[夏]


 夏になり気温があがると、スティーブンの首には湿疹ができるようになった。汗をかいて髪の毛がまとわりついて肌荒れをしてしまうせいだ。器用に方足をあげて首を掻いているが、そのせいで血がにじむこともある。
「ギルベルト、髪を切ってくれないか」
「暑くなってきましたからな。いつもより短めになさいますか?」
「いや、私ではない」
 そういって木陰でのびているスティーブンを見る。外に出してやるといつも走りまわるのだが、最近はやはり暑さのせいか最初の数分をすぎると陰にはいってころんと転がってしまう。
 ギルベルトは少し困惑したように黙り込んだ。
 スティーブンの髪は人間とは少し意味合いが違う。獣の毛皮と同じ。身を守るものであり、ヒトよりももっと直接的な体の一部だ。
 嫌がるだろう、というのは少し考えればわかることだった。そのために今まで長いまま残しておいたのだから。
「……すまない」
「いいえ。やってみましょう」
 決行は今夜、食事の後、風呂に入る前。 何もしらないスティーブンが、ごろりと日陰で寝がえりを打つ。
 夕食でスティーブンは自分で持てるようになったスプーンをそろそろと口に運んで、口元を汚しながらも一人で食事をおえた。その後はクラウスの動きに注意している。食後はいつも風呂だから、逃げ出す準備をしているのだ。
 クラウスが素知らぬふりをして食器を片づけはじめると、肩すかしをくらったのか、おろおろとしている。
 最近は表情の変化が顕著だ。
 いちど厨房に食器をさげて、ギルベルトを連れて戻る。ギルベルトの手腕は鮮やかだった。椅子に上っているスティーブンの足を床に落とし、尻で座らせると、首周りにタオルを体を巻きケープで覆う。
 スティーブンが目を白黒させているあいだに、ばっさりと首元までの髪を切り落としてしまった。
 かわいそうに。スティーブンは椅子の上で肩を大げさにはねさせて、よく見れば目に涙が溜まっている。初めて会った時以来だ。
 見ているだけのクラウスはたまらなくなって、スティーブンの足元にひざまずき、彼の両ひざに励ますように手を置いた。
 背を覆って腰まで届くほどだった髪の毛は、うなじや耳がでるほどになり、短くなったことで少し膨らんで見えた。前髪にもハサミがさしかかったことで、クラウスはとっさにスティーブンの目を覆ってやる。額を隠し、目の上くらいの長さになった。
 一仕事終えたギルベルトはハサミをしまい、すみやかにケープとタオルを脱がせると箒で切りおとされた髪の毛を片づけ始める。
 床の毛をみておそるおそる、スティーブンが確かめるように頭をふる。愕然としていた。何をされたかよく分かっていないのだろう。
 どうなぐさめようかと迷っている間にギルベルトからタオルが手渡される。あれよあれよと風呂まですませた。放心しているスティーブンは扱いやすく、その日初めて湯船にもつからせたが暴れることはなかった。長く頭を悩ませていた下着もこの期に履かせてみたが、一度もクラウスを噛むことがなかった。
 つつがなく一晩過ごせたことに、最後の方ではクラウスはもはや感動していた。スティーブンを部屋に送ったあとは、顔に痛みを感じることもなくぐっすりと寝ることができた。
 朝になっても機嫌のいい状態で目を覚ましたクラウスは、厨房にてすこし覇気のないギルベルトと出会う。
「どうかしたのか?」
 この老執事が落胆をするなんて――それも態度にもらしてしまうなんて珍しい。
「じつはスティーブン様が」
 さっき用があって部屋をのぞいたら、ギルベルトを恐れて避けるようになったという。最近慣れた様子を見せるようになってきていたが、もとに戻ってしまった。
 ギルベルトを従えて部屋にいけば、たしかにスティーブンは部屋の隅にかけっていく。
 手の中の食事に寄ってきもしない
 机に皿をおいていつものように椅子をさげると、長いことうろついて時折唸り声をあげた。ここ一か月ほどはなかったことだ。
「うおん!」
 しかし食欲には勝てない。一度鳴くと、ギルベルトを横目にみながらではあるが、ようやく椅子にのぼった。それから、そろりと両足を椅子からおろしてお尻で座った。自分で握れるようになったスプーンでおもむろに食事をはじめるが、足元は浮いたり沈んだりしている。
 いかにも我慢しているという様子だった。
 思わずクラウスとギルベルトは顔を見合わせて、それから小さく笑ってしまった。




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