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 夢だったとしても(1)


夏の香りを含んだ生暖かい風が、そっとカーテンを揺らした。
それに靡く彼女の前髪を優しく払ってやると、微かに汗をかいていた。傍にあった新しいと思われる布巾で雑に拭うと、摩擦熱が痛い、と彼女が嘆く。
取り敢えず話が出来るくらいには回復したらしい。

静かな保健室。窓際のベッドには相変わらず生暖かい風が吹いていた。

保健医は不在だ。
保健医は、彼女を抱えた僕が訪れた時にはすでに保健室を出る寸前で、ぶつかりそうになったにも関わらずごめんの一言もなかった。
寧ろ、これ幸いと言うようにあとはよろしく、と在り来たりな台詞を残して、風のように去っていった。
明らかに具合の悪そうな生徒を心配すらせずに。

保健医は普段から暇なものだと思っていたのだが、講義やらなにやらで度々保健室を空けなければならないくらいには忙しいご身分らしい。
これは保健医の患者である彼女への態度に対する嫌味と、勝手な想像なのだが。

そんなこんなで、片隅のベッドに、彼女は横たわっている。

そもそも何故、彼女は僕に抱えられ保健室を訪れ、ベッドで横たえていなければならないのかを伝えておかねばなるまい。
端的に言えば、全校朝礼で倒れた。それだけの話だ。

全校朝礼という名の校長の自慢話、二十八分。(僕は時計を頻りに見ていたから正確な情報だ。)
夏の訪れを感じさせる春の暑い日には、貧血性の彼女には辛すぎたらしい。
僕の肩に手を添えて僕と目があったとき、僕は彼女の顔の蒼白さに思わずたじろいだぐらい、彼女の体調は異様だった。

暫く肩で荒い呼吸をした後、膝を折った彼女にすぐに教員が駆け寄ったが、それを制して僕自ら彼女を保健室まで運んできた。
僕と彼女は恋人同士であるのに、はいお願いしますなんて言えなかったし、実のところ、男性教員が恋人を抱きかかえるのが気に食わなかったのである。

……と、いう僕の心情は余計であったが、これが今までの粗筋である。ご理解頂けただろうか。

ふと彼女を見やると、頬に朱味が少し戻ってきたのを確認して、僕は漸く安心出来た。
それまではこのまま彼女が消え去ってしまう、と感じるほど、陽炎のように朧気だったから。
だが、調子が戻ってきたとはいえ、彼女は患者だ。水をコップ一杯、若干無理矢理飲ませた程度では快復には至るまい。
安静にして寝ていなければならない、というのに、彼女はすぐに起き上がろうとした。
それを呆れ顔で制して、いい加減に静かに寝とけと言うように、僕は彼女の頭が隠れる程まで布団を荒く被せてやった。
少し苦し気な呻き声が聞こえたが、聞かなかったことにした。

すると漸く観念したのか、彼女はそれからぴくりとも動かなくなった。
静かになったな、と一先ず安心し、空になったコップに水を注ごうと立ち上がると、くいと裾を引かれる感覚がした。
彼女の白い、少し小さな手だけが、こんもりと盛り上がる布団から伸びていた。


「何?」


布団の山に問い掛ける。
すると彼女は布団からちょっとだけ顔を覗かせて、どこいくの? と言った。
少し掠れたそれが随分と切なげに震い、静かな保健室には大きすぎた気もした。


「どこって、水注いでくるだけだよ」
「水いらない」
「飲んどけ」
「いらないから、」


いらないから、傍にいてよ、
そんなことを大好きな彼女に言われて、傍にいない男はいるだろうか。否、いてはならない。
僕はとことん自分に正直である。

僕はコップをベッドの傍らの小さなテーブルに置き、椅子が無かったのでベッドの端に腰掛けて彼女の髪を撫でてやった。
どうしたんだよ、いきなり。
そう問うと、彼女はいっそう布団に潜ってしまい、僕は髪を撫でてやることも出来なくなった。
行き場を無くした手で布団をぽん、ぽん、と叩いてやると、くぐもった声で寝ちゃうからやめて、と言われてしまった。
これでいよいよやることが無くなってしまった僕は、取り敢えず先程の台詞を繰り返した。


「どうしたんだよ、いきなり」


小さくため息をついて、今日はどこか不自然な彼女に問いかけた。





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