小説家 | ナノ


1出会い

「で?滝川は一体どうしたの」
「飲み会で酔ってはしゃいで階段から落ちて恥骨を骨折したので入院中です」
「へぇそうなの。らしいことするねえ」
「ですので!滝川センパイ復帰までは私が、晴市先生の担当編集をつとめさせていただきます!」

よろしくお願いします!と勢いよくお辞儀する若者の元気に、晴市はおののいた。
目の前の女から立ち込める体育会系の匂いを感じ取ったのだ。

「あぁ〜、君スポーツやってたろう」
「え?はい!子どもの時からバレーをしていました!体力には自信があります、先生の原稿が出来上がるまで、何時間も待ちますよ」
「なぁるほど」

やっぱり……と言葉にはしないが晴市の表情が語る。気だるげな態度、だが特別辟易したわけではなく彼はどんな時でもこの調子だ。仕事中だけかける眼鏡を外してしぱしぱ瞬きをする。
真ん中分けで長めの髪は襟足がちょっと跳ねていて無造作だ。彼はソファに浅く座り、ぐったり背中を預けている。疲労を隠しもしないで、女がニコニコで学生時代いかにスポーツに身を投じただとかどうたら言い始めたのをあわてて遮った。

「わかったわかった、それは今度聞かせてくれたらいいからね。おねーちゃんの話じゃなくて仕事の話をしよう」
「おっと!そうでした。名刺を渡します、待ってくださいね」

鞄を開けて名刺入れを探す……挙動のひとつひとつがハツラツとしていて若さがみなぎっている。そして出された名刺に書いてある名前は。

「マナちゃん、ね。はいよろしく」
「よろしくお願いします!では、お約束の今日の原稿をいただきます」
「……」
「滝川センパイから聞いていると思いますが今夜には刷り始めちゃうので。今いただいたらすぐ会社に戻って校正します、バタバタしててすみません」
「……ああ。そのことなんだけど……。なんと言ったらいいかなあ」
「……先生?」
「結果的に言えばまるで出来てないんだよねえ」
「先生!?」




●作家先生のおなやみ。




晴市は業界では多少名の知れた歴史小説家だ。
名門大学在学中にデビューし今まで約20年、卓越した知識とユニークで新鮮な歴史解釈、そしてねちっこく癖のある文章に胸を打たれたコアなファンに支えられ、現在も忙しく新作を書き続けている……のだが。

「スランプ?」
「そうなの。もう参るよねえ。何が原因かはわからないんだけど、多分精神的なところから来てるのかなあ。人気作家の重圧っていうの?思うように書けなくてね」
「な、なんと……」
「しかもここ数日腱鞘炎に悩まされてもいるの。ああーどうしよう、これは締め切りを伸ばしてもらうしかないなあ〜?」

心底申し訳なさそうな晴市の顔。だが目を覆った両手の隙間からチラチラマナの様子を伺っている。
話を額面通り受け取った彼女は勢いよく立ち上がるとテーブルを挟んだ向かいに座る男の腕をがっちり掴んだ!

「晴市先生!一刻も早く腱鞘炎とスランプを乗り越えられるよう、私、なんでもお手伝いします!!!!」
「んっ?うん、そりゃ、ありがたいなあ。じゃあ締め切りは……」
「どうにかして二人力を合わせて締め切りに間に合わせましょう!!!!」
「あれ。……えーと……ね。そうじゃなくて」
「やればできます!!!!」

圧倒的剣幕に苦笑いを浮かべる晴市。
担当編集という立場の穴埋めに新人の彼女が選ばれた理由に気がつき始めたのだ。

「あのねえ……」
「そうだ、滝川センパイに電話で聞いてみますね。先生ともう十年以上のお付き合いのセンパイなら、危機を乗り越えるいいアイデアがあるかもしれません」
「あぁ待って。ちょっと。おねーちゃん。こら。……俺の話聞いてる?」

