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 早朝の事務所、レオナルドが頭に三角巾を巻いて、マスクで鼻と口をおおう。パソコンやクラウスの植物はカバーをかけて保護。
 箒の柄を下に持ち、毛束を上に。天井に毛先をするようにして埃を落としていく。机や椅子の上を布巾で清めたあと、おとした埃ごと床をはく。濡らしたモップを一度かけたあとに乾いたモップで空拭きして朝の掃除は終了。
 掃除が終わるのを待っていた早朝出勤のスティーブンは、あわただしくバイトに向かったレオナルドを見送って呟いた。
「まじめだなぁ」




 初日のうち、みんなへの紹介が終わるとスティーブンはレオナルドの携帯のGPS情報を事務所とスティーブンのパソコンに登録した。ついでとばかりに携帯とカメラのデータもすべて転送するように設定する。
「そこまでするんですか」
「君の安全とライブラの安全両方を兼ねてみたんだ」
 つまり、護衛と監視の同時進行である。
「君の人となりが分からないしね。意図的でないにせよ、うっかり外に情報をもらさないとも限らない。撮られちゃまずい写真もあるし」
「はぁ、信用ないっすね」
「わざわざ君に教えるくらいには信用してると思ってくれ」
 スティーブンはなんでもない顔でコーヒーに口をつけたが、正直にいえば、レオナルドの扱いに困っていた。
 まずどうしたって距離感にわずかな食い違いがでる。スティーブンには見知らぬ少年でしかないのに、レオナルドにとっては既知の間柄だ。自分の何を知られているか分からないおぼつかなさが付きまとう。
 そしてライブラでのレオナルドの身の置き方。
 二度に分けた尋問で、レオナルドの活動は対ブラッドブリード以外にも義眼を使った作戦の援護があったことは知っていた。念のため具体例をきいてみたら、スティーブンにも覚えのある事件が記憶より楽に解決されている。今更だが本当もったいない。
 義眼以外では何をしていたかというと、遅刻したザップの迎えだとか、修羅場に巻き込まれたザップの回収だとか、ザップの尻ぬぐい、だとか。
 逆に義眼がなくなった今は何ができるか――何もできなかった。もちろんザップに関することはカウントしない。


