10.「彼女の秘密」

IHが終わってから1週間が過ぎたある日。
俺は膝の定期検診の為、病院へと足を運んでいた。
担当医に”今回も異常なし”と言われて安心して診察室を出る。
それから会計の為、待合室で座って待っていると入り口の自動ドアが開いた。
何気なく振り返ってみるとそこにいたのは名字だった。
俺は声を掛けようと立ち上がったその時、会計の順番が回ってきたのだろうアナウンスで名前を呼ばれてしまう。
渋々会計を済ませて辺りを見回すと既に名字の姿はなかった。
折角会えたのに行き違いしちまったな。と落胆しながら家への道を歩き出した。

俺はあの夏祭り以来、名字には会えていない。
IHから帰ってきて直ぐに連絡したのだが、親戚の家にいるだとかで話をすることが出来なかった。
こっちに戻ってきたみたいだし夜にでも電話するかなんて呑気に考えていた。

***

その時私は病院にいた。
正直言うと三井君が居るのには気づいていた。
三井君の会計が終わったら声を掛けようと思ったが、自分の姿を思い出しすぐさま病院から離れて近くの喫茶店へと入る。
喫茶店の窓際の席に座り三井君が病院から出たのを確認して再び病院に戻ったのだ。

病室から出ると私は落胆の色を隠せなかった。
やっぱり何度検査をしてもこれ以上は回復しないと言われて、悔しくて辛くて涙が出そうになる。
直ぐに家に帰りたくなくて私はそのまま当てもなく夜の街へと消えていった。

***

時刻は8時を回った頃。
いつもよりちょっと早いけど電話してみるかと、子機をもって部屋へと入る。
電話番号を押し呼び出し音に変わると、すぐさま声が聞こえてきて俺は電話越しの声に驚いた。
「もしもし名前?!」
どうやら相手は名字の母親のようだった。すごく焦った様子で名字の名前を呼んでいる。
どうかしたのかと思いつつ「あ、俺、三井ですけど・・・」というと落胆したような声で「あ、三井君だったのね」と言われた。
なんだか様子がおかしいと思いどうしたのか聞いてみると「名前が夕方家から出て行ったきり戻ってこない」と不安げな声をしながら名字の母親はそう俺に言った。


俺は名字の母親からの話を聞いて、すぐさま着替えると夜の街へと飛び出していった。
病院で見かけたのは確か4時頃だ。
いくら混んでたって言ってもさすがに6時過ぎには病院を出ているはず。
一体どこへ行ったんだ?と街をくまなく探しても何処にもいない。
もしかして事件に巻き込まれたとか?と考えると俺は不安に包まれる。
それからも周辺を探してみたが見つからず仕方なく諦めようとした時、俺はふと名字の言った言葉を思い出した。

あれは祭りで花火を見た時のことだ。
花火が上がってる最中、名字は俺にこう言った。

「三井くん。」
「ん?なんだ?」
「ここ、本当にいい場所ね。誰もいなくて空がきれいに見えて。嫌なこととか忘れたいことを忘れられそう。」
「まぁそうだな。俺も昔はよく来てたぜ?一人になりたい時とかよぉ」
「あはは。そうなんだ。じゃあ私もその仲間に入れてもらおうかな?」

・・・もしかして、あの高台か?俺は話した内容を思い出し高台へと向かって走り始めた。

***

「わぁー星がきれい。風も気持ちいいし、ホントにいいところだなぁ」
私は街を当てもなく歩いているとどうやら自然とここまで歩いてきてしまった。
ここはお祭りで三井君に教えてもらった高台。
この前と同じく、誰もいなくて辺りは静まり返っている。
もちろん今日は花火大会じゃないから花火は見れないけど、その代わりに空には満点の星が広がっていた。

「このまま、星になっちゃおうかな・・・」
なんて呟いてみても星になんかなれるわけもなく虚しさが残る。

「はぁ。なんでこんなことになっちゃったんだろう。今頃、全国大会に行けてたはずなのに」
そう言い自分の足を見て恨めしさを感じる。
こうなった原因を思い出していると、また自然と涙が出て来る。
その場で暫く膝を抱えうずくまっていると、遠くから走ってくる足音が聞こえてきた。

