小説家 | ナノ


2歓談





「流石です先生!!」
「そりゃ、どうも」
「間に合ったんですよ!もっと喜んでください!」
「今の今まで書いてたんだから俺……もうヘトヘトなの。はたちの体力と一緒くたにしちゃ駄目なんだから」

窓から朝日がこれでもかと差し込んでいる。
ぐったりと疲弊しきった晴市はソファに横になって重力に体を預けている。その様は昼間より多少老けて見えた。
マナは上がった原稿を両手に持って、バーッとその場で校正を始めた。たまに辞書を見つつ、用語や年代の大事なところだけひとまず拾う。このスピードでちゃんと校正できるのかは疑問だがもはやそうしないと週刊誌の印刷ラインにのせるのは間に合わないのだ。

「おかしい。ページが足りません。ほらクライマックスのラ……ラブシーン……が、その、ありませんよ?」
「ありゃ〜きみ、それ信じてたの。俺の小説は重厚で堅実な小説だからねえ。そんなの書かないよ。……ちょっとしか」
「ちょっとしか?」
「うん、ちょっとしかね。今回はないの。残念?」
「ま、まさか!……スゴイのを書くと仰ったのでちょっと覚悟してただけです」
「そお。じゃあやっぱり書けばよかったかもね」

と言って、また怒られたらたまらないなとマナの顔色を伺うが分かっているのか分かってないのか校正作業に没頭している。

「滝川はいつ戻ってくるんだっけ?」
「え?えーと……来月頭には……。うーんと……」
「どうしたの。どっか漢字読めない?」
「じゃなくてここの言い回しが……」
「あぁいいのいいの、そのままで。それは史実の出来事と掛けてて……」
「なるほど。すみません勉強不足で」
「勉強不足なことないよ。これが調べずわかるのはガチガチの水滸伝オタクか学者さんくらいだもの。だからそんな気負わなくていいのよ、真面目だねえ」
「私、真面目が取り柄ですので!」
「自分で言うの?んふふ、いいけどね」
「というか真面目しか取り柄がありません。ので、頑張ります……えーと……」
「ああそこはね……」

と全体のページでマナが引っかかった部分を照らし合わせて洗っていく。晴市は彼女の真摯な取り組みを見て、心の底から言葉が出た。

「担当がずっと君ならいいのになあ」
「そうですか?嬉しいです!」
「ほんとよ。ご飯も美味しいし、部屋まで片付けてくれるし。感動しちゃうねえ」
「締め切り間際の先生のサポートが私の仕事ですから!なんでも言ってくださいね!」
「なんでもかあ……へえ……」

と様々な想いを馳せる晴市だったが、そのうち校正が終わったらしい。

「これでおしまいです。先生、今度こそ、お疲れ様です!」
「うんうん。丸一日付き合ってくれて悪いね。おねーちゃんもお疲れ様」
「はい!ではすぐ印刷屋さんに行きますので!先生はよく眠ってくださいね」
「もちろん、そうするつもりよ。心配どーも。じゃあね」
「お邪魔しました!」

玄関で革靴を急いで履いて大慌てで出ていくマナ。雑談に付き合ってくれていたがやはり時間がないようだ。
急に一人になったマンションの一室で、妙に環境音が耳に入るようになる。

「あーあ。いなくなっちゃった」

晴市はやけに寂しげに呟いた。





四日後。
男の一人暮らしの自宅兼書斎……のキッチンに今日はあの日以来に女性が立っている。熱心に料理をする様を、晴市はキッチンの入り口で腕を組み、壁に寄りかかってはじーっと眺めた。

「まさか本当にご飯を作りに来てくれるとはね」
「外食しか食べないなんて聞けば心配にもなりますよ!……余計なお世話でしたか?」
「いいや、嬉しいよ。すご〜くね」
「よかったです!滝川さんにも頼まれているんですよ、先生の面倒を見なさいって」
「ああなんだ奴の差し金ね、そりゃ納得だ。……で、何を作ってるの?」
「筑前煮と、焼き魚は秋刀魚、お味噌汁、雑穀ご飯、あとうちから持って来た漬物を添えます」
「スゴイ豪華じゃないの」

せわしなく働くマナの後ろに立って、晴市はキョロキョロ物珍しげに作業を見つめる。

「筑前煮、つまみぐいしていい?」
「どうぞ!でもまだ味がちゃんと馴染んでいないかもしれません」
「…………ん、本当だ。でも美味しいよ。やるじゃない」

口に合うか不安だったが、晴市がにっこり笑ってくれて彼女は安堵する。そこに、君もたべてごらん、と箸を近づけられた。

「ほら、あーん。美味しいよ?」
「んん。はふ。……我ながらいい出来です」
「出汁がいいねえ。……そうだ、日本酒買ってこようかね。君、酒は飲める?」
「飲めませんが、お酌はしますよ!」

