君が明日を忘れた理由


3ヶ月ほど前、私は初めて付き合った恋人と別れた。

初恋ではない。でも、人生で初めてできた彼氏だった。運動も勉強も出来てクラスメートからの人望もある。話が上手くて気遣いのできる、スマートで穏やかな人だった。

関わる機会がもしあれば、私はこの人を好きになるだろう。クラスが同じになったその時から、私は半ば確信に近い形で直感していた。
予知だの運命論だのじゃない。単にこれまでの経験からして、彼は今まで私が好きになってきた類の人だったのだ。

彼の他の人に対する気遣いある接し方や、課せられた役割や課題に柔軟に取り組む姿勢を、私はとても好ましく思った。それは私一人の意見ではなく、周りの女子や男子の多くも認めていた。

ただそれで積極的に近付こうとは思わなかった。元々恋愛に対してさして興味はなく、何より自分に対する自信は一切無い。
私なんかが釣り合うわけがない。根底にあるその意識は常に恋愛の最前線から私を一歩引かせていた。

けれど偶然とはあるもので、二年の春、私と彼の席は隣になった。元々社交的でない私は、人の好い性格の彼とは比較的早く打ち解け、次第に距離を縮めていった。そして当初直感した通り、私は彼を好きになった。

告白するつもりはなかった。片想い中や付き合っている最中は楽しい。恋人という関係に憧れがないと言えば嘘になる。けれど別れた後のことを考えれば、自分の性格上、精神的にただじゃ済まないことは明白だった。…わかっていたのに、私は行動に出てしまった。

二人で文化祭の必要品の買い出しに行かないかと誘われ、そこで何かが起こることを予感していながら、誘惑に負けた私は頷いた。

―――手、繋いでいい?

帰り道、途切れた会話の後に彼は言った。緊張した声音に、私は頷いた。片手に買い物袋を、もう片手に互いの手を握って、気恥ずかしさと嬉しさに胸を高鳴らせながら二人で歩いた。

好きです、付き合ってください。そんな会話は不思議と一度もなかった。両想いなのは暗黙の了解で、改めてそのプロセスを踏むのが恥ずかしかったのは間違いない。

一緒に下校することも昼食を一緒に食べることも、名前を呼び合うことさえなかった。私が周りに冷やかされることが酷く苦手で、事あるごとに他人の目を恐れたからだ。
彼も大々的に交際を宣言したがるタイプではなかったため、私たちは付き合っていることを互いの身近な人にしか伝えず、普段はただのクラスメートとして接し続けた。
私はそれで十分幸せだった。晩にメールをし、たまに電話して、休日には宛もなく二人で出掛け手を繋いで帰るだけで十分だった。彼と一緒にいられるだけでいい、なんていう安っぽいドラマの台詞にも共感出来たほどに。


そうして月日が経って、あの恋はゆっくりと死んだ。

音もなく、亀裂もなく、ただ静かに朽ちたのだ。
咲いた花が枯れることに理由を持たないのと同じように。


喧嘩も諍いもなかった。トラウマになるような少女漫画的展開なんて皆無に等しい。
敢えて言うなら擦れ違いかもしれない。でも一番問題だったのは多分、それについて二人で話し合うことすらなかったことだろう。

席替えで席が離れ、話す回数が減った。メールを交わす日が減り、出掛けることがなくなった。前後の席になった別の女の子と楽しげに話す彼の姿を頻繁に見るようになった。
私と彼はゆっくりと他人になった。

私は見ないふりをした。以前私と話す時に見せていた優しい眼差しを、気遣いを、私よりずっと可愛い女の子に向ける姿に、気付かないふりをし続けた。
とどのつまり、私は彼の気を引く行動に出れなかったのだ。小心な私に必死になる勇気はなかった。再び近付いて彼の気持ちを自分に向けさせるだけの自信など、自分の性格にも容姿にも何にも見出せなかった。

自然消滅するかもしれない。思いながら自分から動かずにいたのは、このまま何も起こらなければ傷つくことはないという逃げの理由。
虚勢まみれの見ざる聞かざるを決め込んだ私にとどめを刺したのは、別れを告げる彼からのメールだった。


自分では、名字さんを幸せにしてやることは出来ないと思う。

一年足らずの恋が息絶えた瞬間だった。


心臓を抉った絶望が流し込む毒は1ヶ月以上に渡り、耐え難い激痛をもって思考を占拠し続けた。過去形にはするけれど実際のところ、今も完全に自分のペースを取り戻せたわけじゃない。
別れてからもうずいぶん経つのに、楽しげに友人と語り、女子の頼みごとを快く引き受ける彼を見る度に、呆気なく冷静を失い惨めさで一杯になる。浮気されたわけでもあるまい、凹むにも限度というものがある。しっかりしてよ自分、こんな馬鹿げたことにいつまでも。
…わかっていても繰り返すのだから、自分でも本当に救えないと思う。

いっそ喧嘩別れの方が良かったかと思うこともある。徒に優しい終末はかえって心を抉った。けれど失望が終止符となれば、一層惨めな思いをすることは目に見えている。
感情を振り回され疲弊してゆく毎日に、私は静かに決意した。

恋愛はもう十分だ。誰かと付き合い、別れるまでのプロセスはまるっと一通り体験した。
私の酷く脆くて矮小な心は、この一大イベントに対応しきれないことも証明済みだ。
ならばもう、同じルートを何度も辿るような不毛な真似はしたくない。

好きになれば付き合いたくなる。付き合えばいつか必ず別れる。その後には惨めさに振り回され、深手を負って後遺症を抱えながら耐えるしかない日々が待っている。
ならもう誰も好きにならなければいい。

そう決めて出会いを探さなければ、私は簡単に周りの関心対象から外れることが出来た。
誰しも醸す空気で語れるものがある。私の決定は何気なく接する男子にも伝わるようで、他の女の子たちに接するより壁一枚隔てた空気が生まれるようになった。

私は安心した。作り出した薄い壁の内側の安寧に引きこもって、ゆっくり傷を癒やしてゆこうと思っていた。
いつか、彼ともただのクラスメートとして話せる程になるまで、この傷を風化させようと。そして、


―――名字さん、


…その壁を容易く叩き割り、傷口に爪を立てたのが、赤葦くんだった。

141029
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