▽ 12-道化
「申し訳ありません!怪我はありませんか、お嬢さん?」
「お、お嬢さん…?」
合同学園祭準備の初日、たまたま使う資料を持って小走りだった私は人にぶつかった。
その言葉遣いが面白くて、私はその人のことを一発で覚えた。
初対面の人を「お嬢さん」と呼ぶ人、柳生比呂士さん。
数部落ちてしまった資料を丁寧に拾ってくれて、汚れがないか確認してから私に手渡してくる。
これだけでも、ものすごく優しくていい人なのだと実感。
「申し訳ありませんでした、私が前方に気が向いていなかったばかりに…」
「いえいえ、こちらこそ…資料拾ってもらってありがとうございました」
丁寧な口調に、腰の低い態度。
この人は施設のスタッフの人だろうか、とも思ったものの制服を着ていたためにどこかの学校の生徒だと発覚した。
この制服はたしか…
「立海ですか?」
「ええ、そうです。貴女は氷帝学園の方でしょうか?」
「はい、学校は一応」
お嬢さんから貴女へと二人称が変わる。
学校は一応、とはぐらかしたのは私が今回氷帝専属の運営委員ではなく全学校のテニス部中立運営委員だからだ。
そうですか、と頷く彼は名前を教えてくれた。
柳生さん。
この人の発言の数々が私を何度衝撃の渦へと巻き込んだことか。
お互いに簡単な自己紹介を終えた後、どちらともなく仕事のために別れの挨拶。
そんなにゆっくりしてられなかったのだ。
その別れの挨拶も私の脳内に素晴らしい衝撃を植え付けた。
「それでは一色さん、アデュー!」
「ア、アデュー…?」
颯爽と手を挙げ去っていく柳生さんを、私は口をポカンと開けたまま見送ることしかできなかった。
あんなに堂々と「アデュー」発言をした人は見たことがない。
ウケ狙いとも思えず、あれは恐らく彼なりの普通の挨拶なのだろう。
「…世の中って広い」
そう思いながら、私は会議室へと足を向けた。
多分跡部さんに怒られる、いや絶対怒られる。
「おはようございます、ナツさん」
「おはようございます、柳生さん」
今日も朝から柳生さんに会い、礼儀正しく挨拶されたためこちらも丁寧に返す。
柳さんや真田さんに聞いてみたところ、やはり柳生さんの不思議な口調の数々は彼の一種の特徴らしい。
今ではすっかり慣れ、『紳士』の異名にも納得がいっている。
「今日も暑いですね、熱中症には気をつけましょう」
「柳生さんも気をつけてください」
「ありがとうございます」
落ち着いた様子で笑う柳生さんは、やはり同学年とは思えない。
そして最後に柳生さんは私の中での代名詞とも言える台詞を言って歩いていった。
「それではアデュー!」
「ア、アデュー…」
こればかりは何度聞いても慣れることができなくて。
肩を震わせて会議室に向かうナツを見て、何人かが不思議そうな顔をして彼女を見た。
おそらく明日も私は柳生さんの口癖に笑わせてもらうだろう。
今日も頑張ろう、と意気込んだナツであった。
道化
―柳生比呂士の不思議な口調
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