手中でじゃらりと鳴った鍵に目を落とし、顔だけこちらに向けた前髪くんを見据える。

「ありがとう」

 へにゃっと微笑まれた。

「案外普通の人なんだな、椎野さん。初日のインパクト強過ぎて意外だ」

「……。ハルって、君?」

「え? あ、俺? 俺、うん、渡辺晴一(わたなべはるいち)だけど。多分、ハルだな」

 右手を差し出す。当然、やつも右手を出した。はたから見れば、ただの握手5秒前のような光景だ。

 握ってやった。

「お、おお。まあ、よろし……ぐうあっ!?」

 思い切り。

「いいい痛あああ! し、椎野さん、待っ!」

 自慢ではないが、握力は両方40以上ある。表情一つ変えず、わたしはパッと手を離した。ひゅうと吹いた温かい風に微かな笑みが浮かぶ。

「断っておくけど、わたしはあの少年を扉ごと蹴り飛ばした覚えはない」

 うおおと唸りながら右手を眺める前髪くん。一発カウンターパンチ、もとい仕返しをしてやった。手は抜いたが、目には目と歯を、というやつだ。

「恐ろしい子だ……!」

「変な尾びれ背びれを付けるからだよ」

 小枝に何を吹き込むんだまったく、と不機嫌なわたしに怯えたような目をしてみせたのはそこまでで、前髪くんはすぐに困った顔をして「それもそうだよな、すまん」と左手で頭をかいた。その動作のせいか、前髪くんの上げた悲鳴のせいか、背中にいた小枝がううーともぞもぞ動いた。

「……教室、行くか」

「そうだね」

 そして、歩き出す。
 薄汚れた校舎を見上げると、もっと上には青い空が広がっていた。黒い点が旋回する。そういえば、わたしが気絶させてしまった担任さんは無事だろうか。沙夕里が血相を変えて武道場から飛び出していったのを思い出し、明日から仲良くしてくれるかどうか怪しいなと嘆息する。しかし、すべては自分の招いたことなのだ。受け入れなければならないときもある。

 ざりざりと砂利を踏み鳴らしながら、徐々に視線を下げていった。

「……」

 鳥がさえずる。

「あ」

 前髪くんが何かに気付いたような声を出した。でこぼこした道を見ていた顔を上げると、向こうから走ってくる人影が一つ。

「うわ」

「ことりー! あれ、ハルもいる……大丈夫かー!」

 すっと身構えたわたしの肩を前髪くんが軽く叩く。

「?」

「ほら。痛いのは嫌だって言っただろ」

「……ああ、」

 そのやり取りの間も、葉山楓は全力でこちらに向かっていた。校舎と葉の茂った木々、空をバックに、勢いを落とそうともせず疾走してくる。台風か、と額に手を当てた。

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