年にして20は上の男の制止も虚しく、すみませんもうかけてしまいましたとマナは携帯電話の通話画面を見せる。余裕そうだった先生も流石にしかめつらだ。

「滝川に悪いんじゃないかなあ。だからやめよう。ねえ?」
「つながりました!」
「あー、えー?……そお……」

いい笑顔のマナに消え入りそうな声で答える晴市。
すぐ繋がった電波の先の男滝川に現状を説明したら、返ってきた言葉は。

『騙されるな!それが奴の手だ!腱鞘炎もスランプも嘘だ、俺にはわかる!』

スピーカー機能は便利で、晴市にもバッチリ聞こえたのだった。

「うそなんですか!先生!」
「いいや、嘘なんかじゃないよ。これでも真剣に悩んでるのに。……おい滝川、おまえが骨折している間、俺もイロイロあったんだよ。スランプに腱鞘炎に、あぁ腰も痛くなってきた。……ほんとだよ?」
『マナ、信じるな。いつもこうしてあの手この手で締め切りを伸ばそうと企んでいる男なんだ。縛り付けてでも書斎から出すな、絶対に間に合わせろ。根性で粘って今までなんやかんや一度も原稿は落としていない!ですよね、先生!』
「待って待って。新人ちゃんに変なこと教えるのは勘弁してよ。このコ真に受けるでしょ、本気で椅子に縛られそうで怖いんだから。あとね、俺はいま、腱鞘炎なの!物理的に書けないの」
『じゃあ口頭で読み上げるなどしてマナに紙に書いてもらえばいいじゃないですか』
「そういうのって想像より難しいのよ?それに……スランプは……、どーするの」
『晴市先生がスランプ?またまたあ!嘘以外でスランプだったこと今まで一度も無いじゃないですか!』
「まぁね。今まではなかったけど……けどね……なんか今回こそは……」
『すぐ書き始めればなんとかなりますよ先生!じゃあ俺は今入院仲間と麻雀してて忙しいから切ります。原稿頑張ってくださいね!ファイトファイト!』
「ちょ、滝川、待ってよ!あのね……!」

ツー、ツー、と通話が切れた音がする。
シブい顔をさらに深めて大きくため息をつく晴市。

「どーして俺の担当さんはトリッキーなコばっかりなのかなあ」

眉間にしわを寄せてつんとした先生のご機嫌を伺いつつ、マナがおずおずと話し始めた。

「あの、先生。頑張って締め切りに間に合わせましょう。スランプは不安かと思いますが、今まで落としたことないならきっと今回も大丈夫ですよ」
「君、スランプって信じてくれるの?」
「もちろん。スランプなんです……よね?」
「うん……。あーあ、やっぱ滝川ってひどい奴だよなあ、普通は君みたいにちょっとは優しくしてくれるもんだもの。ねえ、優しさついでに締め切りを伸ばせない?」
「それは……物理的に伸ばせません。もうすでにギリの締め切りで、翌々朝には雑誌がコンビニに並びますから」
「……だよねえ。聞いてみただけ……はあ……」

うなだれて頭をかく晴市。

「先生。私も書き起こしなりなんなりお手伝いしますから!」
「……そーお?じゃあこれから書くクライマックスシーン、濡れ場でも入れちゃおうかなあ。濃密な奴をがっつりエロティックに」
「が、頑張って書きます!」
「ああそう、頼もしいねえ。むむ…………んー、はぁー、もう、仕方ない。やりますか」

晴市はようやく重い腰を上げる。書斎に向かう男を手伝うべく慌てて背中を追うマナだったが、急に男が自分の方に向き直る。

「おっと、ストップだよ。書斎は俺以外立ち入り禁止なの。朝までにはなんとか仕上げてみるからさ、おねーちゃんはこれ」
「わわっ?」

渡されたのは原稿用紙だ。鉛筆で書かれた文字でマスがびっしり埋まっている。

「できてるぶん。書き換えるかもだけど。校正しといてね」
「は、はい!頑張ります!でも腱鞘炎は大丈夫なんですか?何か冷やすものとか用意しましょうか」
「ん?……あ。ああ……腱鞘炎、ね。うーんと、えーと、そう、急に治っちゃったみたい」

