▽ 43-空の瓶
小さい頃は、とても不思議に思っていた。
どうしてあの中に一つだけぽつんと残っているのだろう、どうして取り出せないのだろう、と。
しかし、周りにいろいろな人が現れてからそんな疑問はどこかに消え去ってしまっていた。
毎日、毎秒変わっていく景色が楽しくて、嬉しくて、切なくて。
ずっと「そこ」に佇んだままのものに、目が向かなくなっていたのは事実だ。
「海堂さん、やっぱりまだ作業してたんですね。差し入れです、よかったらどうぞ」
「…どうも」
差し出したのは、淡い緑色にも空色にも見える、不思議な色の瓶。
炎天下の中を運んできたせいか側面には水滴が付いており、真夏の暑さによって乾いた喉には魅力的なものだ。
それは、昔から変わりのないもの。
しかし、少しだけ大人に近づいた今、久しぶりに見たもの。
ナツの手から素直にラムネを受け取ると、熱さを帯びた掌にとって、その冷たさは心地よかった。
「…どこで買ってきたんスか、このラムネ」
「他のアトラクションの景品を探しに他校の運営委員の子と近くの駄菓子屋にこの前行って、その時に見つけたんです。さっきまた行って買ってきたんですよ、懐かしいなあと思って」
たしかに、こんな古風なラムネは久々に見た。
金魚すくいのための水槽を手直ししていた手を止め、ナツと二人で屋台の下に入ってまじまじと瓶を見つめる。
フタは手で簡単に開けられるような造りになっているが、きちんと中にビー玉が入ったタイプだ。
これ以上ぬるくなる前に飲んじゃいましょう、というナツの声に頷き、一気に喉元へと流し込んだ。
口に広がるのは炭酸独特の爽やかさと甘み、喉にもパチパチとした刺激。
先ほどまでの乾きを忘れさせる潤い。
他の炭酸飲料でも、このような爽快感を味わうことはなかなかできないであろう。
その理由はどこにあるのか。
喉が渇いていたからか、このビンのせいか、夏の暑さ故か。
一気に飲み干した瓶は、何も答えてはくれない。
「私小さい頃にその中のビー玉を取り出したいって思ってたんです」
「…俺もッス」
「やっぱり私だけじゃなかったんですね。でも、そのビー玉にも意味があるんだって最近わかったんです。傍から見ると狭そうですけど、そういうわけでもないみたいです」
最後の一口を飲み、彼女は瓶を小さく振った。
からん、からん。
すこしくぐもったようにも聞こえるその音に、ナツは笑う。
そして付け足した。
「自分の世界って、いくらでも広げられますね」
「…そうッスね」
「それじゃあ、私はこれで。お邪魔しました、お互いに作業頑張りましょう」
「ラムネ、ごちそう様でした。瓶、置いといてください。後で片付けときますから」
「ありがとうございます」
彼女から空の瓶を受け取り、海堂は立ち上がる。
去って行ってしまったナツの姿を見送り、手元にある瓶を見つめた。
自分の世界は彼女によって広げられているのだと、そう感じた。
空の瓶
―海堂薫の確信
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