群青は走り出す


「赤葦、お前風邪でもひいてんのか?」
「は?」

怪訝そうに首を傾げて尋ねた木兎さんに、一瞬面食らって言葉が出なかった。部活終了後、木兎さんの要望に応える形で延々トスを上げ続けた自主練終わり。
シャツに腕を通しながらこちらを見た彼に、とりあえず首を振ってみせた。

「いえ、別に普通ですが」
「そうかあ?でもお前、最近元気ねーぞ?」

確かに調子は悪い。でもボロを出したつもりはないのに、まさか木兎さんに見抜かれるとは思わなかった。そんなにわかりやすく凹んでいるだろうか。半ば諦めの思いで聞き返してみる。

「何でそう思うんですか?」
「勘だ!」
「……」

…この人に思慮深さの端くれを見つけようとした俺が間違っていたらしい。

「まあ敢えて言うなら、なんか調子悪そうだからよ。トスとかもっといつも、こう…スワッと!ピタッと!来るのに、最近こう…」
「日本語でお願いします」
「何をう!?立派に日本語だろ!」

騒ぐ木兎さんをあしらいながらロッカーの戸を閉める。目を上げた先、窓越しの校舎の端に図書室の窓が見えて、思わず零れそうになる溜め息を飲み込んだ。
―――それならもう、放っといてくれないか。

硬く強張った拒絶の声音が蘇る。赤い目元は涙の証拠。眠りに落ちるまで、きっと彼女は泣いていたのだ。
青ざめた横顔は頑なに窓の向こうを見据え、決してこちらを見ようとしなかった。

あれから既に一週間、名字さんとの接触はおろか姿を見ることすら一度もない。マネはまるでいつも通りだったが、名字さんの話をすることはなかった。

傷つけてしまった。それも、彼女の友人であるマネに待つと宣言した直後に。
曖昧な逃げの言葉を選んだ彼女に向き合うことを迫ってしまった。それは間違いなく俺の本心で、きっと正論だ。間違えたのは、タイミングだ。

余裕の無さが徒になる。もう十分追い詰められていたはずの彼女が、完全に扉を閉ざす音を聞いた気がした。

(…敗色濃厚、か)

今度こそ望みは無いかもしれない。冷静さと辛抱に欠いたからこうなった。自業自得。この自戒もすでに二回目だ。

「…おい、聞いてんのか赤葦?やっぱお前おかしいぞ!名字だってなんか変だしよー」

騒ぐ木兎さんを無視して沈んでいた思考が、彼女の名前を聞いた所で引き上げられた。名字さん。一つ息を吐いてから出した声から、辛うじて動揺を隠して聞き返した。

「…名字さんがですか?」
「おう。なんで最近バレー見に来ねーのって聞いたら、理由は言えねーけど俺らのせいじゃねーから気にすんな?って、すげー気まずそうに言うんだよ」

俺ら。その言葉に秘められた意味は何だろう。苛立ちにも似た感情が燻る。確かにバレー部のせいじゃない。それは来たくないのは俺のせいで、会いたくないのは俺がいるからだ。

「……それ、俺のせいです」
「は?」

思いのほか声が揺れた。唇を引き結んで溜め息を噛み殺す。着替えの手をとめこちらを凝視する木兎さんに、投げるように言葉を続けた。

「俺が名字さんに告白して、あのひとに気まずい思いをさせてるんです。あのひとがウチに来ないのは、…俺がいるからです」

一瞬ためらった言葉もまとめて一思いに吐き出した。事情の吐露は傷を抉るかと思っていたけれど、胸につかえたものが取れたような気がした。
木兎さんは目を丸くしてこっちを見ていたが、言った意味を飲み込んだ途端さらに両目をぐりぐりさせて身を乗り出してきた。

「…ん゛!?つまり…何?アレ?赤葦って、…名字が好きなのか?」
「好きでもない相手に告白するわけないでしょう」
「何いい!?聞いてねーぞ赤葦ィ!おまっ、告白なんて、ずりーぞ一人で青春しやがって!青葦か?青葦なのか!?」
「赤葦です。本当に青春だったらいいんですけどね…」
「赤葦が青春とか言った…!?うおお似合わねぇ!!」
「ぶっ飛ばしますよ」

