10


 13歳のレオは走っていた。足をつつむシューズはもう2年履いているもので、窮屈な中で爪がおしつぶされて鈍い痛みを生んでいる。
 ワンピースを足に絡ませながら人混みを押し分け42番街を抜けた先、初めて見る異形の者達には思わず足をすくませた。レオを逃さないために連れてこられたヘルサレムズ・ロット、人界と異界が入り混じる場所。

 10歳のころのレオはワンピースなんて着てなかった。ジーンズにTシャツ、ラフな格好をして、いつもミシェーラの車いすを押していた。
「昨日テレビでやってたでしょう。タンポポ畑! あそこ行きたい!」
 ミシェーラがわがままを言えば、忙しい両親はいつもレオの顔を見た。
「レオ、あんなとこまで1人でいける?」
「ダメよお母さん! お姉ちゃんは見たい再放送があるから、ダメ!」
 レオはミシェーラのことを頼まれたらなんでも頷いていたけれど、それをときどき遮るのはミシェーラ本人だった。
 レオは我慢が得意な子で、自分のわがままと、そうじゃないことの区別が上手くつけられなかった。その全部、ただの小さなワガママまで汲み取って、かわりに嫌だと言ってくれるのはいつもミシェーラだ。
 レオはミシェーラの足であって、ミシェーラはレオの言葉だった。
 そうやってお互いを補ってできていた均衡は、レオの義眼とミシェーラの失明を引き金にして崩れた。レオはその後すぐに牙狩りに連れられてスイスを離れ、ミシェーラ達がどうなったか知ることもできないまま過ごすことになった。
 レオは牙狩りに与えられた部屋で、何度もミシェーラの夢を見た。
『奪うのなら私から奪って』
 神々の義眼を手に迫る化け物に、まだ幼かったミシェーラが言う。僕の目を奪って、それは本当はレオの言葉だった。ミシェーラはいつものように、レオの代わりに喋っただけ。そのせいで目まで失った。
 夢で何度もそのシーンを見るなかで、ミシェーラじゃなくてちゃんとレオが喋る時もあった。奪うなら――奪って。
「奪うならミシェーラから奪って」
 違う! そうじゃない! 夢の中の自分に悲鳴をあげて飛び起きる。
 その夢を見た日は、いつもレオは発作のように牙狩りを逃げだした。42番街支部では、その時まだ鉄格子の付いていなかった3階の窓から外へ出た。外側の、壁をめぐるわずかな段差につまさきを乗せて、非常階段までにじり寄っていく。
 牙狩りに連れ去られてから、レオは家族に無視され続けてる。連絡をくれない、迎えに来てくれない。みんな、ミシェーラのことでレオを恨んでるから。
 ミシェーラはいつもレオの言いたいことを喋ってくれた。「ミシェーラから奪って」、それは夢だけじゃなくて、気づいてないだけで本当はレオが望んだことかもしれない。だから、お父さんもお母さんもミシェーラも、みんなレオのことを怒ってる。

 サイズがあわなくて痛む靴で、レオはHLをかけまわった。異界人に殴られてのしかかられたときは、自分が悪い子だからだと思った。みんなが自分を嫌ってるから。
 異界人のオーラは黒く濁ってたぷたぷ波うっていた。スカートの中に手を突っ込まれた意味もわからず、ただ初めて見るタイプのオーラが怖かった。
 しばらく泣いていたけれど、気がつけば異界人のオーラの中に別の色が混じっている。白っぽい水色で、山に降る新雪のように柔らかそう。小さな結晶があつまってできているようなオーラが、異界人の動きを止めている。
 そのオーラの正体はすぐにわかった。
「こんにちは、お嬢さん」
 4日後に訪れたスティーブンの肩や足元に、その薄色のオーラがこんもりと積もっていたからだ。
 彼は自分がレオを助けたなんて一言もいわず花を渡してきた。秘密のヒーローみたいで、レオも知らないふりをして彼に合わせる。
 スティーブンはレオに牙狩りと義眼についても丁寧に教えてくれて、レオがこんなところにいるのは家族に嫌われてるからじゃないんだと、初めて知った。