にこにこそう言われて、晴市は神妙な顔をする。

「おかしい。急に若い女の子がうちでご飯を作ってくれてお酌までしてくれるなんて。俺死ぬのかな?」
「へ?あはは?変なことを言いますね!……先生カッコイイのでご飯を作ってくれる女の人ならたくさんいそうじゃないですか!」
「そう見える?……22の君から見て俺はカッコイイの?」
「カッコイイですよ、顔が」
「あぁ顔……顔はね。そうかもねえ。今はもう歳だけど、若い頃は変にモテたのよ。小説のカバーにある作者写真を見たファン子にね。追っかけってやつよ、バブルだよね」
「あー、なんかわかります!先生、そういうの似合いますね!」
「ふふ……まあそれも昔の話よ」

という話の合間に、マナは大根を取り出す。おろし金も持参だ、前回来た時に調理器具なんてないと知っていたのだ。

「待って、それくらい俺にやらして。大根おろしを作るんだよね」
「いいんですか?」
「もちろんよ。作ってくれてるんだからちょっとはお手伝いしたいじゃない。それで、どうやればいいの?」
「力を入れてゴシゴシしたら辛くなっちゃうので優しくゆっくりお願いします!」
「へー?こうかな……、よっと……」
「上手い上手い!向いてます!さすが!」
「……君、たまに俺のこと、子供扱いしてない?」

魚焼きグリルを開けると、秋刀魚のいい香りが立ち込める。油が乗ったいい秋刀魚だ。先ほど一緒に買い物に出た時、マナが尾の方を手で持って立ったものを買ってきたのだ。鼻をかすめる香ばしい香りに二人のお腹が減ってくる。

「先生、そういえば新しい連載の方向性は決まりましたか?」
「ごめんね、まだなのよ」
「そうですか。時間ありますし、焦らず行きましょう」
「んー……。頑張るね」
「はい!」
「……なんか君といると毒気が抜かれるねえ」

滝川はこの段階でまだと言った途端責め立ててくるの……とかぼやく晴市の顔には悲しみや疲れが浮かんでいる。

「やっぱりスランプのままですか?」
「そうねえ。なんだろ、思いつかないわけじゃないんだけど……書ききる自信が持てなくなったというか……」
「前回の原稿も自分では気に入ってなさそうでしたが」
「そうだね。納得は正直いってないよ。だから毎回単行本作業の時に連載時からの変更や直しが多くなってね。そしたら現行の連載がまたガタガタになって。その繰り返し」
「今のスケジュールじゃ忙しすぎですか?」
「うん。滝川が次から次へと仕事作ってくれるんだよ。俺のためっていうけどねえ……。……まあこの話はいいじゃない。君もさ、カッコイイ作家先生の泣き言なんて聞きたくないだろう」
「あの。頼ってください」
「え?」
「サポートしたいです。先生がもっと良い作品が書けるように!滝川センパイが居ない間ですが支えられるなら支えたいです。……それこそ、ご迷惑でなければ」
「……20も歳が下の子に頼ってくれって言われちゃった。俺のがずっとオトナなのにね。ま、……ありがとうね。マナちゃん」

照れ臭そうに笑みを浮かべてマナの肩をポンと叩く。彼女は驚いて晴市の顔を見た。

「私の名前!」
「わっ!なんなの、大きな声だすから驚くじゃないの」
「名前、覚えててくれたんですね!」
「……そりゃ、覚えてるよ?どうしてそんなこと思うの」
「いつも君とかおねーちゃんって呼ぶので、名前がわからないのかと」

なんて言われて晴市は目を真ん丸にした。そして苦笑いに変わる。

「ええ?俺、そんな男に見えてたってことなの?参ったね。……ちゃんと知ってるよ、君の苗字も肩書きも歳も。これだけわかってりゃ俺に君の知らないことなんてないんじゃない?」
「あはは。それで私を知った気とはまだまだですね」
「そう?じゃあ教えてよ、君の個人的なこともね」
「……(なんと……!)」」
「で、仲良しになって滝川に見せつけたいね。嫉妬させてやろうよ」
「……(そっちか……!)」






「美味しく食べといてなんだけど若い女の子がこんなおじさまの家で夕飯を食べるってどうなのよ」
「……?どうとは?」
「出会いの場を逃してないかなあと思ったわけ。マナちゃんを心配してるのよ」
「出会いの場……とは……?」
「君がその調子なら、まあ、いいのか……ねえ?」

今日も夕飯を作りに来たマナを心から心配して出た言葉だった。十日目の今日のメニューは鍋である。急に冷え込んで冬を感じだしたのだからぴったりだ。

「滝川センパイに電話で確認をとったら、とりあえず今の案で進めようとのことです」
「へえ、奴が良いと言うとはね。……君、どうやって頼んだのよ」
「粘り強く根気よーく。具体的には電話しまくって頼みました」
「ああなるほどね……。電話口でおしまくってるの、なんか想像つくかも」