アンタがそれ言ったんでしょうが。
騒ぎ立てる木兎さんに呆れつつ思っていると、突然再びフリーズした木兎さんが声を潜めて尋ねてきた。

「ってことは赤葦、お前フラれたのか?」
「…はっきりした返事はもらってません」
「うん?つまり…?」

半分近く、というか半分以上フラれたも同然だけど。それを口に出して認めるにはまだ踏ん切りがつけられない。

でも一度口火を切ると続きは簡単に出てきた。告白した経緯、彼女の背景と反応、図書室でのこと、俺は掻い摘みながらも洗いざらい木兎さんに話した。

こういう話は背景を知ってるマネだとかにする方がいいと思っていたのに、初めて事情を話すのがまず候補から外れる筈のこの朴念仁だったのは予想外だ。
木兎さんは話を聞く間、神妙な顔をして突っ立っていた。俺が話し終えると何か言いたげな表情をし、結んだ唇をむずむずさせてこちらを見ている。
この顔は自分の考えを言葉にまとめるのにまごついている時のものだ。そして多分少しすればきっと、結局上手い言葉が見つからずに癇癪を起こす。

「…だああ!なんかよくわかんねーけど、お前はそれでいいのかよ!そんな中途半端のまんまで」
「…、」

案の定大雑把な要約をし、しかし珍しく(と言えば失礼だが)筋の通ったことを言った木兎さんは、眉を吊り上げ険しい顔をした。への字に曲げられた口が納得しかねると語っている。中途半端でいいのかなんて、そんなの。

「…良いわけないですよ」
「なら、ちゃんと言って来い」
「は?」

眉間にくっきり皺を刻み、腕を組んで仁王立ちした主将に、思わず素で聞き返した。
コート内で見るのと同じ堂々とした立ち姿と纏う気迫は、まさに強豪バレー部主将のそれに相応しい。…腕に引っかかったままのシャツがシュールなのを除けばだが。

「聞いてりゃお前、勝手に待つって決めて勝手に失敗したんだろ。ならちゃんと待つって宣言して来い。それから待ち直せばいいだろ!もう待てないなら待てないって言ったっていい。お前ばっか我慢してたらしんどいじゃねーか」
「…」

待ち直す。
吹っ飛んだ思考がゆっくり戻って、木兎さんの言葉を繰り返した。
そんな発想なかった。というか普通思い付くか、そんな話。

立ち直るのも好きになるのも長期戦。マネは名字さんについてそう評した。
俺が一年以上燻っていたのを見抜いた上で、彼女は名字さんを待つしかないと言った。

…たとえば、待つのをやめたとして、楽になれるだろうか。
彼女を好きでなくなれば、気まずげに泳ぐ視線に味わう苦しさは終わるのだろうか。

確信があり過ぎて笑ってしまう。きっとそうはならない。想いの形成期間は一年以上。冷めてるだのドライだのと言われるが、自分は生来、諦めの悪い方だ。
聞き分けよく割り切れるなら、もっと早く諦めていただろう。

「俺がアンタみたいだったら、変わったんですかね」
「俺?」

木兎さんならきっと、俺が後込みするような壁もハードルもお構いなしに飛び越えていくんだろう。
そうして考え無しの体当たりで、彼女の囲いを吹っ飛ばして、最後には仕方ないなあって、彼女を呆れたように、楽しそうに笑わせてしまうのだ。


俺にはそれが出来ない。
―――出来ないけど、あのひとを好きなのは俺だ。


「木兎さんってたまに、一周回っていっそ天才ですよね」
「ん?そうだろ?そうだろ!?やっぱ俺最強!!」

誉めてないしそもそも最強とは言ってないんですが。
機嫌良さげに着替えを再開する木兎さんに呆れながらも、気持ちが軽くなったことは隠せそうにない。

もう一度会いに行こう。そして、待ち直すと真っ向から宣言しよう。
木兎さんのように天性の明るさみたいなものは俺には無いけど、無いなら無いなりに俺に出来るやり方で彼女に向き合ってゆくしかない。でも多分、それでいいんだ。こうやって一人で悩んでいたところで、どうせ諦めがつかないことは自分で一番わかっているんだから。

あの日と変わらない夕焼けが眩しくて、そっと目を眇めた。

141102
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