けていた。こういう話は居心地が悪いんだろう。叔父を見た。突然、視線は重なった。叔父さんは口元だけで私にしか見えないよう笑って、手元の透明を飲み干した。長い脚で組んだ胡座を緩慢に解き、散らばる空き缶を器用に避けながらこちらに向かって歩いてきた。私は妙に怖くなって身を固くした。バツの悪い心地を感じながら、綺麗に切りそろえられた叔父の足先に視線を縫いつけた。叔父さんは微塵も気にしない様子で、私の髪を撫で攫うように触れながらしながら通り過ぎた。私は一層体を硬直させるはめになったが、数十秒後の意識は目の前に運ばれてきた大葉の天ぷらに映っていた。
親戚の中でも一番親しみやすい国重叔父さんだから、自分では気づいていないだけでどこかお父さんに似ているのだと思っていたけれど。時が経つほど似ていないように思い、こころは馴染んでいく。

酔っ払いの笑い声や電灯の光る音、鈴虫の鳴き声。耳に入るものは正体が何なのかわからないほどに混ざりあって迷彩模様の和音を飛ばしている。けれども不思議と思考は整頓されていて、不完全密室にはっきりと存在を示すのは梨と包丁の擦れる音だけ。
厨房に取り付けられた小窓から夜空を覗く。数ばかり多い癖してちろちろと頼りなく光る星達はふうと息を吹けば見えなくなってしまいそうに儚い。北極星はおそらくこの位置から見えないんだろう。
「叔父さんの住む街から星は見える?」
節くれだった親指が梨の皮をゆっくり送るのを眺めながら問う。叔父さん絶対に梨を剥くのうまくなったな。以前は皮にたくさんの実が張り付いたまんまだったのに。
「あぁ、見えるさ」
「ここより?」
「いや、見えてもいつつむっつくらいかな」
「それ見えてるって言うの」
「知らん」
二つ目の梨を剥き終えた叔父さんはぢゅ、と音を立てて親指の腹を吸い、「甘い」とつぶやいて眉間にしわを寄せた。
「いいじゃん、甘い梨」
「甘すぎるんだよ」

お父さんによると国重叔父さんはそれなりに良い会社の良い地位にいて指揮を取っているらしいが、いつも黙ってお酒を飲んでいる様子しか見ていないからぴんとこない。本当は実家の近くでもあるここらの支店で働く予定だったのが本社に飛ばされたってくらいだから、それなり優秀なんだろう。私たちの住むこの市とは違って、国重叔父さんの住む街は誰がどう見ても大都会。数回家族で旅行に行ったことがある。空なんて、見ようと思わなければ目に入ってこないところ。
「っていうか、星を見るなんて情緒持ってるんだね」
「馬鹿にしてるのか?」
子どもみたいにあからさまに拗ねた顔をして、切った梨を右手でごとりごとり器に放り込みながら私の眉間をぐりぐりと親指で押してきた叔父さんがちぐはぐで、おかしくってくすぐったい。っていうかそれさっき舐めてた指じゃん。指摘しようとしたけれどそれ以上でも以下でもないので閉口する。
私で遊ぶ叔父さんの顔はいつも楽しそうだ。こんなくだらない話で大の大人が笑うなんて普段よっぽど楽しいことが無いのかなって、失礼を承知で不安になる。いっつも気難しそうな顔してるのに私のひとことで目を細めて楽しそうに笑えるなんて、自分で言った言葉だけれどそこまでの反応は想定していないからどう対応すればいいのか、時々わからなくなる。
鈴虫の音が止んだ。
ひゅうと風の吹く音がさっきよりも目立って聞こえて、包丁を持ち直した叔父さんが梨の皮を剥く音が響き始める。
見ている。この時間。呼吸が聞こえる。
「お前も切ってみるか」
「いい、見てる」
「そう」
「やっぱり、うまくなったよ」
「さっきからなんだ」
ほんとに、うまくなった気がする。もっとずっと前の記憶では、がたがたの実を嬉しそうに出してきて、それを食べて、私はその梨が好きで。
私は、好きで。


「起きてるか?」
叔父さんがちらりとこちらの様子をうかがうのがわかった。
「半分寝てたかもしれない」
「もう9時を回っているからな、子どもは寝る時間だろう」
「子どもじゃない」
「いいや、お前はいつまでたっても子どもだよ」
よく言うよ。叫んで喚いてしまいたくなるのを飲み下して、嘘つきな、くすんだ紫を見上げる。
「ひとつたべるか」
「たべる」
ひとかけらに手を伸ばす前に、それは眼下に降りてきた。
「イルカの餌やりみたい」
「今度手本を見に行くか?」
返事をしようと口を開いたらそのまま実をつっこまれたのでおとなしく従う。
ぐじゃり、と音をたてて噛めば口の中に広がるのは溺れそうなほどの甘い水。ざらざらを舌で弄びながら、私はゆっくり視線を窓の外へ向けた。
濡れた私の唇から動かない叔父さんの視線にも、そこにやわくぬるりと包まれた意味にも、気づかないふりをして。



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