みんな、一斉にそちらへ顔を向けた。武道場の入り口付近に影二つ。誰がいるのだろうかと少し背伸びをすれば、一人は知り合ったばかりの少女であった。 「沙夕里」 「えっと、救急箱持ってきたんだけど……ことりちゃん、大丈夫?」 迷わずわたしに近付いて救急箱を目の高さまで持ち上げた沙夕里は、伺うように控え目な視線を寄越してきた。対するわたしは、困った顔で、伸び切った担任さんのほうを指差す。 「起きない、みたい」 「ひゃあっ、先生大丈夫ですか!?」 小さく悲鳴を上げた沙夕里が小走りに担任さんへ駆け寄る。彼女を背中から抱きしめるようにして、くっついて歩く男子生徒が「何アレ珍百景ー」とのんびり言いながら続いた。 ……わたしは、無言でその男の子の首根っこを掴み沙夕里から引き離した。なぜ? 本能と、沙夕里が随分重そうに引きずっていたからだ。 「うわー、何するんですかね椎野さん」 「君のほうこそ何してるんですか」 背中のほうから制服の襟部分を掴んでいたため、彼は首だけ半分こちらに向けて抗議する。とてつもなく不機嫌そう、なのか、眠たいのか分からないようなトロンとした目。ふわふわの癖毛が手に触れた。 しばらく、睨み合う。 「ハル、助けて」 先に白旗を上げたのは相手のほうで、「養護の先生呼ばなきゃ!」と、慌てて武道場から出ていった沙夕里のほうをちらと見てから聞いたことのある名前を呼んだ。小枝が幼なじみと言っていた人の名だ。 「邑弥(ゆうや)、初対面があんなのじゃ怪しまれるに決まってるだろ」 応じたのは、前髪が奇跡的な方向にはねているあの人。わたしの脳内の記憶板にハルという人物名がイコール前髪くんと走り書きされた。 「まあ、フォーリンラブですから」 「ほら、見ろ。椎野さん、警戒心むき出し」 「……」 そんなやり取りが続き、沙夕里が白衣の養護教師を連れてきたころになってようやく不審者その二はわたしと目を合わせた。 「初めまして、おれは沙夕里の彼氏の広瀬(ひろせ)邑弥です。ぜひ、お友達になった記念にその手を離してもらえませんか」 しかし、何と言うか……いや、何でしょうね。この目力のなさは。 わたしの脳は緩慢な動きで物事の理解を始める。広瀬邑弥、沙夕里の彼氏、わたしの友達。いや、いつ友達になったのだろう。 沙夕里の、彼? 「なあー、ハルの言う通りにしたけど離してくんないよ」 「がんばれ」 「冷たいなあ……」 ということは、何だ。 わたしは沙夕里の大切な人に非礼なことをしているのだろうか。それは、いけない。よろしくない。 静かに手を離す。 しかし、あまりにも静かに離し過ぎたせいか、邑弥という男の子はいまだに前髪くんへ抗議の声を上げていた。 入学式の日、お母さんがわたしに言ったことを思い出して同い年なのにもう付き合っている人を持つ沙夕里に驚愕した。そういうのは、もっと派手な女の子たちの隣りにいるものだと思い込んでいた分だけ、余計に。ああ、偏見はあてにならない。 ぐるぐると思考の渦の中を泳いでいると、背後に現れたのは例の気配。 悪趣味なところから現れたな、不審者め! わたしは素早く体をひねってその場から後退、充分な距離を取ってから相手へ威嚇の念を込めて眼光を飛ばした。 「なになに、オレの後ろに何かいるの? あ、ところで志内先生は? 勝った? むむむ、その様子だと勝ったよな!」 ……効かない。 「やったな、ことり!」 にこにこしながらガッツポーズを取る。どうしてこの人が喜ぶのだろう。調子が狂ってきた。 [しおりを挟む] ← |