閃光のような刹那を駆ける


月曜日、放課後。一週間の始まりが終わる。

真昼にギラギラと地面を灼いた太陽も西に傾き始めている。廊下に差し込む小麦色の陽光に目を細め、私は帰り支度を済ませて教室を出て行く友人たちを見送った。
夏休みまで秒読みが始まっている。7月も半ばから下旬、真夏が近づく夕方は日が傾いてもまだ暑い。

結局彼からのメールには返事しなかった。タイミングを逃したというのが一番だったが、どう返していいかわからないのもあった。

ケータイを取り出す。来た、とだけ打ち込み宛先を友人の名前にしたメールを未送信のまま保存し、ポケットに押し込んだ。
粟立つ心臓を宥めて単語帳を取り出す。黙々と英単語を書き並べていると、気持ちが少し落ち着いた。

そうして10分経った頃合い、教室が空になる。私は最後の一人を見送り、シャーペンを置いて窓を見やった。
天気が良い。夕暮れが近づいている。右下で青々とした桜の木の葉が揺れていた。

どんな風が吹いているんだろう。窓を開けようかと思って手を伸ばしたその時、教室のドアが引かれる音がした。

「…来てくれたんだ」

聞き覚えの十分ある声。顔を上げる。そこに立つ姿は毎日教室で見掛けるはずなのに別人のものに思えて、心臓がどくりと波打った。書き並べた英単語の鎮静効果が一瞬で無効化される。

これが巷で噂の最終決戦ってやつか。いやまさか、戦うべき時などとうの昔に終わった。これはきっと、答え合わせでしかない。

「メール、返さなくてごめん」
「いや。俺てっきり、アドレス変えたりしたのかなって思った」
「いや、そのままだよ」
「そっか」
「うん」

当たり障りのない会話が途切れ、どうしようもない沈黙が流れた。互いに固い緊張があるのは間違いないけれど、彼の居心地悪そうな様子は何故か私を少し落ち着けた。
ケータイを取り出し送信ボタンを押す。彼はちらりとこちらを見たが何も言わなかった。
送信完了の文字を確認して再びポケットにしまう。顔を上げて息を吸った。

「で、何の用事かな」

思った以上に淡々とした声が出たことに自分でびっくりした。“今更感”が無意識を破って頭をもたげたようだ。
彼の方もやや面食らった様子でこちらを見たから、やはり冷たい声に聞こえたのかもしれない。ますます所在なさげに頭を掻く彼に、少し申し訳なく思った。

「あ…ごめん、時間ない感じ?」
「…いや、人と一緒に帰る約束があって」
「…ふうん、」

手持ち無沙汰になって、シャーペンの芯を机の上で引っ込めて筆箱の中に入れた。単語帳を閉じて鞄の中に入れる。
チャックを閉じると、彼は私が帰り支度を始めたと勘違いしたのか、迷いを振り切るように口を開いた。

「名字さん、あのさ」
「、何かな」
「その……俺たち、やり直したり出来ないかな」

ぱちん。

誰かがスイッチを切ったように私の頭は停止した。脳みその指令が滞った指先から、書き取り済みのプリントがつるりと滑る。
無理やり電源を入れて再起動させた思考回路は至る所で断線していて、穴の開いた心から沈めた記憶が漏れ出した。

「俺から別れといて、今更何をって感じだろうけど…情けないよな、別れてから、名字さんのこと本当に好きだったってわかったんだ」

走馬灯のように駆ける思い出。実感するたびに胸が軋む。確かに私はこの人が好きだった。現実味の無い夢だとわかっていながら、“永遠”の幻想を夢見るほどには。

「…彼女の告白、断ったらしいね」
「!……知ってたんだ」

期待するような不安そうな、そんな面持ちで私を見つめる彼から視線を外した。窓の向こうで空が小麦色の黄金を被る。

夕暮れが見たい。無性に強く思って視線を落とした。


心臓が止まった。




「…わたし、は」

喉がからからだ。絞り出した自分の言葉で視線を引き剥がす。肺を丸ごと握り潰されそうだ。


――――つないだ手も交わした言葉も、全ては今や過去となった。

大切にしてもらっていた。好きな人に好いてもらえることの喜びを初めて知った。
幼いながら、柄にもなく、一生懸命に恋していた。終わり方だって世間一般より遙かに穏やかで、負う傷も軽かっただろう。

けれど情けないことにそれは私にとって、十分な爪痕を残すに足りるものだった。

自分の弱さを目の当たりにして愕然とした。まるで底なし沼に放り込まれたように、溺れそうになりながら必死に足掻いた。そんな風にしているうちに沼底に足がつくようになって、岸に這い上がるようにしていつもの自分を取り戻していった。

「…初めて付き合った人が朝比奈くんでよかったと思ってる。すごく感謝してる。やり直せたらって思ったこともあった。
でも、不思議なんだけど、朝比奈くんがあの子に惹かれてくのはよくわかってたから」

彼が振り向き直してくれることを、別れてからも何度も夢見た。そうして想いが干からびた心の底で凝り固まった未練を薄めるために、私はいろんな人に助けられながら日常という水を注ぎ続けた。

絶対と永遠は夢物語の中にしか存在しない。結婚でもしない限り、否、例えそうしたって離婚だの死別だので遅かれ早かれ終わりが来るのが恋愛だ。
高校生なんていう、幼さの固まりに馴染みきらない大人の色を混ぜた時代に、相手と一生添い遂げてゆける関係を築ける人など一握りにも満たない。
そして私は、それを青春の二文字で割り切れるほど割り切った性格にはなれなかった。

改めて心に思う。傷ついてばかりの弱さと未熟さを棄てられないうちは、私にとって恋愛はきっと不毛になる。

でも今、そんな臆病な持論より、ここで出すべき答えが一つある。


「別れた後も未練はあった。でも、終わったのは間違いなくその時だったよ」


私はもう、このひとのことが好きじゃない。


あの恋は死んだ。私を縛っていたのは、亡霊のように尾を引いた彼への想いの残像だ。

その残像も、今この時に全て断ち切れる。そのために私はここにいる。
そんな確信にも似た予感がして、私は驚くほど凪いだ気持ちでいた。

「…ごめん、確かに揺らいだ。でも信じてほしい、俺は今も名字さんが好きなんだ」
「…」
「もう遅い…のかな」


吸い寄せられるように窓の向こうへ目を向けた。
速度を上げて西に傾く斜陽が眩しい。私の今年の波乱はきっと、夕焼けと共にやってくるのかもしれない。


視線が交わる。
彼は中庭に立っていた。

窓の向こう、目と目の合った数分前と、何一つ変わらずに。


微笑みも険しさも見せず、ただ真っ直ぐに凪いだ真摯な瞳で、彼は、赤葦くんは、私を見つめて立っていた。


「…もう行くよ」


思考回路が音を立てて停止した初めの時、赤葦くんの姿だけが真っ白になった頭の中に浮かび上がってきた。なぞる記憶は目の前の彼とのものだったはずなのに、脈打つ心臓を占めるのは赤葦くんが傍にいた時の温度だった。


きっと答えは出せない。イエスとは言えない。

けれど行かなければ。


「待たせてる人がいるんだ」


もうずっと、あそこで待ってくれている。

鞄を掴んで床を蹴る。
前だけを見て教室を出た途端、まるでずっとこうすることを待っていたみたいに、足は勢いよく前へ飛び出した。


141204
次でラストです。
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