5


 8時間の飛行を経て、バスと電車を長く乗り継ぎ、クラウスはレオの故郷へと訪れた。移動中たわいない話をしたり、クリスマスのプレゼントだったゲームをしたりしながらも、どうしてこんなことになっているのかレオは聞いてこなかった。ときおり、口をつぐんだり、ちらりと視線が物言いたげだっただけで。
 2人でレオの家を訪れると、レオは痛いほど抱きしめられて、クラウスは名乗るなり鉢植えで殴られた。レオはようやく帰ってこれた家に泣きそうな顔を見せたのは一瞬で、半狂乱になった母親を押さえつけるように抱きついた。
「母さんどうしたの! クラウスさんはここまで連れてきてくれたんだよ!」
 それからクラウスはレオの両親と長く話しあった。
 牙狩り支部の様子から想像はしていたが、彼らにとってレオはある日突然いなくなった。
 家にはその日から毎月けっこうな金額が振り込まれるようになったことがより悪い。金は娘が生きている証にもなったが、自分たちのせいで身売りをさせているような錯覚に陥らせる。なにより、貧乏なうえに妹が肢体不自由で介護と設備が必要となれば、その金に手をつけないでいることができなかった。
 それがよけいに、彼らを苦しめていた。
 話しあいと言うよりは、なじられるような状況で、クラウスは真摯にわび続けた。それこそ夕刻、家から追い出されるまでずっと。

 スイスのツェルマットは有名な観光地だ。追い出されたとはいっても宿は夜のうちに見つかった。少ない荷物をベッドに置くが、休んでいる暇はない。今後のことを考えなければいけない。
 牙狩りはレオを諦めないだろう。法的な手段をとったとして、根回しをされるだろうし、なによりレオの両親が金を使ってしまっているのがよくない。金を返すことは簡単だが、使っている事実を「レオの連行に同意した」と言われればまずい事態になる。
 相談できる人物を頭の中で浮かべて、いざとなれば異界の力すら借りようと考えた。クラウスにはレオの扱いがどうしたって許せなかった。囚人のような環境は子供に対する仕打ちではない。
 外からティンクルティンクルきこえてくる子供の声に、あのような子供時代を与えてやるべきだ、と窓の下を覗き見た。

 見て、体から熱気が出るほど驚いた。

「なんと!」
 夜道を歌いながら歩いているのは、車いすを押したレオだった。
「ま、待ちなさい!」
 慌てて飛び出したところ、レオは「クラウスさんこんばんは!」とにこやかに挨拶してくる。
「こんばんは。いや、そうではなく、いったい何を……連れのお嬢さんは妹さんか?」
「ミシェーラです」
「お初にお目にかかるミシェーラ嬢。クラウスといいます」
 汗を飛ばしながらもついつい丁寧に対応してしまって、もっと他に言うべきことがあると余計に焦る。
「はじめまして、ミスタ・クラウス。まぁ私のお目はこれなもんで! お目にはかけらんないんですけど!」
「ミシェーラ!」
 レオは悲鳴のような声を出したし、ミシェーラの目は義眼によるものだと聞いているクラウスも同じ心情だった。まだ幼いのに心臓に悪いことを言う。
「2人ともこんな時間になにを。ご両親はどこに?」
 レオとミシェーラは顔を見合わせて、湖にいくのだと答えた。
「行き先ではなくご両親は」
「クラウスさんも一緒にいきましょう!」
 そう言ったのはミシェーラで、矢継ぎ早にまくしたてた。
 思い出の場所だから、どうせ両親はしばらく姉を家から出さないだろうから、姉をのびのびとさせたい。
 ミシェーラは最後には逆ギレまでして、強く出れないクラウスを強引に巻き込んで先へ進んだ。
 ステップのあるバスや足場の悪いところではミシェーラを何度も車いすごと抱え上げて、クラウスの心配をよそに子供たちは大はしゃぎだった。
 そうして辿り着いたのは、息をのむほど美しい湖だった。氷のように立つ山を背に月明かりが湖面を照らし、明かりの影に無数の星が輝いている。
 HLの霧に囲まれていたクラウスには、久しぶりの星空だ。
 見えないはずのミシェーラが、「きれいでしょう?」とほほ笑んでくる。それに何と返そうか迷って、結局は心のままに賛美した。
 子供らはティンクルティンクル星の歌を歌って、夜空に声をすいこませる。
「……見納めだなぁ」
 レオの呟きに、クラウスは沈黙で疑問を投げかけた。
「クラウスさん、ここまで連れてきてくれて本当にうれしかったです。でも僕、牙狩りに帰ります」
「レディ」
「こんなくそったれな目なんて大嫌いだったけど、この目があれば誰かを救えるんでしょ? いままで沢山の人が死んでたことが、なんとかなるかもしれないって聞きました」
「それは君が気にすることではない」
「そうっすね。正直、関係ないって思っちゃったりもしますよ、そりゃあ。でも、この目は誰かを傷つけることしかできないと思ってた。ミシェーラの目を奪った、最低最悪の目だって。そうじゃないんだってスティーブンさんが教えてくれました」
 やれるだけのことを、やらせてほしい。そういって彼女の開かれた瞼の下、青く光る神々の目をクラウスは初めて見た。
 誰かのために戦うと覚悟した少女を、クラウスには止められなかった。その決意がどれだけ尊いものかとさえ思う。
 それに、と彼女は続けた。
「スティーブンさんのこと、好きなんです僕」
 アイ、ラブ、ミスタ・スティーブン。そう言ったレオに、クラウスはびっくりしてしまった。
 スティーブンはクラウスより年上だし、レオはクラウスより十近く年下だ。応援するにはためらってしまう年齢差だった。
 それでも聞かなくてもわかる気がした。レオには、たぶん味方が彼しかいなかった。
「お願い、反対しないでください」
「できそうにない」
「よかった」
 クラウスは再び空を見上げた。クラウスにとっても空は見納めになるだろう。
「……私もやれるだけのことをやってみよう」
 胸にいれておいた携帯が鳴りだして、相手はスティーブンだった。
「ハロー、クラウスだ。ちょうどよかったスティーブン」
 電話の内容は、レオの失踪についてだった。
 たいへんだ、HLは危険なのに、42番街を出ていたらまずい、いつからいないかもわからない。息つく暇なく飛び出してくる。
「レディ・レオナルデは今私といる。――スイスだ。そう、ヨーロッパの。――彼女の実家だからな」
 電話口でもスティーブンの混乱が伝わってくるようだった。連絡の1つでも入れておけばよかったが気が回らなかった。
「スティーブン。私はレオと牙狩りから独立しようと思う。君にも一緒に来てほしい」
『突然どうした!? 無茶だよクラウス、できるわけないだろ。本部に喧嘩を売るつもりか?』
「スティーブン、君は牙狩りの在り方に納得できるのか」
『いや、それは……だけどさクラウス』
「私は許せない。君もではないのか」
 だからお願いだ、プリーズ、と重ねていえばスティーブンは苛立ったように悪態をついた。ちくしょう。
『ずるいぜ、まったく』
「なるほど。確かに、私はずるいようだ」
『……どうしたんだい?』
 たしかに、スティーブンはクラウスのわがままを断らない。レオの言う通り。彼が折れるのを知ってて頼むんだから、悪い親友だ。



150810



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