晴市は熱燗のおかげでほろ酔いだ。気分が高揚したところに良いニュースを聞かされて、さらに機嫌が良くなる。

「しっかし原稿に向かってると腰が痛くなっちゃって困るのよねえ。んー……と伸びしても、ぜんぜん効かないのよ」
「マッサージしましょうか?」
「……できるの?」
「知り合いの整体師にちょっとだけ教えてもらったことあるって程度なので、まったくの素人ですが!でもおじいちゃんにはすご〜く評判いいんですよ」
「ええ〜。君ってなんでもできちゃうんだ、今の子ってそうなの?じゃあ今度にでも頼もうかなあ……。俺、何もお返しできないけど、いい?」
「お礼は良い原稿でお願いします!」
「ああ……そうね。そうだった」

マナのポケットの中、携帯電話のバイブ音がする。明日ある別件の打ち合わせの確認メッセが来たのだが、それよりも20時半という時刻を見て驚いた。

「いつのまにこんな時間に……!そろそろおいとましますね!」
「ああ〜、じゃあ駅まで送ってくよ」
「大丈夫ですよ、一人で帰れます」
「俺のが歳上なんだから。言うこと聞いときなさい。ね?」
「ええと。ならお言葉に甘えて……」
「それでよし、と」

晴市はあくびをしながらウォークインクローゼットに消え、マナの服を持ってくる。
カバンを持って靴を履き、玄関で待機していた彼女の首にマフラーをかけた。

「えーと、それからコート……なんだけど……」
「ありがとうございま……あれっ?」
「……えーと……ね」

服を手渡された……と思ったが引っ張っても晴市は手を離してくれない。
何事かとマナが顔を見上げたら、彼はバツが悪そうに目を泳がせた。妙に真剣な面持ちに彼女が首をかしげる。
煮え切らない態度の末、晴市は決心したように口を開いた。

「急だけど変なこと言ってもいい?」
「いいですよ。なんでしょうか」
「やっぱり帰らないで。って言ったら困るよねえ……?」
「はい?」

普通に聞き返されて晴市が顔を背ける。頑張って言ったのが伝わるような、恥ずかしそうな顔を手の甲で隠した。

「えーと。何時までですか?」
「もちろん、終電まで……とか、よ?君が居ると家が賑やかだからさ、いざ帰るってなったら俺、寂しくなっちゃった、のよ、ね。……だ、駄目かね……?」

どんどん声色が自信なさげに変わっていくので少し面白い。マナはにっこりしてしまう。

「それこそ先生が婚期を逃しますよ?」
「もう逃しに逃した俺にそんなこと言うの?一日君といたところで今更変わるほど新鮮じゃないのよ、俺は」
「そうか……!すみません」
「自分で言っといてなんだけど納得しないで……。傷つくから」
「すみません……」
「謝らないで……。それで、どうなのよ。居てくれる?」
「終電までならいいですよ。家に帰ってもどうせ暇ですから!」
「……そお?」

ようやっと安堵できた晴市が薄く笑みを浮かべる。それから右手を差し出した。

「じゃあ部屋に戻ろーよ」
「……手を繋いで?」
「そうよ。……あれ。いやだった?」
「嫌ではありません、けど……」

引っかかりつつも繋いだ手から晴市の体温を感じる。無骨な大きな手だが彼女よりずっと温かい。

「ああ君、冷え性だろう。すごく冷えてる」
「先生が温かすぎなんですよ!」
「じゃあしばらくぎゅっとしてようか」
「……あ、あの!大丈夫です、から」
「えー?どうしてよ」

とかなんとか話しているうちに居間に戻る二人。いつもはテーブルを挟んだソファに向かい合って座るのだが、手が離れなくて横に座ることに。

「…………?」
「なに、変な顔しちゃって」
「先生ってもしかして……」
「……。もしかして、なあに……?」
「めちゃくちゃ寂しがり屋……!?」
「や」

やめてその言い方恥ずかしいじゃないの、と若干顔を赤らめる晴市。至って真面目に言ったつもりだったマナは彼の取り乱しように慌てる。

「(あれ?あれ?)」
「ひー……、久々よ、こんなに顔熱くなったの。確かに寂しいとは自分で言ったけどね」
「ち、ちがいましたか?」
「……、まあよくよく考えてみりゃ、違わないのだから困ったものだよねえ」
「(やっぱりだ!)」
「だからね」

繋いだままの手の結びが恋人つなぎに変えられる。

「はやく誰かに俺を貰って欲しいのよ」

まっすぐ瞳を見つめられて、晴市の本気が伝わるようだ。だから、マナも真面目に返事をする。

「そんな、心配しなくても大丈夫ですよ!貰い手、見つかりますって。先生カッコいいですから!」
「……あはは。そうきたか…」


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