「誰だろう」と顔を上げると足音はどんどんこちらに近づいてきているようだ。
咄嗟に立ち上がり足音がする方向をみるとその人物は三井君だった。

「三井君・・・」そう呟くと三井君は私に気が付いたのか走るスピードを上げる。
私の目の前につくと「名字どこ行ってたんだよ!お前んち電話したら帰ってこねぇっていうから街中探しまわったんだぞ!!!」
とギュッと両肩を掴まれ、少し怒りが混じった顔から安堵の顔に変わった三井君は私のことをジッと見つめてそう言った。

「ゴメンね。三井君」と俯きながら答えると「もういなくなんな。心配かけんじゃねぇ。」そういって優しく頭を撫でてくれた。

三井君は私の頭から手を離すとその場に腰掛ける「名字も座れよ」という言葉に合わせて私も隣に座った。
少しの間沈黙が流れたが、三井君の発した一言でその沈黙は破れることとなる。

「名字さ、足の手術したんだって?」そう三井君は一言言った。おそらくうちに電話を掛けた時に母親が三井君に話したのだろう。
本当は三井君には知られたくなかったのにと思いつつも、知られてしまった以上話さなきゃいけないよねと思い私は重い口を開いた。

「・・・うん。そう。足の手術したんだ。」
「そっか。いつやったんだ?」
「2年前。高1の夏。」
私の言葉を聞いて、三井君は驚いた顔をした。

「全国大会出場がかかった日にね、走り出した瞬間じん帯が切れちゃったの。
ほんと突然よ?ちゃんとその日に備えて準備までしてたのに、そのせいで直ぐ病院へ直行。
お陰で個人としてもだけど、団体としても全国には行くことが出来なかった。
それからリハビリを頑張ってさあ次の夏こそはって意気込んでたら、今度はアキレス腱までダメになっちゃって。
折角推薦で高校にも入ったのに全く結果は残せてないし、私の怪我のせいで周りの足を引っ張っちゃって。
さすがに2回目の怪我の時はみんな呆れたのか、誰も私と話してくれなくなった。
ほんとあっけないよね。今まで信じてた人も私の周りから簡単にいなくなっちゃって、自分の財産だった陸上も出来なくなって。

・・・三井君さ、私のこと変わんないなって言ったけど全然そんなことないの。
陸上も友達も私にはもうないのよ。あの時の私とは全然違うの。」


私は唇をかみしめながらこれまでのことを三井君に話した。
そんな私の話を三井君は黙って聞いてくれていた。

「名字はさ、なんで陵南戦の時、俺にああ言ってくれたんだ?俺は名字の言葉にだいぶ救われたんだ。それにお守りに入ってた手紙も読んだ。
どうして名字は、俺の欲しい言葉をかけてくれんのかなって思ったこともあったけど、今の話を聞いてようやくその訳がわかった気がする。」

前を向ていて話していた三井君は急に私の方に体を向けるとこちらに手を伸ばしてきてギュッと抱きしめた。

「辛かったよな?俺には名字がいてくれたけど、お前にはその時そばにいてくれる奴がいなかっただけだ。これからは俺がお前のそばにいる。だから、自分は一人だなんて思うな。俺がいるから。」

私は三井君の胸の中で言葉を聞いて、ずっと我慢していた涙が零れ落ちた。
その様子に気づいた三井君は私を落ち着かせようと頭を優しく撫でてくれた。

暫くすると私の涙が止まり顔を上げる。
私の顔を見て三井君は「ブサイクになってっぞ」と言って笑った。
普段なら言い返してたかもしれないけど、湿っぽい雰囲気にならないよう三井君が気を使ってくれたんだなと思い私は笑顔を作ると三井君に微笑みかけた。

すっかり時間が過ぎていて親が心配してるから電話をかけろと三井君に促され近くの公衆電話で電話を掛ける。
お母さんはすごく心配してたみたいで電話をかけたらホッとしていた。

私は少し前を歩く三井君の背中に”ありがとう”といってから隣に並んで歩き出した。


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