ヒトナツの恋 | ナノ


▽ 44-不燃かもね


穏やかで優しく、頼りになる人。

怒ったところなんて見たことがない。

いつも真面目に作業に取り組んでいて、笑顔の絶えない顔。

困った人をちらりとでも見かけたなら、すぐに声を掛けるような行動力もある。



「一色さん、大丈夫?その荷物を運ぶの手伝うよ」
「わざわざすみません。ありがとうございます、河村さん」



そんな人だからこそ、大声を上げている姿さえも想像できなかった。

しかしその予想外の姿は、思わぬところで目撃できることがわかってしまったのだ。

場所はテニスコート。

時間はお昼休みや、準備の合間、さらには放課後ということもある。

初めてその姿を見たのは偶然ではあったが、「まさか」という気持ちが強かった。

やたらと大きな声がテニスコートの中から聞こえてきたためにこっそりと覗いてみれば、そこでは見たことのない表情をした河村がテニスの練習をしているところだった。



「ヘイヘイ、カモーン!」
「先輩、ちょっと休憩しません?体持たないッスよ」
「オーケー!」
「あ、ナツさん!」



河村と一緒に練習をしていたらしい桃城が、ナツの姿を見つけて手を振る。

一緒になってこちらを見た河村の顔は、いつもの穏やかな顔とはやはり違う。

やる気に満ち溢れているといえばいいのか、覇気が違うといえばいいのか。

ゆっくりとそちらに近づけば、河村はラケットを握り締めたまま再びコートへと向かっていく。

桃城と違い、まだまだ体力が有り余っているようだ。

タオルで汗を拭く桃城の隣にナツが腰を掛けると、桃城は河村と彼女の顔を見比べて言う。



「もしかしてナツさん、タカさんがラケット持ってるところ見たことないんスか?」
「ラケット?」
「はい。人格がなんていうかこう…変わるんすよ!ビックリしちゃいますよね」



ベンチに座ったまま河村の姿を見ていると、たしかに人格が変わっているというのは納得がいった。

一人で壁打ちを繰り返して何かを熱く叫んでいるその姿は、普段の姿からは想像がつかない。

ラケットを握った姿、穏やかな普段の姿。

どちらがいいと言えるわけではないが、どちらも河村なのだ。

ようやく一区切りをつけることにしたのか、ナツたちのいるベンチにやってきた河村がラケットを丁寧に置く。

そして一息つけば、そこにいるのは穏やかな顔をした人。



「お疲れ様、一色さん。練習も一区切りついたし、何かできることがあれば手伝うよ?」
「河村さんもお疲れ様です。今のところは何もないんですが、何かお手伝いしてもらいたいことがあったらお願いします」



そこまで熱中できるものがあるからこそ、あの優しさが生まれるのだろうか。

相手を気遣う言葉を忘れない河村に、ふとそう思った。





不燃かもね

―河村隆とラケット

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