 スティーブンは気軽にレオを訪ねてきた。たっぷりのお菓子とお土産に彼のオーラを積もらせて。その中にはときどきオレンジ色の湯気のようなオーラをまとったお土産がまざっていることもあった。
「クラウスってやつ。僕の親友なんだぜ」
 たぶんそのクラウス、と言う人のオーラだ。その人のことを語るスティーブンのオーラは、スノードームみたいに舞い上がっていた。
「君はクラウスとパートナーを組むことになる。クラウスは絶対君を守ってくれる。あいつは君を危険な目にはあわせないよ」
「でも、そのクラウスさんとやらは吸血鬼を倒しにいっちゃうんでしょ?」
「クラウスと君の2人だけで戦わせるわけないじゃないか。クラウスが手いっぱいになってても、僕もサポートにつく。こう見えて強いよ、僕」
 肩をすくめてみせたスティーブンにレオは小さく笑った。正直、牙狩りの戦いに身を投じるのは怖い。異界人にだって好き放題殴られたのだ。でもスティーブンが一緒なら。
「スティーブンさんは強いって言うより、優しそうなのに」
 とっても強いヒーローの正体は知りませんよ、と一応嘘ぶいておく。
「クラウスはもっと優しい。君へのお土産は全部クラウスからだよ」
 レオはそう言われて、クラウスのオレンジオーラが残っているお土産のガジュマルの木を見る。手のひらに乗るような小さなサイズの観葉植物は、いきいきとシャボン玉みたいなオーラをぱちぱち弾けさせている。オーラをきらきら舞わせたスティーブンのように、クラウスが好きだと全身で語っているようだった。
 スティーブンがやってくるのはだいたい2週に一度。
 彼はいつもオーラを舞い上げてクラウスの事を話した。
 見せてもらったクラウスの写真の横には、戦闘服を着たスティーブンが誇らしげに立っていた。写真のオーラはみえないけど、この頃からスティーブンはきっとクラウスが大好きなのだろうと簡単に予想できた。クラウスがこんなに難しい任務をこなしたという話では、スティーブンだって随分な奮闘をしていたし、クラウスが植物を育てている話では、スティーブンが一度彼の花に食われかけたくだりで笑った。
 レオはそれを彼の横に座って、彼のオーラを浴びながらきいた。
 クリスマスの日なんて早めにやってきたテンションの高いスティーブンのオーラで、レオだけじゃなくて部屋中が雪に覆われた。ホワイトクリスマスの気分を味わいながらケーキをつついて、沢山のプレゼントを受け取った。クラウスの湯気にも似たオーラをまとったプレゼントはひときわ暖かそうで、スティーブンのオーラをまとった香水瓶は更に美しく見えた。



 スティーブンのオーラはレオには雪のように見える。スティーブンが日ごろつかっているマグカップなんかは積もった形だけじゃなく花模様の結晶が見えたし、彼が歩いたあとには十字模様の靴底の足跡ができた。
 一度町でスティーブンとはぐれた時、レオはその足跡を追った。最初のうちは柔らかそうな雪だったのに、進むほどに汚いザラ目のようになっていった。どんどん乱れていくオーラ。
 追いついて、足元がもはや泥のようになってしまっている彼の背広を引っ張ると、ふりかえったスティーブンのオーラは途端に白く光ってあたりに舞い散りった。
 心配そうなスティーブンのオーラが、ちらちらとレオに降り積もってくる。
(嬉しい)
 スティーブンは、クラウスだけじゃなくレオのことでもスノードームの景色を作ってくれた。
 レオのオーラはどんな形をしてるんだろう。自分のオーラは自分じゃ見えない。スティーブンを前にしたレオは、いったいどんな形で彼への気持ちをうたってるんだろう。


150826



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