真夜中のアフターグロリア


「あれ、名字今日も来ねーの?」
「うん、また図書室って」

…今日も来ないか。
体育館の入り口から目を逸らす。あれから二週間経つ。端から遠慮がちに中を伺い、目の合う人、話し掛ける人全てに小さく会釈していたあの人の姿は、今日も見つけられない。

手の中のボールに目を落とす。小さくため息を吐いた。体操着の下で篭もる熱気も今はまるで気にならない。

やっぱりタイミングを間違えたのか。
赤葦京冶は僅かに眉を寄せ、周囲が気づかぬ程度に表情をゆがめた。ボールを挟むように持った両手に嫌な力が入る。

いつもよりよく話した日だった。会話が弾んだとまでは言わないが、言葉は途切れずぽつぽつと続いた。木兎さんや木葉さんといった共通の知人の話題だったから、彼女はいつもより饒舌で、表情も柔らかかったと思う。
加えてその数日前には、彼女にとってはきっと辛いことで、でも俺を後押しする情報が偶然入ってきていた。だからきっと、心が逸ってしまった。

偶々片付けが遅くなり、一人体育館を出た所で、名字さんは夏の夕暮れを見詰めていた。
俺に気付いて振り向いた名字さんは、普段より高揚した声を弾ませながら空を指差した。

――赤葦くん、見て。夕焼け。

黒髪が黄昏に透ける。瞳を染める喜色と夕陽。向けられた笑顔は初めて見る無邪気なそれで、けれど。

――…綺麗だ。

再び沈み行く太陽に目を眇めた横顔は、酷く淡く繊細な微笑みを浮かべていて。


溢れ出した衝動は頭で理解するより早く、彼女の細い手首を掴んでいた。

告げた言葉に揺れる肩、見つめる先で見開かれた目。夕陽を受けながらもありありとわかった、色を失い強張った顔。

――ごめん、帰るね

目一杯身体を遠退かせ、顔を背けて放たれた一言は切羽詰まった悲壮な響きを孕んでいた。
好きだと、告げた告白に嘘はない。でも彼女の必死の拒絶もまた、間違いなく事実で。

手の中の手首を解放する以外に、俺に出来ることはなかった。


「赤葦、どうした?具合悪いのか?」
「…いえ、大丈夫です、猿杙さん」

ボールを上げる。指先がしなる。思った箇所から微妙に高さのずれたトスに、胸の重さがまた増した。
誤魔化しきれない違和感と胸の凝りが、確実にプレーに影響し始めている。自業自得。よぎった四字を噛み締めて、深呼吸を一つした。






「赤葦」
「、」

休憩時間、水飲み場で頭から水を被り、脇に置いたスポドリに口をつけた時だった。
後ろから飛んでくる間延びした声と軽い足音。タオルを首に、マネが体育館から出て来たところだった。一歩引いて水道前を譲る。

「ドリンクは?」
「貰いました」
「ならいいや。でさ、」
「はい」
「名前に何したの」

何の含みもない声音。直球だったが、面食らいはしなかった。名字さんのことを聞かれるとすればまず友人のマネからだと思っていた。
彼女に何か相談したことはない。彼女から何か言われたこともない。でもマネは俺の想いを察していて、俺もそんなマネに気付いていた。互いに何も言わない暗黙の了解、まさにそんな感じだった。

「二週間前に」
「うん」
「告白しました」
「あー…納得」

僅かな呆れを含んだ声音に、積み重なった消化不良感がざわりと疼く。マネは微妙な顔をして首筋を掻き、少し先に落ちる木漏れ日を遠く眺めた。

「で、何て返されたの」
「…何も。ごめん、帰る、とだけ」
「なるほどねぇ…」

マネは蛇口を捻り顔を洗うと、間もなく顔を上げてタオルを手にとった。
どういう意味ですか。無言のうちに尋ねた俺に、彼女は顔を拭きつつ応じてくれた。

「3ヶ月って長いと思う?」
「は?」
「私は十分だけど、名前には短いかもね」

何を言われているのかピンときた。咎めるまではゆかない、だがやや窘めるような眼差しに思い出したように学年の差を感じる。

「名前って結構メンドイんだよね。雑に見えて病的に真面目で、変に頑固なクセして臆病で後ろ向きでさ。言いたいこと言わないまんま大抵勝手に一人で完結させて、傷つきやすくて立ち直りにくいの。本人も言ってるけど、まあ死ぬほど面倒な性格してるよね」
「…、」
「ああいうの相手だと普通にしてても長期戦覚悟だよ。…あの最悪のタイミングで迫れば、あの子が完全に参るのも当然だわ」

俺はただ黙り込んでマネの言葉を聞いていた。完全に参る。予想通り名字さんを酷く悩ませていたことに罪悪感が湧いてくる。
やっぱりもう少し待てばよかった。ああでも、どっちにしろ俺は彼女に好かれていない…

「…ね、赤葦。もし本気で名前が好きなら」

間を置いて口を開いたマネの声に顔を上げた。過度に踏み入らない一線引いた眼差しが俺を観察している。
この人はへらっとして見えて実のところ人をよく見ている。薄い無関心を被る穏やかな色、その裏側に閃く真剣さ。


「待つしかないよ、多分。あの子が踏み出すのを、気長に」


名前はね、多分だけど、好きになるととことん長いんだと思う。飽き性の対極っていうか、当然良いことなんだけど、あの子、すっごい繊細なとこがあるからさ。ちょっと仇になるんだよね。
多分、名前の気持ちが冷めるより、相手の気持ちが冷める方が圧倒的に早くなるから、それで。

「それで結局、名前が傷つくの」

言外に示唆されるのは3ヶ月前の出来事。始まりも終幕も全て、俺の預かり知らないところで終わった事実。

「…赤葦がもうずっと片想いしてるの知ってて、まだ待てなんて残酷かもしんないけど」
「いいえ。…それを引いて余るくらいには好きですから」

やや目を見開いて口を閉ざしたマネの瞳を見つめ返す。生半可な想いなら望み薄がわかった時点でもっと早くに棄てていた。
静かに湧き上がる何かが心臓の靄を色鮮やかに染め上げてゆく。髪から垂れる水滴を拭って、手の中のボトルを確かめるように握った。


「それに、そういうことなら問題ないです」
「…?」
「俺も相当、長期戦タイプなんで」


ずっと見ていた。何気ない仕草を、会話を、隠れた脆さを。
そして彼女を知るうちに、俺はゆっくり、ゆっくりと、彼女に惹かれていったのだ。

普段見ることのない鋭さを放つマネの目と目を合わせ、じっと対峙する。
初夏の風が吹き抜けた。木葉擦れが聞こえて、それからふっと緊張した空気が解けた。

「…ふうん、ずいぶん健気だね。なに、ベタ惚れ?」
「そうですね」
「うっわあっま〜。ゲロ甘。木兎に言ったら大騒ぎになりそう」
「ちょ、絶対やめてください」

普段と変わらぬ眼差しでにやっと笑って踵を返したマネを追いながら、俺は肩の力を抜いて息をついた。

141015
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