小説家 | ナノ


3続・歓談






「終電までって話だったはずだけど……これ、どうしようね……」

晴市の膝の上に頬をつけて、思い切り眠っているマナがいた。
そろそろ家を出ないと最終電車に間に合わない時間だが、先程から肩を揺すっているのに起きる気配がない。

「おねーちゃん。起きてえ……?ねえ、ほんと帰れなくなっちゃうよ」
「すや……」
「俺、車どころか免許がないから送ってあげられないの。お酒も飲んでるし。まあ最悪ハイヤーを呼ぼうか……なんでもいいけど、目を覚ましてよ」
「むにゃ……」
「(ダメか…)」

どれだけ眠りが深いのよと呆れながら、どうしてこうなったか思い返す。あれから晴市の仕事の話になり、歴史の話になり、分厚い城の写真集片手にコアな歴史うんちくを語ってしまったら、隣で熱心に聞いていたはずのマナがいつのまにか寝ていたのだ。
最初は肩にもたれかかってきたのが今はすっかり膝枕状態で、もう一時間半は経つ。いい加減足は痺れるわ動けないは喉が渇いてきたわ……晴市は腕を組んで唸った。

「ね。マズイんじゃない〜?22歳が40とごにょごにょ歳の男盛りな独身貴族おじさまの家にお泊まりは」
「ぐう……」

ぷにぷにの頬を指でつつく。柔らかくてすぐ人差し指が沈むから驚いた。

「俺のほっぺと全然硬さが違うのね……!?じゃ、なくて、……マナちゃん。困らせないで〜、朝帰りさせたのがバレたらさすがに滝川になじられまくっちゃうでしょ」
「ん、んんう…………」
「こんなに起きないってことは、本当にオツカレってことかね」

ここ数日仕事終わりにうちに寄っては炊事をして洗濯掃除を手伝い打ち合わせをし、いくら体力おばけと自称するマナだが疲れないわけがないのだ。

「俺、年甲斐もなくわがまま言っちゃったよねえ、帰らないでなんてさ。ごめんね、許してくれる……?」

と、心底反省している晴市だ。依然夢の中の彼女の耳に一応は気持ちを届けたいのだ。膝の上の柔らかい髪をさらりと撫でる。

「んー……俺も眠くなってきた。ダメだ、いい加減、起こしますか」
「っん、わぁ!」

事実上ソファに横になっていたマナの膝の裏と背中に手を入れてお姫様だっこをして立ち上がる。日頃のジム通いの成果が出て、若い女の子をだっこするくらい簡単なのだ。
急に抱きかかえられた衝撃で彼女も眠りから呼び覚まされたようだ。

「……?あ……晴市先生?なんでここに」
「なんでもなにも、ここは俺の家ですよ〜」
「え?だって……ふぁ……」
「まだ夢の中みたいね。君寝ちゃったのよ、俺の為になーる面白ーいお話の最中にね」
「な、なんと……すみません……」
「一応は起きたみたいだけど、めちゃくちゃ眠そうじゃないの。でもすぐ用意しないと終電間に合わないからね、目を覚まして」
「はい……ぐう……」
「ちょ、ちょっと……!マナちゃん」

腕の中で目を閉じられてびっくりした晴市が彼女の体を揺する。

「全く、俺に子守する日が来るとは。可愛くて大きな子どもだけどねえ。よしよし、起きましょうね〜?」
「すや……」
「起きないと寝室に連れてっちゃうよ〜?」
「ぐう……」
「……これ、冗談じゃないのよ?」

と、ここまで色々言われてもマナは睡魔に勝てないようだ。ぐったり男に体重をかけて起きない。
そうこうしている間に終電に間に合わなくなってしまった。

「ま、参ったな。これ」





「はっ!ここは!?どこ!?」

ガバリと布団から起き上がったマナは見慣れぬ部屋に目を白黒させた。遮光カーテンの隙間から朝日が窓から入り込んで眩しい。ぐるりと辺りを見渡すと男の部屋のようだ、ほぼベッドしかないずいぶん簡素なつくりだが。

「……あ、そうだ、昨日は晴市先生と鍋を食べて、お話を聞いて、それから……」

私、寝てしまったのかも!?と理解してマナはベッドから飛び起きた。敷布団の上にあるタオルケットはマナ用の特別に出したものだか彼女は気がつかない。一つしかない入口を出ると廊下だ、居間に向かう途中、洗面所から音が聞こえる。
居間には誰もいないから、先生はシャワー中のようだ。テーブルに乱雑に出た缶ビール、それから使用された感ありありのソファ。彼女は血の気が引いた。

「(ソファがソファベッドになってるし布団が出てるってことは、先生はここで寝たってこと!?先生に迷惑をかけてしまった……!)」

サポートしにきたのにサポートされてしまったのだ。参ったぞ、と落ち込みながらも空いた缶やら皿やらを片付ける。ソファも戻して布団をたたむ。それから反省してますって顔をして床に正座した。

