▽ 7-幸せの定義
いこいの広場のベンチで休憩中、携帯のメール画面を見て一人呟く。
楽しそうな友達からの写メ、そして心配の言葉。
「青春…してるなあ」
羨ましさからか、じっと画面を見つめナツは動かない。
そんな彼女の様子を見つけ、一人声を掛けてきた人影がナツの隣に腰を下ろす。
「一色さん、隣いいかな?」
「どうぞどうぞ…あ、佐伯さん!」
「やあ、休憩中?」
「そうです」
今日も暑いよね、と爽やかに空を仰ぐ佐伯の横顔に思わず見入る。
佐伯さんも彼女さんいるんだろうなあ、やっぱり皆青春してるんだ…―
ナツは再びため息をつき、綺麗なアーチを描く噴水の水流を見遣った。
その様子に気づいた佐伯はナツに微笑みかけた。
彼女の様子が少し沈んでいたから、彼は彼女の隣に腰を下ろしたのだった。
「どうしたの、一色さん。相談なら乗るよ?」
「…いや、ものすごくくだらないことなんですけど」
「いいよ、言ってごらん」
なんでも受け止めてくれそうな佐伯の笑顔に安心し、ナツは口を開く。
世間一般から見ればちっぽけな問題、けれど私にとっては重要な問題。
「青春をしたいな、と思いまして」
「青春?」
「はい、友達から彼氏とデートしてるっていう写真と、あんたは彼氏いなくてつまらないんじゃないのっていうメールがきて」
それで携帯の画面を見てため息をついてたわけだ、と佐伯は一人納得する。
佐伯にとっては単純明快なことなものの、彼女にとっては大切な問題に違いない。
軽く笑い飛ばすことはできず、佐伯はしばらく考えこんだ後にナツに向かって微笑む。
「俺の勝手な意見としては、いずれは時が来るから焦らなくていいと思うよ」
「時が来るんですか?」
「もちろん待ってるだけじゃダメだけど。一色さんは恋愛感情として好きじゃない人とは付き合えないタイプだと思うから」
「それは…あります」
なんて彼女を偉そうに説得してみたりして。
本当は自分以外とは付き合ってほしくなくて、口から都合のいい話が次から次へと出てきた。
嫉妬から生まれた産物である、もちろん元からの持論ではあるが。
ナツは妙に納得した様子で頷く。
そんな彼女にふと満足し、佐伯はナツに問い掛けた。
「一色さんは今、幸せかい?」
「幸せですよ」
間髪入れずの即答に、佐伯は一人微笑む。
彼女ならそう言うと思った、というのは内緒である。
「ならいいと思うよ、俺は。幸せの定義なんて人それぞれだろうしね」
「じゃあ佐伯さんは幸せですか?」
興味深そうに聞いていたナツの思わぬ返しに、佐伯は一瞬面食らう。
まさかそんな風にくるとは、と思いつつ数秒の間にピッタリの答えを思い付いた。
自分が小さな幸せに浸ることができる方法を。
「…ちょっとだけ幸せじゃないかな」
「どうしたんですか!?」
目を見開き聞いてくるナツに、大したことじゃないんだけど、と手を振って笑う。
しかしナツは納得しない様子で問い詰めてきた。
…作戦成功である。
「私が協力できそうだったら協力しますが!?」
「それじゃあ頼もうかな」
彼女の親切心からの言葉に思いきって乗っかる。
そして彼女にだけ悩みを打ち明けた。
…正確には彼女にだけ限定の悩み。
「俺の下の名前、知ってる?」
「虎次郎さんでしょう?」
「そうそう…で、その名前がさ」
「はい」
「俺としては好きな名前なんだけど、他の人がなかなか呼んでくれないんだよね」
「たしかに六角の皆はサエさんって言ってますね」
「だろう?」
よし、いい感じに進んでる…―
佐伯は手応えを感じ、あともう一押しと続けた。
「だからさ、誰か虎次郎って呼んでくれる人、いないかなぁと思ってね」
結局言いたかったことはこれなのだ。
我ながらスムーズに事が運んだと思う。
そしてちらりと窺うように彼女を見れば、ナツは笑いながら言ってきた。
「それくらいなら私が虎次郎さんって呼べばいい話じゃないですか、虎次郎さんって呼んでいいですか?」
「本当かい?ありがとう!」
作戦成功。
あくまで爽やかに佐伯は笑顔で答えた。
幸せの定義なんて人それぞれ。
彼女の何気ない呼び方一つで、ここまで幸福感を感じられるのだから。
幸せの定義
―佐伯虎次郎の作戦
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