ヘルサレムズ・ロットに水族館はいくつかあって、そのほとんどがこちら側と向こう側の生物をいっしょくたに置いている。
何がどの魚を食べるのかは目下研究中で、1つ解明しても異界配偶生物が新たにうまれたりと、いつ行っても同じ生き物がいないことで有名だ。ちなみに動物園も似たり寄ったりのことになっている。
「HLでこういうまともなところ珍しいっすよね」
「まともでもないぞ。前は毎日ガラス突き破って両生類になるやつがいたらしい」
「まじすか」
「パンフに書いてあった」
「そんな恥を晒すようなパンフでいいんすかね」
アクリルガラス越しに、普通の魚と異界の魚が混じりあって泳いでいる。ときどき魚とは思えないような速さでじぐざぐに泳ぐやつもいて、水の中も街中と同じようにへんてこで賑やかだ。
「入ってる生き物はみたことないですけど、HLって海も空もないからこういう自然な青色って懐かしいです」
「ん、うん」
歯切れの悪さに気づいて、レオナルドが顔をあげたが、しばらくするとまた視線を水槽に戻した。
「あぁ、目っすか」
「悪い。君は嫌だろうに」
レオナルドのもつ神々の義眼は、海の底に光を持ちこんだような色をして光る。夜に暗い部屋で彼が目をあけたときの美しさを、スティーブンは内緒にしてきた。
いままで、気分を害させると分かっていたからしなかった話題だ。
「僕なら、望まずに手にいれた力でも手札にしちまうよ」
スティーブンは今日、プロポーズをしたい。これからの時を一緒に過ごすつもりだからこそ、腫れものとして避けることをやめる。
「スティーブンさんなら、使いこなしちゃうでしょうね」
「うん、僕は自分の感情にこだわらない性分なんだ」
こだわりすぎては失敗する。それが持論だ。
使えるようなら嫌な奴とも仲良くするし、使えないならどんなに好きな奴だろうがいざというときは置いていく。
「受け入れなくていいけど、もっと有効に使ってほしいなと思ってるよ。自分のために使ったって、めぐりめぐって他人のためになる。まず君が怪我をしなければ僕が喜ぶ」
レオナルドの頭に持っていった手を、触れようかどうしようか困る。やっぱりこんな話止めておけばよかっただろうかと思うが、それでもいつか行きあたった問題だ。
いやでもやっぱりその時まで後回しでもよかったんじゃないか。今日プロポーズするのに、レオナルドの沈黙が辛い。
「スティーブンさん」
「うん、いや、はい」
「ガラスに手が映ってます」
「うわぁ!」
慌てて下げた。慰めようかどうしようか、肩のあたりと頭をうろうろしていたのがばっちり見られていた。
レオナルドは遠慮なくからから笑っている。
「実はですね、最近そんなに気にしてないんですよ」
「え」
「目のこと。言われたみたいに、僕のものとまでは思えないっすけど」
なんで、と尋ねた声は随分失礼だったように思う。スティーブンは勝手にレオナルドが変わらないものだと思っていた。幸せにしたいなんて言いながら、頭の中では贖罪に苦しんでいる姿を押しつけていたのかもしれない。
「この前、ミシェーラを助けられたから」
あぁ、とスティーブンは声を漏らした。
あの辛く苦しい戦いで、レオナルドは前に進んでいる。スティーブンが頑張らなくたって、彼はちゃんと幸せになれるのだ。
それがどうしようもなく愛しかった。
「あと、スティーブンさんが遠慮もなしにガンガン作戦で使わせるんで、そういうのも皆さんの役にたってるかなーって思っちゃったりして」
「レオ」
この後の予定なんてもうどうでもいい。今、この瞬間、スティーブンはレオナルドを抱きしめたい。少し暗い照明の中、水槽のささやかな明かりが波うっている。もう十分最高の雰囲気だ。スティーブンはポケットの中に潜ませていた“それ”に触れる。
「僕と」
ガツン!
と頭の上から音がした。
2人そろって顔をあげると、アンコウに似た顔のでかい皺だらけの深海魚みたいな魚――たぶん異界産だろう――が、ガラスに激突したところだった。それが数メートル下がる。顔はガラスをむいたまま。
「おい、まさか」
ガツン!
案の定、再び突撃した。
分厚いアクリル樹脂にみるみるヒビがはいっていく、そしてまた魚が後退する。やはり顔をガラスに向けたまま、よくみれば腹から小さな足が生えはじめている。
アンコウの顔でオタマジャクシの体とかアンバランスだしかわいくもない。
「え、エスメラルダ式血凍道!!」
魚がガラスと突き破るのとスティーブンがガラスを凍らせるのはほぼ一緒だった。体半分飛び出した魚は氷の中だが、覆い切れなかった隙間から漏れてくる水を2人で頭からかぶる。
一歩横に動いて小さな滝をよけるが、もう遅い。髪は水を滴らせているし服も色が変わっている。
「……ホテルいって服洗わないか」
「……そうっすね」
ポケットの中を思えば、帰ろう、とは言えないスティーブンだった。
150926
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