思い出したように手をグーパーしてみせた。半笑いの表情、煮え切らない態度……これはもしや。

「(ウソだったのかな!?)」
「まあ、なんだ。難しい漢字がたくさーんでてくるけどよろしくね、おねーちゃん。客間とキッチンのコーヒーメーカー適当に使っていいから。……時間かかるでしょ?」

じゃあね、と言ったら即バタン!とドアが閉まる。大きなため息やらぼやきやらが聞こえたと思ったらやがて静かになった。

「(先生がやる気になってくれてよかった!さすが滝川センパイ……尊敬です)」







時計の短針が数字を4個進めたころ、疲れ切った顔の晴市が書斎から出てくる。

「って、アレ、おねーちゃん。人んちのソファで何寝てるの?」
「はっ!はあ!いえ!寝てません!」
「ええ?ここ、ほっぺに思い切りよだれついてるけど」
「これは違います。なんでもないです。……先生、原稿終わったんですか?」
「まさか。コーヒー飲みに来ただけよ。……で、終わったの〜?校正」
「はい!一応ざっとは!あとは時間まで見直しをします」
「あっそう。…………って、え?ほんとに?」
「はい!」
「うそお」

信用できないなあ、と若者の顔を見るも嘘をついているわけではないらしい。

「きみ、歴史小説とかよく読むの?いくらなんでも早すぎじゃない?滝川は辞書片手に倍は時間かかるのよ。もう十年以上この仕事してるのに」
「私、漢検持ってるんで!」
「そ?よくわかんないけど君は凄いってこと……かな?ああでもこんな早いなら滝川より君のが良いな。もっとギリギリまで書けるし……」

欠伸して出た涙を手の甲で拭いつつ、晴市はマナの向かいのソファに座る。

「おねーちゃん、喉乾かない?うちの冷蔵庫にある飲み物勝手に飲んで良いからね……ついでに俺のコーヒーをいれちゃってよ」
「あ、はい!コーヒーですね、すぐ作ります」
「……。……よく働くねえ」

いそいそコーヒーを淹れに向かうマナを目で追う。若い女性が家をこう歩き回ることなんてないなと思い至って、一応とばかりに質問を投げかけた。

「ねえ君、幾つ?」
「22です!先生はお幾つでしたっけ?」
「俺?俺は……よ、40と……ごにょごにょ」
「あー!うちの父と同じくらいですね!」
「あのねえ。ちょっとはオブラートに包んでよ。デリケートな話題なんだから」
「そうでしたか!えっと、その、すみません。コーヒーを持ってきました、ブラックで良かったですか?」
「いいやぁ。反省してるなら砂糖入れてきて。みっつ。ミルクもね」
「はい、すぐ入れてきますね!」

また台所に消えるマナ……をやっぱり目で追って、晴市は深くため息をついた。

「22ときたか。俺の半分以下しか生きてないなんて、信じらんないよ……怖い怖い」
「先生!冷蔵庫のりんごジュース飲んでいいですか!」
「そんな大きな声張らなくても聞こえてるよ。どうせ貰い物だし全部飲んでかまわない。なんだったかな、どっかの自家製りんごジュースだとかなんとか……滝川からもらったのよ」
「おいしい!ありがとうございます!」
「こらこら立ちながら飲まないの。こぼしちゃうよ」

晴市は手渡されたアツアツのコーヒーをふーふーだ冷ましてぐいっと飲む。

「先生は甘党なんですね」
「いいや。甘いのは苦手。けど糖分が必要なのよ、書くのって頭使うから」
「なぁるほど」
「ちなみにコーヒーも苦手。苦いから。けどカフェインとらないと眠くなるし」
「甘いのも苦いのもダメとなると……どんな食べ物が好物なんですか?」
「寿司かなあ」
「(ピンポイントだ!)お寿司ですか〜。うーんお寿司は作ってあげられませんね」
「……なに?君、なにか作るつもりだったの?」
「好きな食べ物を食べれば元気が出ると思いまして!」
「なんだろう。君の言葉がひどく胸に沁みるね。歳をとってから誰かに優しくされたことなかったから」
「えっ……と。照れますね……」

