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 ソファのほうでパソコンとしばらく向き合っていた少年が、ふいに集中がきれたのか背もたれ越しにスティーブンをふりかえった。
「スティーブンさん、コーヒー飲みますか」
「いや、今はいいよ。休憩とるんなら、君はそのままお昼にしておいで」
「そうっすね」
 仕事の切れ目をまっていたのか、ツェッドがレオナルドに寄っていった。突然同室になった2人は、概ね上手くやっているようだった。どちらも相手に迷惑をかけるタイプではないから、衝突もないだろう。
 連れ添ってでていった2人の背中が扉で遮られるのを待って、スティーブンはマグカップを持って立ちあがった。実のところ、レオナルドが声をかけてきたとき、ちょうどコーヒーをおかわりしようと思っていたところだった。
 タイミングの良さには正直ちょっと肝が冷えた。




 それから30分ほどして2人はもどってきた。スティーブン1人残っていた事務所が、にわかに騒がしくなる。
 扉の外でかわいいかわいいと声がすると思ったら、入ってきたレオナルドの肩に小さな白い生き物が、と認識したところでそれが視界から消え、気がつけば顔面に何かがはりついていた。
「ソニック!」
「大丈夫ですかスターフェイズさん!」
 びっくりしたようなレオの声と、珍しく動揺しているツェッドの声。白い生き物は相変わらずスティーブンの顔にしがみついているが、2人の表情は容易に想像できた。
「ソニック? 見えなかったってことは、こいつは音速猿かい?」
「預かってもらってたんですけど、HLにもう少し長居することになったんで引きとってきたんです」
 ほらおいで、というレオナルドに逆らって、猿はスティーブンの肩辺りにおちついた。クラウスがいたらこの小さいお客を喜んだだろうに。残念ながら彼は今日外で仕事だ。
「随分人懐っこいね」
「いや、こいつ覚えてるんですよ」
 ソニックは世界の書き換えのさいにレオナルドと行動をともにしていたから、レオナルドが義眼をもっていたときの記憶がある。ライブラのメンバーにもよく懐いていたが、レオナルドと一緒にみんなから忘れられてしまった。
 以前はこんなことなかったのに、知ってる相手には過剰に人懐っこくなってしまったという。
「そうか。寂しかったんだなソニック」
 音速猿は知能が高い。自分のおかれた状況もぼんやりわかっているだろう。
「なんか菓子でもやろうか。いや、自然食じゃないとまずいのかな」
 指先でくすぐってやるとソニックは嬉しそうに鳴く。手元にはあいにくコーヒーしかないが、給油室の方には何かあるかもしれない。
「少年、餌をやってもいいかな?」
 ソニックから視線を移すと、レオナルドもツェッドもなんだか間の抜けた顔をしている。
「おーい、どうした」
 ツェッドのポーカーフェイスは崩れにくいが、そのかわり声音に感情が表れやすい。ちょっと困ったように、ゆっくりとした喋り方をした。
「いえ、スターフェイズさんって動物がお好きなんですか?」
「だってソニックかわいいじゃないか」
「ええカワイイですけど……」
 紅茶缶の横においてあったオーガニックのクッキーを箱ごともってくると、一つつまんで肩に差し出した。ソニックはそれを嬉しそうに受け取って食べている。
 肩にぽろぽろクズが落ちるが、それすら微笑ましい。


 ツェッドが大道芸に出かけるのを待って、スティーブンはレオナルドに声をかけた。先ほどの2人の顔が引っかかっていた。ツェッドはいい、ソニックを可愛がるスティーブンの姿が意外に見えたのだろう。
 気になるのは、レオナルドの方だ。ソファに戻って仕事にとりかかろうとしていてた少年の隣に腰を下ろす。
「なぁ少年」
「はい。あっなにか入力にミスでもありましたか」
「いや、そうじゃなくて。……ちょっと、思ったのさ。君も、寂しいのかなって」
 にこにこ笑っていた彼の口元が口角を下げる。そのままむっつりと黙ってしまったが、答を聞くまでもないことだった。
「友達だった人たちに連絡とったりしないのかい」
「やだな、僕、ライブラのみなさんとまた一緒にいるじゃないですか」
「友達だっていってくれるのは嬉しいけどね。それ以外だよ。恋人はどうだ? 繋がりを取り戻そうと思わないか?」
「……恋人のことは答えないっていったじゃないすか」
「そうだったな」
 言葉にしなくとも、内面が外に漏れる子だ。誰にも会いに行ってなさそうだ。
 そりゃきついだろう。誰も自分のことを覚えてない。彼は消えた思い出は口にしない。ソニックのように、悲しみを前面にだすこともない。
「この前クラウスと君のことについて話したよ」
「……僕なんかやらかしましたか」
「いや生活苦しそうだから給料アップしようかって」
「やめて!! ほんとやめて!! 養われてるだけの辛さができる男どもにはわかんねーんだよ!!」
「はっはっは」
「笑ってごまかすとか!」
 気分の落ち込んだ雰囲気をかるく払拭してから、クラウスがね、と話しだす。
「時々、君を思い出す気がするってさ。既視感を感じる度、君が戻ってきてよかったと思うって言ってた。卑屈になって諦めるなよ少年」
 スティーブンは決して隣を向かなかった。すん、と鼻を震わせる音がしても、前を見続けた。
「ちがいますよ、諦めてるんじゃない。僕はみてるだけでいいんです。あぁ幸せにやってんだなって、確認できたらそれで」
「嘘つきだな少年。光に向かって進むんじゃなかったのか」
 正直、レオナルドの気持ちなんてスティーブンにはさっぱりわからない。少年のいう“見てるだけ”も幸せなのかもしれない。
 ただ、スティーブンから見たらそれは不幸だと思う。
「半歩でいいから進めよ。君にも肩くらい貸してあげるから。……今日はクッキーついてるけどね」
 ぶはっと空気だけで笑って、レオナルドは素直に肩にすがりついてきた。腕を背中にまわして、胸にまで抱きこんでやる。
「そんな励まし、らしくないっすよ。クラウスさんじゃあるまいし。あんたなんか僕にコーヒーも触らせない癖に」
「バレバレだったか」
 レオナルドが聡い、というよりも、スティーブンとすごした時間がかつてあり、スティーブンの癖や性格をそれなりに知っているのだろう。
「僕らにもう少し時間をくれ。ちゃんと君のこと、知っていくから」
 レオナルドは声をあげて泣き出した。慰めの言葉をもっていなかったから、ただスティーブンは彼を抱きしめるだけだった。


150728




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