▽ 13-引き金
調理室にはふんわりと紅茶の香りが漂っていた。
理由はもちろん、聖ルドルフの出店する喫茶店のための
【観月はじめによる紅茶レッスン】
が行われていたからである。
指揮をとる観月は茶葉の入ったケースを片手に熱弁を奮っていた。
「いいですか、この場合の時間は…」
「…お邪魔しまーす」
「おやナツさんではないですか!」
「こんにちは観月さん」
そろりと忍び込むように小声で調理室に入れば、観月はすぐにナツの存在に気付き声を掛けた。
すると観月の周りで講義を受けていた聖ルドルフの面々が助かった、とでも言うかのように振り返る。
長時間に及ぶ紅茶談義は自分たちのためにしてくれているのは分かっているものの、やはり話をずっと聞いているのは辛い。
「ナツさん!…助かりました」
「よく来た、一色!」
「ほらほらさっさとこっちへ来るだーね」
裕太、赤澤、柳沢の順になぜか感謝の表情を浮かべられ、ナツは若干戸惑いながら観月たちへと近寄った。
近付いていくと、さらに紅茶や手作りらしきクッキーの甘い匂いが強まる。
優しい気持ちになれるこの匂いは、きっと誰でも好きであろう。
「どうしたんですか、ナツさん」
「あー…ちょっと美味しそうな匂いがしまして」
「んふっ、何しろ僕の入れた紅茶から漂う香りは誰でも虜にしますからね」
「いや私が特に気に入ったのはクッキーの………痛!」
自分の胸に手を当てウットリする観月に、ナツは慌てて口を挟むも途中で赤澤に足を軽く踏まれ、柳沢に口を塞がれた。
勘違いさせておけ、と赤澤は目で必死に訴え、ナツは堪忍したように黙って頷いた。
そんな様子にまったく気づかず、観月は思い出したように手をポンと叩く。
…―そうでした、ナツさんに今日こそ…!
「ナツさん、そこにお座りください」
「…は?」
優雅に傍らにあった丸椅子を引き、着席を促す観月にナツは疑問を抱いたままに椅子へと腰掛ける。
もしかしてクッキー貰えるのかな、それならラッキーなんだけど…と内心思いながら。
実際に観月のした提案はあながちナツの希望に沿っていたものの、一部違う点があった。
「んふっ」と嬉しげに笑みを零した後、観月はこう言ったのだ。
「クッキーを試食していただきたいのです、紅茶と共に」
「…クッキーなら喜んでいただきますが」
「おや、僕は紅茶と共にと言いましたが?」
紅茶と共に、という言葉を強調されたナツは言葉に詰まる。
そんなナツに向けて自分の最大限のテクニックや茶葉を使い、観月は全力の紅茶を淹れる。
コトン、と御丁寧なことに受け皿までついたカップが目の前に置かれ、ナツの顔は引き攣った。
香ばしいような、わずかに甘いその薫り。
その薫りは自分だって大好きなのだ、
…―薫りは。
「…やっぱりいらないです」
「ナツさん!何度も言っていますが、紅茶は淹れた人によっていくらでも味が変わります」
「じゃあレモン入れさせてください!レモン入れれば飲めます!」
「僕の前で邪道はやめてください、僕が淹れた紅茶ですから味の保障は…」
「またやってるだーね」
湯気の立ち上る紅茶を目の前に全力で拒否するナツにその傍らで熱心に勧める観月。
赤澤や裕太らの部員はわずかに離れた場所でその光景を眺めていた。
初めて紅茶レッスンが行われた日、まだ面識も浅く偶然別件でその場に居合わせたナツが観月の紅茶好きを知らずにしてしまった発言。
その発言はいまだに観月の中で着々と根付いていた。
「聖ルドルフは喫茶店…と。紅茶ですか」
「ええ、一色さんもお好きなのでは?」
「あー…はい。ストレートティーだけは無理なんですが」
最後の一言。
これは僕への挑戦状だと受けとっていいのでしょう?
必ずに美味しいと言わせるストレートティーを貴女へ。
引き金
―観月はじめの地雷
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