 そうすると彼の給金に関してもスティーブンは頭を悩ませることになった。
 今までは月給だったらしいが、レオナルド本人は仕事ができない人間がお金を貰うのはおかしいと主張したし、スティーブンもそう思う。彼には構成員でなく顧問になってもらい、固定給なし、BB戦での成功報酬と危険手当が妥当だろう。
 一旦話がまとまると、レオナルドは立ち上がってすぐにでも退室しようとした。
 どこにいくのか聞けば、これから部屋とバイトを探しにいくという。
 そこまで思い至らなかったスティーブンは、額に手をあてて呻いた。世界が書きかえられて、レオナルドに残されたのは『外』からHLに持ち込んだもののみ。当然身一つの状態だ。
「……敷金礼金、払えないだろう、君」
 彼の通帳と財布の中身はすかんぴんだった。それ以前に賃貸は即日契約できるものじゃない。
「僕が住めるような低家賃のとこはだいたい即決で敷金礼金いらないっすよ」
 それって生還率が2割きってるところじゃないのか。
 そういうところは確かに家賃も安い。住人がすぐに死んでローテーションするから、家具は備えつき(前の住人のものをそのまま使う)で敷金も礼金もない。
 噂には聞いたことがあった。
「ほんとにあるのか、そんな物件が」
 この子ブラッドブリード戦の前に死んでしまいそうだ。
「……ひとまず今回密封したブラッドブリードに関しての手当ては振りこんでおこう」
「でもそれまだライブラに入ってない時だし、申し訳ないです」
 なぜそこで金をこばむ。スティーブンにはまったく理解できない。
 バイトを見つけても給料は翌月だろうし、いつ来るとも分からないブラッドブリードが現れるまでライブラからの支給もない。一カ月生活するだけの金がまず足りてないのに、まじめになってどうする。
 レオナルドがこれからHLで歩合制と危険手当なんて安定してない給料体系でやっていけるとも思えなかった。
 頭を痛めていたところに、ギルベルトが助け舟を出してくれる。
「レオナルドさん、私は覚えていないのですが、あなたがこれまでライブラで一番活躍したのはどういう仕事でしたか?」
「そりゃあブラッドブリードの諱名をクラウスさんに伝えてたことだと思います」
「では、あなたのこれからの活動内容はどういうものですか?」
「過去に読みとった諱名をクラウスさんに伝えることです」
「それでは、レオナルドさんがこれまで諱名を伝えてきたブラッドブリードと、これから諱名を伝えるブラッドブリード、正確な数はわかりますか」
「えっと、義眼で諱名を読んだのはたしか12体で、履歴は11体残っています」
 ギルベルトは満足そうにうなずいて、包帯の奥の目を光らせた。
 彼は執事であるがゆえに主導権をにぎることは珍しいが、逆にそうなってしまうと叶う相手もいない。
「まず、仕事内容は同じですので、給与体系を変える必要はないと思います。月給でいいでしょう。
 次に活動資金ですが、少なくなった諱名の割合だけカットしましょう。1÷12ですのでおよそ8%減り、これまでの金額の92%になります。ただし義眼がないため危険度が増しましたので、そこから10%ほどアップするのが妥当かと」
 口調は柔らかいのにたたみかけるような話術にレオナルドは唖然としている。面倒な計算も入っていたから、おそらく半分も理解してないだろう。
 スティーブンも口をはさむ隙がなかった。ギルベルトの提案は結果として誤差1.2%、増える形になる。
「先ほど調べたところレオナルドさんに関する給与データが残っていましたのでそちらを参考にいたしましょう。彼は実質ライブラを抜けることなく所属してるも同然ですから、今月からでよろしいですかな」
 レオナルドはトントン拍子にこれまでとほぼ同額の給料で、部屋はライブラ事務所内にツェッドと同室、という方向にまとめられてしまった。
 おもわずスティーブンはその場で拍手をしてしまった。




 それからレオナルドは毎日掃除をしている。朝に1回、夕に1回。放っておいたら一日に何度でも掃除を始めそうだ。
「おはようスティーブン。今日も早いな」
「やぁクラウス、おはよう。レオナルド少年はたった今掃除を終えて出ていったよ」
 巨体な体を小さくさせるように、クラウスの顔がかげった。
「忙しそうだな」
「妹さんにも仕送りしてるんだろ?やっぱりどうにかして彼の活動資金を増やせないか」
「しかし頑なに受け取らないのだ。今でさえ自分は仕事をしてないと恐縮されてしまっている」
「……今度データ入力の仕事でもまわすよ」
 クラウスはそれがいいと頷いたあと、首をかしげてほほ笑んだ。植物の世話をしているときによくあることだが、今なにか彼の琴線に触れるものがあっただろうか。
「どうしたんだい?」
「不思議に思うのだよ、スティーブン。覚えていないはずなのに、既視感というか、時折レオナルド君は我々の仲間だったと実感する時がある。彼が戻ってこられたことが本当に嬉しい。痕跡が残っていたのが幸いだったな」
 そうだね、と返事をしながらスティーブンはうわの空だった。

 すこし、痕跡が残りすぎじゃないか?
 世界の書き換えに、そんなに穴があるものだろうか。チェインの時は、全ての痕跡が完璧に消えた。呪力で守られた符牒があったからこそ、彼女はこの世界に戻ってこられた。
 レオナルドの場合は、レオナルドという最大級の異物が残っている。だからこんなに穴があるんだろうか。
 それとも。
「彼にも符牒がどこかにあるのかもしれないな」


150728



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