しみじみとした気分に浸りつつ晴市的には不味いコーヒーを飲む。

「作ってくれるならあれがいいね、生姜焼きだね」
「豚のですか?」
「そうそう。家庭料理っていうの?飢えてるのよね。料理できない一人暮らしの独身者は家の味に憧れるものよ」
「じゃあ、今夜作りますね!」
「……ほんとに作ってくれるの?ていうか君、料理できるの?」
「おばあちゃんっ子ですので!」
「どうしてそれが答えになるのかさっぱりだけど、……作ってもらおうかなあ」
「腕によりをかけますね。ですから先生もそろそろ……」
「分かってる分かってる、原稿に戻れ、でしょ?いいよ、もう戻るつもりだったし」

のそりと立ち上がってマナを一瞥したら。

「買い出し行くなら俺の名前で領収書貰っといてね。うーんわりと楽しみかも。……じゃあ君のためにも、お仕事頑張りますかね」

上機嫌に部屋に戻る晴市を見つめて、その疲れた背中にいいご飯を作ろうと気合いを入れるマナなのだった。






「お腹いっぱいだよ。驚いた、君料理上手いのね」
「おばあちゃんに鍛え上げられましたから!」

夕飯にぴったりの夜8時、豚の生姜焼きの皿は綺麗になって居間兼応接間のテーブルの上に乗っている。食事をたいらげた本人は神妙な顔で話を続けた。

「最初はこの子どうしたものかと思ったけれど、君って意外と引く手数多な子かもねえ」
「いえいえそんな。でも……実は和食しか作れませんので……!」
「十分よ、俺にとっては。毎日これが食べられると思うと、君の未来の旦那が羨ましくなってきた」
「旦那さんは募集中です!」
「そうなの。じゃあ年長者がアドバイスしてあげようか。狙った男にはさっさと飯を食わした方がいい、これは間違いない」
「そうですか?勉強になります」
「って、俺は人の心配する前に自分の心配すべきだよなあ」

とはいえ締め切りは明日の朝。ゆっくりもしてられない。晴市は頭を上げて真後ろの壁にかかっている時計を見る。それからテーブルの上に視線を戻した。

「急いで食べたからすぐ無くなっちゃってもったいないねえ。ねえ作りにきてよ、滝川が戻ってきてもさ」
「ぜひぜひ。またお邪魔しますね」
「あら。もしかして、わかんない?」
「……はい?」
「おねーちゃんを口説いてんの。今」

にやりと目を細める晴市だ。面白い冗談を言ったつもりだがマナの反応が無くて、やがて眉をひそめる。

「……あれ、聞こえてる?」
「!?!?!?」

理解したマナが顔を真っ赤にする。しどろもどろに目をあちこち動かして、俯いてしまった。

「あ、あの!先生!その、わたし!あの!」
「ちょ、ちょっと、ごめんごめん、今のはからかっただけだからさ、そんな本気に捉えなくていいの」
「え!?からかったんですか!で、ですよね、そ、そうですよね!」
「……あーっと、参ったな……」
「平気です!から!……ですから……」
「全然平気そうに見えないけどね……。くだらない冗談は置いといて、ほんとに作りに来て欲しいのよ。だから怒んないで?」
「お、怒ってません!」
「ありゃー。嫌われちゃったかな」

彼女の取り乱しようにすっかりお手上げな晴市だ。失敗したなと思いつつも、急須からお茶を注ぐ。
ようやっと頬の朱色が治まって来たマナが怒気を強めた。

「はあ、顔が熱いです、恥ずかしい……。先生はそれ飲んだら作業に戻ってくださいね!」
「やっぱり怒ってる……。はいはい、分かってますよ。戻る戻る」

マナの剣幕に押され、暖かい湯呑みを手に持って書斎へ逃げる。……部屋に一人になってすぐ、先ほどのマナの反応を思い起こしてしまい……。

「(うーん。俺をもらってくれるならもう誰でも良いと思っていたけど、さすがに22歳はちょっと。手を出すには若すぎるよなあ……)」

とかなんとか真面目に考える晴市なのだった。


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