「(怒られませんように……)」

と、ここで晴市が風呂から上がってきた。

「あー、マナちゃん。起きたのね」
「すみません先生!!」
「げ、元気ねえ……まだ7時よ?」
「あの、私!寝てしまったみたいで!」
「知ってるよ。全然起きないんだもの。……今日は午前お休みなんでしょ?仕事に響かなくて良かったねえ」
「は、はい……。すみません先生、迷惑かけて」
「いいよ。俺が夜まで居てって言ったんだもの。無理させちゃって、こっちこそごめんね」

とか言いながら濡れた髪をタオルで拭く。

「髪、私が拭きましょうか!」
「な、なんでよ?」
「罪滅ぼしです!」
「いやいや。そこまでされちゃ、俺一人で生きられなくなりそうよ。だからいいです」
「そうですか……?」
「そうですよ〜。あれだね、おねーちゃん、尽くすタイプねえ」
「そうでしょうか……」
「……ね、落ち込まないでよ。俺がいいって言ってるんだから」
「ですが……ベッドまで借りてしまって……」
「ああそうねえ、さすがに一緒に寝るのはマズイでしょ。でも……次同じことがあったら俺もベッドで寝ちゃうかもよ。気をつけて」
「はい……絶対、今後一切、もう二度と、こんなことしません……」
「そ、そんな断言しなくてもいいんじゃない?俺は泊まってくれて嬉しいのよ。朝起きて、家に誰かいるって、俺にとっては特別だからね。楽しいよ」
「先生はなんて優しいんでしょうか……」
「優しさで言ったんじゃないよ。本当のこと」
「ありがとうございます。失敗は別のことで埋め合わせしますから」
「うんうん。よろしくね」

ようやっとにっこり笑ってくれて、晴市まで釣られて笑ってしまう。

「今夜のご飯、何がいいですか?腕によりをかけて作ります!」
「あー……っと今日は、予定があるのよね。だから今度にしよう」
「では明日は……」
「明日もダメかも。……空いてる日が分かったら連絡するよ」
「は、はい……」
「だから、今夜はゆっくりお家で休みなさい」
「わかりました……」
「で、シャワー使う?化粧落とさず寝ちゃったから、ちょっとお顔が酷いことになってるよ〜?」
「へ……!?」

洗面所を借りて鏡を見ると化粧は取れてるわ髪はくちゃくちゃだわマナは顔から火が出るかと思った。慌てて応急処置をして、晴市のマンションを後にする。玄関先でニヤニヤニコニコしながら、ひらひら手を振る男の様を思い出して、恥ずかしいような胸がつっかえるような。
駅の改札でICカードをチャージしながら、今までのことを考えてしまった。

「(次の約束取れなかったのはじめてだ……やっぱり迷惑だったみたい、かも……)」

存外ショックな自分に気がついて頭の中がぐるぐるしてしまうのだった。







「と、言うわけで!無事滝川先輩を説得できました〜!」
「おめでとー!やるねえ、さすが敏腕新人編集者。社内政治もできるんじゃない」

あれから五日、オフィスのブレイクスペースに今はマナ一人きりだ。携帯電話の向こうには晴市が相変わらず気の抜けた声を出しているが、ちょっとトーンが高いのは喜んでいるのだろう。同時にパラパラ、新聞をめくる音が聞こえて、先生の生活を感じた。

「それはそれはしつこく病院に通い美味しい差し入れを持って行って説得しました」
「そんなんで説得される滝川はどうかしてるよねえ」
「ですので先生はこの案のまま書いちゃってください!」
「うん、ありがとう。締め切りは少し先だったね、ちゃんと間に合うように頑張りますかね」
「お願いします!では、」
「ああ待って」

遮られてなになにと伺うと、頼みがあるんだけど〜とまたもや煮え切らない声が帰ってくる。

「明日の夜うちに来ない?手作り料理が食べたくなっちゃったのよね。君が、その、忙しくなければだけど」
「私でいいんですか?」
「……?どうして君がいいんですか〜なんていうのよ。こっちは作ってもらうのに」
「だって、その……前ご迷惑をかけて……それで呼ばれなくなったのかと……」
「え、なんでそんな話になってるの。なわけないじゃない。君を毎日呼びつけるのは流石にどうかなと思ったわけ」
「私は全然かまいませんのに!」
「俺が構うの。……けど、すぐ我慢できなくなっちゃった。だから……おいでよ」
「もちろんお邪魔します!何か食べたいものはありますか?」
「そうねえ。最近また冷えてきたし、すき焼きとかどう?」
「わかりました!」

電話を終えてもなお、マナはわくわくが止まらない。

「(やった!先生とご飯が食べられる!頑張るぞー!)」


と、一息にそこまで思って、自分の喜びように冷静になる。

「(参った、最近気がついたら先生のことばかり考えてる……)」


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