今日の町の色、赤と緑。

すれ違う人は、いつもよりも何倍もケーキを持っている率が高い。

それは自分も例外なく言えることで、結衣子は三月堂でクリスマス仕様のゼリーを買っていた。

店主も「今日は孫達と一緒にお祝いだ」と喜んでいたし、他の人々も浮かれている人が多いはずだ。

結局、結衣子はクリスマスに予定は入れなかった。

入れられなかった、と言った方が正しいのかもしれない。

どんなに考えても島田の顔がちらついて、到底他の男性と過ごす気にはなれなかったし、友達は皆彼氏や家族と過ごすのだという。

結衣子も実家に帰ることを考えたが、ウナギ屋がまだ年末年始休業に入っていなかったこともあり、結局こちらで過ごすことにした。

帰りのバスで揺られ、階段の町に着くと一歩ずつ階段を上って自分の家へと近づいていく。

冬至が過ぎ去ったばかりということもあってか日は短く、時刻は5時だというのにすでに周りは暗い。

足を踏み外さないように注意しながら階段を上がっていけば、やがて左脇に自分の家が、右脇に島田の家が見えた。


明かり、点いてないや―…


ほっとしたようなガッカリしたような、なんとも言えない気持ちで島田の家を見てから、早々に視線を外す。

こんな気持ち、島田さんに伝えたら迷惑になってしまうかもしれない。

それに島田さんのような素敵な人なら彼女さんいそうだもの。

真っ暗な自分の家の中に入って、茶の間に荷物をおろしてストーブをつける。

もし島田に彼女がいて、今日家に来るのならば、この部屋とそっくり同じ間取りでお互いに幸せそうに笑い合うのだろうか。

気付けばそんなことばかり考えている自分に嫌気が差し、結衣子は困ったように呟いた。



「今日は他の場所にいればよかった…みたい」





最後の対局が終了となり、外の凍てつく寒さに比べてすっかり緊張感の途切れた雰囲気の将棋会館。

しかしその中には、二種類の人々がいた。

笑顔を浮かべて足早に将棋会館を後にする人を横目で見つつ、スミスは口をとがらせて言った。



「あー、なんか今日早々に帰る奴が全員幸せそうに見えてイライラする!なあ、いっちゃん!?」
「おう!クリスマスがなんだ、クリスマスが!本来は家族と過ごすもんだろうが!」
「ん?そういえば松本、クリスマスの予定聞いた子はどうなった…あ、すまん」



口を慌ててふさぐも、もう遅い。

一瞬にして石像と化した一砂に向かって拝むスミスを眺め、島田は小さく苦笑した。

クリスマスの予定、か。

その時に瞬時に浮かんでくる顔をぬぐい去ることは、結局島田には出来なかった。

約二週間前にスミスに「クリスマスの予定はどうなってるんですか?」と訊かれ、その時に浮かべた顔と今思い浮かべた顔。

その2つは、一緒だ。

仲の良いご近所さんという関係を崩したくないと思いながらも、もっと踏み込みたいと思ってしまう自分がいる。

その欲望が、未だに捨てきれない。



「ところで島田さん、今日暇ですか?俺たちはあかりさんのいるスナック行こうかと思ってるんですけど」
「んー…いや、今日はいいよ。家帰って寝ることにするさ」
「やっぱり島田さん…いや、なんでもないっす。じゃ、お疲れさまでした!」
「お疲れ。松本へのお詫びに、これで飲んで来い」
「え?あ、すみません!ありがとうございます!」



何か思った様子のスミスだったが、この前の二の舞は踏むまいと余計なことは言わずに頭を下げる。

島田は特に気にした様子もなく、数枚のお札を手渡してから棋士会館の外へと出た。

聖なる夜だとは言っても寒さに容赦はなく、思わずコートの襟を首に密着させるかのように立てて、足早に近くのバス停へと急ぐ。

ほどなくバスが来て乗り込めば、そこにはケーキを持った親子やプレゼントを持った男性等、いつもより多くの人が乗っていた。

嗚呼、そういやいつもよりバスに乗る時間が早かったか―…

ちらりと腕時計を確認すれば、針は6時を指していた。

なぜいつもより早くバスに乗ったのか、それは自分でもわからない。

顔をコートの中へうずめるようにしてバスに揺られていると、案外早くバスが階段の町へとたどり着く。

真っ暗な階段の町は全てを包み込むかのような恐ろしさを持っているが、それは階段に沿うように建てられた住宅からかすかに聞こえる明るい笑い声で緩和されている。

今日はクリスマス、聖なる夜だ。

もっと楽しい気分でいなくちゃな。

自分に喝を入れるかのように一歩一歩階段を上っていけば、やがて自分の家が見えてくる。

それと同時に、彼女の家が。

そしてその彼女の家を見た瞬間、先ほどまで喝を入れていた心がすぐによろけたのを感じた。


明かり、点いてる―…


クリスマスの予定がないのか、それとも他人を自分の家へと招き入れて聖なる夜のお祝いをしているのか。

その二択しかないことはわかりきったことで、島田は思わず足をとめた。

ここで前者だと信じて、明るい気分で自分の家へと入れたらどれだけ良いことだろう。

しかし今の自分には、後者のような気がしてならなかった。

あの家に近づいて、もし先ほどのように明るい笑い声が聞こえたのなら。

考えれば考えるほど、近づきたくないという意思が働く。

しかしここで引くわけにはいかないということもわかっている。

階段を降りて、また棋士会館に行って、スミス達と合流して飲みに行く―…

その選択肢を取ったのなら、自分の中で許せない。

むしろここで現実を知って、自分だけでは決断できなかった踏ん切りをさせてもらおうではないか。

彼女への未練を断ち切るために。

島田は再び足を進めた。

そして、自分の家の前にたどり着き、振り向いて結衣子の家を見た。

閉められた障子には、特に動く影はない。

笑い声も何も聞こえない、煌々と明かりだけの点いた結衣子の部屋の光が島田の顔を照らした。

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